# 宇宙のセオリー - ヴァーノン・ハワード # 前書き・目次 # 扉ページ SEIK SHOBO この世で もっとも素晴らしい秘密 宇宙のセオリー ヴァーノン・ハワード Vernon Howard 須藤元気監訳・解説 Genki Sudo 「20世紀最高のスピリチュアリスト」の名著、待望の日本版 あなたの奇跡は、この本から始まる
The Mystic Path to Cosmic Power by Vernon Howard Originally published by Parker Publishing Company, Inc., West Nyack, N.Y. in 1967. Japanese edition published by Seiko-Shobo Inc, under the Berne Convention for the protection of literary and artistic works. # 「自分が変われば世界が変わる」、その真の意味 この本の著者、ヴァーノン・ハワードは、日本ではこれまであまり注目されることのなかった人だが、米国では「20世紀最高のスピリチュアリスト」といわれているらしい。著書も累計600万部というからただ者ではない。彼は1992年に亡くなっているが、その頃の日本の社会はスピリチュアルな本というと、どうしてもトンデモ本という程度の認識しかないような、ある種、心の暗黒時代が続いていた時代だ。 そのあとを継ぐようなカタチで登場したニール・ドナルド・ウォルシュやエックハルト・トール、アラン・コーエンなどは、ちょうど日本でもスピリチュアルな世界への関心が高まってきたタイミングと合致して、それなりに知られるようになったという印象がある。 この本に書かれていることを要約するなら、僕らが生き、知覚するこの世界は、それぞれの自己意識をほんのちょっと調整するだけで、重苦しい日常はまるで違った世界に変わり、毎日をらくらく快適に過ごすことができるようになる……というものなのだが、それはつまり僕が日頃講演会などでスローガンにしている「自分が変われば世界が変わる」ということだ。 実際、本書でもヴァーノンは「自分が変わると何もかもが変わる」と語っており、僕はなんだか長い間音信不通だった恩師と六本木の交差点のどまんなかでばったり再会したような気分だった。 さて、本書を手に取った読者であるあなたはどうだろうか……。 宇宙のセオリー、実はそれ自体には意味はない。読者であるあなたがこのセオリーを生きるとき、そこに初めて意味が生まれるのだ。 # Contents 宇宙のセオリー もくじ 監訳者解説「自分が変われば世界が変わる」、その真の意味 須藤元気 003 はじめに 読者への心からの招待状 この本があなたのためにできること 018 第1章 この世でもっとも素晴らしい秘密 022 第2章 奇跡の世界への目覚め 046 第3章 宇宙のセオリーの力がもたらす奇跡 066 第4章 一瞬一瞬を最高の気分で 090 第5章 男と女、真実の愛の力 118 第6章 心の痛みや苦しみとの決別 138 第7章 人生を確実に変える宇宙のセオリー 160 第8章 恐れと緊張への特効薬 176 第9章 宇宙のセオリーが約束する幸せ 192 第10章 まったく新しい人間になるために 214 第11章 壁をたたき壊して成長を加速する 238 第12章 宇宙のセオリーの日常的な力 258 巻末のおまけ 宝石の言葉たち 274 # この本があなたのためにできること あなたはこの本を、風変わりでとんでもない本だと思っているかもしれません。いや、そうであることを望みましょう。 同時にあなたは、本書で明かされる宇宙のセオリーの基本原則が人生を変える可能性を感じて、ワクワクしているかもしれません。そう、この本はその期待を裏切りません。 宇宙のセオリーは、どんな人のためにあるのでしょうか? 今の人生に物足りなさを感じていて、きっと何もかも変えられるはずだ、というささやきを耳にしたことがある人のためにこの本はあります。 宇宙のセオリーは、別の生き方へのちょっとした手がかりを示します。 今とは別の人生が絶対にあります。私は、それを事実として知っています。 新しい人生は、必死になって求めれば必ず見つかります。すると、何もかもが劇的に変わります。 これで私たちは、肩を並べて宇宙のセオリーの旅に出ることができます。行く手には、美しく輝く新しい人生が待ち受けているのです。 ヴァーノン・ハワード Vernon Howard # 第1章_この世でもっとも素晴らしい秘密 # 心配とは無縁の幸福な暮らしが待っている 「人々が苦しんでいる問題には、どんな原因があり、どんな解決法があるのでしょう?」 いきなりそう問われても、困るかもしれません。なにしろこの質問は、難問中の難問なのですから。 では、これから本書の中で、この問いに対する答えを探していくことにしましょう。 私たち人間は、新天地をもとめて大移動している集団のようなものです。人々は乾いた不毛の地から列車に乗り、天高くそびえる山の頂上を目指します。 では、ガイドブックを開いてみましょう。「頂上に近づけばそれだけ見通しがよくなり、土地も豊かになるだろう」と書いてあります。 頂上までには、数多くの駅が設けられています。乗客はどこで列車を降りて、旅を終えてもかまいません。旅を途中で切りあげるのも、終点までの旅路をまっとうするのも、すべて乗客の自由です。 最初の駅で降りた人々がいます。目の前に広がっているのは、荒涼とした土地です。彼らは内心がっかりしながら、そこに新たな家を作りました。 もう一つ二つ上の駅で列車を降りた人々もいます。ここは、一番下の場所よりも少しましですが、それでも人々はどことなく不満げに、それぞれの居住地に向かいました。 まだ旅をつづけているのは、ほんのひと握りの我慢強い人だけです。 実は、旅が始まってまもなく、彼らは面白い発見をしたのです。たしかに旅は苦労の連続ですが、先に進むにつれて困難さがやわらいでいるのです。つまり、忍耐と粘り強さが報われているのは間違いありません。それを知った者は、ひたむきに先を目指すことができるのです。 やがて残った旅人を乗せた列車が、頂上に到着しました。そこには、心配とは無縁の幸福な暮らしが待っています。心底からほっとしながら頂上に降り立った人たちは、なかったものを見つけました。それは、目の前にあるまぎれもない現実……。彼らは現実を手にしたのです。 # 絶望に浸りつづける囚人のように…… 人はさまざまな仮面をつけています。にこやかな仮面、いかにも賢そうな仮面、生き生きした表情の仮面、超一流の成功者の仮面……。だれもかれもが、自分や他人に仮面の演技が現実だと信じこませようと必死です。 けれどもいずれは、劇は終幕を迎えます。演じるものを失った役者は、所在なげにたった一人、ちっぽけなステージにとり残されるのです。 人は何を望んでいるのでしょうか? それは漠然とした感覚としてしか理解されません。 人は解放されることを願っているのです。では、何から? 頭痛、苦しみ、自分では払いのけられない欲求、だれかにひどいことをされるのではないかという恐れ、過去の過ちをひそかに悔やむ恥や罪の意識……。逃れたいものはいくらでもあります。 ところが、自分を解放したいと思っても、解決策がどんなもので、どこで見つかるかは容易にはわかりません。それでも不安に駆られた者は、なんとか自力で探そうとします。でも、行き着くのはたいてい見当外れの場所です。 それで、仕方がないので、こう言って自分を慰めます。 「明日になればうまくいくだろう」 ところが、期待は裏切られます。それでやっと悟るのです。同じ場所を探しまわっても、またがっかりするだけだということを。 プラトンが師ソクラテスの言葉として伝えた「洞窟の比喩」は、そんな状況をうまく説明しています。 暗い洞窟の中に、大勢の人間が鎖でつながれています。その周囲では火が赤々と燃えており、おどろおどろしい影を作っています。人々は、その影を実体のある恐ろしい敵だと思いこんで、手も足も出ずに身を縮ませています。 ところがそんな状況に、うんざりした一人の囚人がいました。囚人は勇気を出して、何がなんでもこの洞窟から出て行こうと決心します。 どうにかこうにか暗闇をつき抜けると、そこは太陽の光がふりそそぐ現実の世界でした。囚人は、ついに自由の身になったのです。 では、囚人がまた洞窟に戻って、この素晴らしい発見について他の人々に話して聞かせたら、どうなるでしょうか? 苦しみの元凶は自らが作り出した幻にすぎず、洞窟の外にはまるっきり違う新世界が待ち受けていると伝えたら? よくぞ教えてくれたと、手を打って喜んでもらえるでしょうか? とんでもない! そんなことをしたら、人々がせっかくつかんだと思った真実を放棄させることになるのです。自己満足を妨げるのですから、感謝されるはずはありません。かえって馬鹿にされ、嫌がられて、裏切り者呼ばわりされるのがオチです。 囚人たちはいつまでもひっそりと絶望に浸りつづけるのです。 では、「宇宙のセオリー」は、そのような人々をどのようにして救うのでしょうか? # 出口はすぐそこにある 人は、おびえた迷い人と同じです。目につくものに気をとられて、それ以外のことは目に入りません。 それでも、出口はあるのです。出口にたどり着きたいなら、本当の自分を知らなくてはなりません。別離や孤独感、疎外感の痛みから解放された人がいたとしたら、必ずこの出口を通っているのです。 生まれた直後に、王宮からさらわれた王子がいました。王子は貧困にあえぐ村で育てられ、成長すると貧しい境遇を憎むようになりました。彼はそこから抜け出すために、慎重に計画を練り、王座をわがものにしようとしました。陰謀と戦いが繰り広げられ、王子はついに王位を手中にしました。 ところが、新王は疑心暗鬼にとらわれ、だれにも心を許すことはありませんでした。毎日が苦しみの連続でした。 ところがある日、王は自分が何者であるかを知りました。彼は、はじめから王となるべき人間だったのです。 いるべき場所に自分がいる。それを知ったときから不安や恐怖心は去り、王は穏やかな君主となりました。 本当の自分を知ろうとすれば、だれもが王者たる資格があることに気づくはずです。他の何者にもなる必要はありません。あなたは、ただ本当の自分を理解すればよいのです。生まれながらの本物の王であることをです。 「王のように恐れるものがないとしたら、どんな気持ちになるでしょうか? そんな気持ちになってみてください。だれにも自分を傷つける力がないと知ったら、どのように人に接しますか? そういう態度を示してみてください。 世間でいう不運もたいしたものではないとわかったら、どう反応しますか? そのように振る舞ってみてください。自分はどこをとっても大丈夫だと考えていたら、自分をどうとらえますか? そういう考え方をしてみてください」 こうして、王としての自覚ができあがります。このような自覚がある者は、王にふさわしい人生を歩むのです。 # この世でもっとも素晴らしい秘密 この世でもっとも素晴らしい秘密とは、いったいどんなものでしょうか? 「宇宙のセオリーとつながりをもった者は、まったく新しい人生を歩むことができます。それはこの場の現在だけでなく、別世界の今後にも通じることなのです」 これが、この世でもっとも素晴らしい秘密です。 宇宙のセオリーの先には、高次の新しい人生があるのです。 私たちは、どのような一日を過ごしているのでしょうか? 振り子のようだと言ってもよいでしょう。 たとえば、昇給や昇格などの外部的によいことが起こります。すると、私たちはおおいに気をよくします。ところが次の瞬間、昇給も昇格もまるで意味のなかったような落ちこみ方をしてしまうのです。 自信と不安、有頂天と憂鬱、平静さといらだち、穏やかさと怒り、決断と優柔不断……。一日のうちに私たちの気分は極端から極端へと何度も行き来するので、かなりくたびれてしまいます。 どんなに上機嫌になっても、それは一瞬のこと。砂漠をさまよう旅人の前で消える蜃気楼のようにはかないものなのです。 ところが、これ以外の生き方もあるのです。 これからお話しする宇宙のセオリーの基本原則を心にとめていれば、実体験を通してあなたの確信は深まることでしょう。どんな人間も、どんな環境的要素も、その新しい人生のスタートを妨げることはできません。 違う自分になりたいと望んでさえいれば、自分でも止められないのです。目をそむけずに真実を吸収すれば、人生はそれだけ大きく変わります。 必要なのはただひとつ、耳を傾けて、新しいことを学ぼうとする姿勢だけです。それだけで、何もかもが可能になるのです。 # 宇宙のセオリーとはどんなもの? ではそろそろここで、宇宙のセオリーの正確な意味づけをしておきましょう。それは、この言葉が乱用されているという事実もさることながら、私たちの目指すべき方向性を明らかにする必要があるからです。 宇宙のセオリーとは、 (a)內面的啓蒙の進んだ状態 (b)現実との統合がなされた状態 (c)成功して心から満足している状態 (d)まったく違う生き方について洞察できる (e)論理的な思考を超えて真実を直観的に把握している (f)幸福で健康的な人間であることを知る個人的体験 これこそが、正統派の宇宙のセオリーというものです。 宇宙のセオリーは、快活な輝きに満ちています。たとえ物事がうまくいかなくても、宇宙のセオリーの実践者は穏やかさを失いません。 宇宙のセオリーは、魂の旅または実地体験、あるいは単純に豊かで意義のある人生を実現する方法ととらえればよいかもしれません。 # 宇宙のセオリーで見つける「真の自己」 同じ朝焼けを見ても、人によっては違う描写のしかたをします。宇宙のセオリーと既成の哲学や宗教のあいだにある相違も同じようなものです。両者の違いは、ただ表現方法にあるだけなのです。 アメリカの哲学者ウィリアム・ジェイムズは、宗教と宇宙のセオリーを次のような言葉で融合させました。 「個人的な宗教経験というものは意識の神秘的状態にその根と中心をもっていると言える、と私は考える。(中略)少なくとも私は、この問題となる状態が実在しているということを、そしてその状態の果たす役割がきわめて重要であることを、諸君に納得してもらうことができるのではないかと思う」(ウィリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』岩波文庫、桝田啓三郎訳) どんな宗教を信じても、悟りを開くことは可能でしょう。インドの神秘主義者シュリ・ラーマクリシュナなどは、生涯で何度も改宗を経験しました。彼はキリスト教からヒンズー教、回教へと信仰をきわめたうえで、いずれの宗教も同じ真理に行きつくことを知ったのです。 宇宙のセオリーは、テーブルに置かれたコップのうちのひとつではありません。いくつものコップに注がれたすべての水なのです。 あなたは自分自身のために、これからの探求を行おうとしています。宇宙のセオリーをたどる目的は、つねに『自分』に限定されています。その目標とは、人生の真理を知って幸せになり、あなた自身が元気な人物となることなのです。 # 人の中には「二つの自己」がある 宇宙のセオリーには、基本原則があります。ここで紹介するのはそのうちのひとつで、これから本書の中で何度も引き合いに出されるものです。これを理解すれば、何もかもがすっきりと説明がつくことでしょう。 人の中には、二人の対立する自己が住んでいます。それは、「真の自己」と「偽りの自己」です。 偽りの自己には、その人の悪いところがすべて詰まっています。嫉妬深さ、ふがいなさ、怒りっぽさ、自暴自棄、心配性、意地の悪さ、いい加減さ、思慮の浅さといったその人の性格は、幸せに背を向けるものばかりです。 宗教ではこの偽りの自己を、「悪魔」とか「罪深さ」と呼んでいます。哲学では、「低次元の本能」と考えます。心理学では、「幻想に棲むエゴセルフ」と表現するようです。 どんな名称がついているにせよ、あらゆる内的圧力の根源になっているのは確かです。そして、これが外に向かって暴発すると、戦争や犯罪などの社会的悲劇が起こるのです。 偽りの自己に乗っとられた人は、自分の人生を歩んではいません。偽りの自己に追い立てられているのです。強迫的な欲求に追いまわされ、押さえようがない自分の怒りに苦しめられ、現実ではない空想におびえています。 なぜなら、自分とこれらの恐怖との見境がつかなくなっているからです。それは、偽りの自己が本当の自分であると勘違いしているからです。そうなると、この絶望はいつ果てるともなく続きます。 しかも、そうした悪しき本性をなおそうとしても、徒労に終わるだけなのです。どんな方法をとっても改善は望めません。人がつまずくのは、いつもこの部分なのです。 「よし、偽りの自己なんか自分の力で変えてみせるぞ」と、あなたは思うかもしれません。でも、無理なことは無理なのです。偽りの自己のもつマイナス志向は、火が熱いのと同じくらいに動かすことができない事実なのです。 では、私たちにできることはあるのでしょうか? # 幸福の壁を乗りこえる 偽りの自己を変えることはできないし、そうする必要もありません。ただし、跡形がなくなるまで消して、そこに真の自己を登場させることはできます。偽りの自己を変えようとするのは無理でも、本質的な自己に置きかえられるのです。 偽りの自己はあくまでも偽物です。それを頭に入れておいてください。つまり、実際にはないものだということです。 新約聖書では、真の自己は「天の国」だといっています。それは、より高いレベルにあるあなたの自己で、人に備わっている神の属性なのです。 そもそもこの真の自己は、だれにでもあるものなのです。では、真の自己を意識することによって、どんな可能性が広がるのでしょうか? きっと好ましくて楽しくて、満足がいくことが、山ほど起こるのにちがいありません。 ここで取り組むべきことは、想像上の自己を跡形もなく消し去って、現実にある自分の存在を中心にして、忠実な生き方をすることです。健康になる方法は、それ以外にありません。そして、これほど確かな治療法もないのです。 難問につきあたったときに「答えがわからない」と正直に認められれば、途方もなく大きな「力」がはたらきます。手も足も出ない状態への対処を「力」に任せれば、答えに導かれるのです。 これは、糸玉をじゅうたん織りの達人のところにもっていくようなものです。この達人は糸玉を引き取って、これまで私たちが織ってきたものよりはるかに美しい織物を作り上げてくれるのです。 けれども、この呪縛を解く方法はあるのです。それについては、次の章で述べることにしましょう。 # 真の自己の発見がすべてを変える 人は、偽りの自己が本当の自分だという間違った自己認識をしています。自分は真の自己なのに、それに気づいていないのです。 深い絶望の先には、必ず偽りの自己を本物に見せかけようとする空しい努力があります。人にほめられたい、賞賛されたいという強迫的な欲求が、そのよい例でしょう。そうです、エゴイスティックな自己は拍手を望んでやまないのですが、本当は、人間はエゴセルフとはまったく独立した存在なのです。 ただひとつ責められるべき点は、真の自己を知らない、または気づかないために、自分という人間を誤って認識していることにあります。真の自己が望む生き方をすれば、それだけ苦しみや愚かさが抜け落ち、穏やかさと知恵がもたらされるはずです。 「だけど、世間は悪意に満ちているじゃないですか。そんなに素晴らしい人生が実現するとは、とても思えないのですが……」 「雑草だらけの地面でも、チューリップの球根を植えればいずれは花が咲きますよ」 偽りの自己との決別は、こんなふうにして行われます。長いつき合いでも、厄介事ばかり起こす知人がいるとします。あなたは自分の人生からこの知人を追い出そうと決心します。すると、知人は背を向けて歩き出しました。 その姿を見て不安で仕方がないのは、どんなにはた迷惑でも、他に自分と親しくしてくれる人などいないのではないかと思われるからです。けれども、そうしているうちに思いがけないことが起こります。慣れ親しんできた偽りの自己が歩み去ると、別の方向から新しい人影が現れたのです。 悪い知人が離れれば離れるほど、この新しい人物は近づいてきます。そして最後には、これが新しい信頼に足る友人、真の自己であるとわかるのです。 # 無理に理解しようとせず、とにかく読み進める 心の中に急に侵入してきた新しい考えは、それを邪魔するたくさんの要素とぶつかります。小部屋の壁に勢いよく投げつけられたボールのように、新しい考えは、硬直化したものの見方や意見とぶつかって跳ねかえります。 ここまでに本書で出てきた考えも、あなたの固定観念とぶつかっているかもしれません。新たな概念は、なにやらうさんくさくて、非論理的に思えたりもします。だとしても、いきなり結論に飛びつかないでください。そうなると、その過程で出てくる問いをいっさい封じこめることになります。 それよりは、むしろ新しい考え方を携えて冒険の旅に出て、それに慣れ親しもうではないですか。 ぜひこだわりを捨てて、本書を読み進めてほしいものです。心をオープンにして受け入れようとしてください。そうすれば、パターンに陥った思考も解放され、新たな考えを吸収できるでしょう。 とにかく、はじめは重要なことを逃さず、理解したいと望むだけでよいのです。これは頭の良い悪しの問題ではありません。だれにでも十分な理解力はあるのです。 「でも、私はすぐにめげてしまうんです」 「がっかりすることはありません。ただ単純に、まだ理解が及ばないことがあると考えるようにしてください。知ろうとする姿勢を崩さないでください。それでうまくいくはずです!」 本書にはじめて目を通すときは、違和感を覚える箇所があっても、あえて理解しようとしないで、とにかく読み進めてください。中断して、あれこれ頭をひねるのは好ましくありません。 もし満足していないなら、新しい列車に乗りこむ自分を思い描きましょう。山を登るのは十分に可能です。一時間ごとに列車は出ているのですから。 では、列車に乗って出発です! # 第1章のポイント [1]自由で楽しい生活をしたいと、みんな心の奥底で望んでいる。 [2]この世でもっとも素晴らしい秘密(=宇宙のセオリー)は、どんな人でもそういう人生を手に入れられるということ。 [3]その証拠に、あなたはもっと豊かになれる生き方を模索している。 [4]宇宙のセオリーは、簡単で感覚的に理解できて、しかもあらゆる分野の成功に確実につながっている。 [5]問題やわからないことに答えを見出せるようになる。 [6]真理の探求は正しい方法、つまり宇宙のセオリーにもとづいて行う。 [7]正しい知識を得て、偽りの自己を消滅させ、真の自己にそった生き方をする。 [8]解決法がわかっているような気にならないことが肝心。 [9]宇宙のセオリーをたどる探求の旅には、心を十分開いてのぞむ。 [10]スタートは、今いるその場所から。 # 第2章_奇跡の世界への目覚め # 人間は特殊な催眠状態にかかっている 人は催眠状態の深い眠りについています。人生そのものが壮大な悪夢ですが、それを現実だと思いこんでいるのです。 なにしろ自分は眠っていないのだ、完全に意識のある人間なのだ、とうそぶけば、それが睡眠薬代わりになって、あっという間に夢の世界に入れるのです。 悪夢のなかで何度もひどい目にあいながらも、自分は目覚めているのだと言いつづけます。 人生を夢遊病者のように眠ったまま歩いているので、次から次へと障害物にぶつかって痛い思いをしますが、そんな衝撃があっても夢から覚めることはありません。宇宙のセオリーの支持者は何世紀にもわたって、このことを人々に知らせようとしてきました。 「自尊心を黙らせよう。自分は自由だと思っていても、実は縛られているのだ」(フランソワ・フェヌロン) 人間がかかっているのは、特殊な催眠状態なので自覚できません。そのため、そのことをあたかも自分の人生と関わりがないことのように、あっさりと無視できるのです。神秘主義や宗教の文献には、この無意識の眠りについてふれているものが少なくありません。 「眠りについている者、起きよ」(『新約聖書』「エフェソ信徒への手紙」五章四節) 覚えていてほしいのは、これがビジネスや学業、子育てにかかわっているすべての人に向けた言葉だということです。物質的な世界で多忙をきわめている人々こそ、目覚めて、人生を別の角度から見直すべきなのです! 私たちの魂が覚醒しているという思いこみは捨てましょう。これは何よりも重要です。 思い出してください。「偽りの自己」には、得意とするトリックがありました。それは、現状がどんなに欺瞞に満ちあふれていても、意識がはっきりしていると思わせることでした。その手に引っかかってはいけません。 先に進もうとするなら、むしろ私たちは今、催眠状態にあることを自覚すべきなのです。そうすれば、自分の精神は特殊な深い眠りに入っているので、そのことにも気づいていないのだという事実を受け入れられるでしょう。 「なるほど、それで合点がいきました。私は長いあいだ、自分や他の人たちのどこがおかしいのか、さっぱりわからなかったのです。催眠状態にあると考えると、納得がいきますね」 「今の時点でわからないことがあっても、あまり気にしないでください。まだ睡眠状態と覚醒状態の区別がつくほど、覚醒が進んでいないだけなのですから。なんといっても、精神的な眠りについているあいだは、目を覚ますまで本物の覚醒がどんなものかわからないのです。夜ベッドでぐっすり眠っていて、あなたは眠っていますよとささやかれたとき、聞こえるでしょうか?」 「聞こえないですね。あなたの言わんとしていることはわかります。それは、大空を知らないカゴの中のカナリアみたいなものですね。それにしても、大空とカゴの中では、雲泥の差です」 「およそ人間が体験することの中で、覚醒ほど劇的な変化をもたらすものはないのです」 # 奇跡の世界への覚醒 夢遊病者が物にぶつからないようにするためには、どうしたらよいでしょう? 答えは、「目を覚ます」。それだけです。目を開けさえすればいいのです。 精神が眠っている人にも、同じことがいえます。ただ目を開ける。それで悟りがもたらされます。 たとえおぼろげでも、悪夢が私たちを疲れさせ、恐ろしい思いをさせていることがわかってきたら、終わらせたいと願うはずです。でも、どうやって? 悪い夢から覚めるには、どんな方法をとったらよいのでしょうか? 内なる自己を変えたいなら、心から真剣に望むことです。 あなたもきっと、外部的な要素をおもちゃのブロックのようにただ並べかえたり、自分で大人としての解決方法を探ったりするのに、あきあきしていることでしょう。 現状に対する欲求不満をどうしても断ち切れずに悩んでいる人は、そんな心境になるものです。そういうときは、失意とイライラを募らせて、経済的にも世間の評判においても、また社会的にも、本物の成功とは縁遠い存在になっているはずです。 そうでなくても、ショックや悲劇的な出来事、不名誉な事件が起こって、自己満足の眠りから乱暴に揺りおこされたりすることもあります。ショックも罰ではなくメッセージとしてとらえれば、覚醒をうながす可能性があります。 そんなときは、「何かがおかしい、根本的に間違っている」と考えるべきです。 いえ、どんな人もそのような漠然とした内なるヒントを受けているのです。けれども、人は往々にしてそれに付随するメッセージを聞き逃してしまいます。 この今までにないおかしな胸騒ぎは、出口があることを示す、かすかな啓示をともなっています。ところが、覚醒がまだ未熟な段階では、絶望が示しているものを感じとったとしても、それが何だか見当がつきません。 でもそれは、漠然とはしていても、まったく新しい方向へのヒントなのです。確実に出口に導いてくれるものです。 「そんなご託にはわずらわされたくないね。おかげさまで十分幸せで、あちこち飛びまわってるんだ」 宇宙のセオリーは答えます。 「だってあなたの幸せは偽物ではないですか。それは自分が一番わかっているでしょう。うわべだけの幸せやでっちあげた忙しさの裏に、空しさがあるのは承知のはずです。自分をだまそうとするのはいいでしょう。でも、そわそわして怒りっぽくて、夜眠れないのはどうしてですか? ごまかしようがありませんよ」 そして、とうとう意地を張る気力もうせて、虚勢を隠れみのにできなくなったときに、はじめて気弱なところを見せるのです。 「うん、そのとおりだ。今はとにかくこういう状態から抜け出せるなら、なんでもいいからすがりたいよ」 # 新しい自分になるための「自己観察」 さて、いよいよ宇宙のセオリーにおいて、もっとも重要な手法についてお話ししましょう。 これを継続して行えば、だれもがまったく新しい人間に生まれ変わることができます。 そのきわめて重要で効果的なテクニックは「自己観察」です。 自己観察がどんなものかを説明する前に、自己観察と区別すべきものについて触れておかなくてはなりません。このあたりに多くの誤解がひそんでいるからです。 自己観察は、自己に精神を集中させる「内省」とは違います。そんなものですむなら、何百万という人が解放をなしとげているはずです! ひとりよがりな内省は、本物の自己観察とはまったく別物です。内省はいつも居心地の悪い感じがしますが、自己観察は、その居心地の悪さを解消する手立てだといえましょう。 自己観察では、自分の心の中だけでなく、外の世界でも物事の成り行きを観察します。あなたは、だれか他の人の身に起こったことのように、何もせずにただ見ているだけです。 自分のこととは思わないでください。新聞の見出しであろうと、心の中の感情であろうと、観察している対象にいちいち反応したり感想をもったりはしません。 良いか悪いか、楽しいか苦痛か、好ましいか好ましくないか、といった判断はいっさいしません。自分とは個人的な関わりがないかのように、ただ眺めているだけです。 自己観察は、受動的な無関心を意味します。あなたは自分の心の中で見たものを変えようとはしません。なにものにも干渉しません。身構えることもなく、意見を述べることもなく、ただただ見つづけるのです。 傍観者となって自分を通りすぎる恐れや失望、怒りを他人事のように眺めるのは、素晴らしい体験です。しかもその結果、魔法のように労せずして物事を正しい方向に変えられるのです。 「私は自分のことを四六時中考えていますよ。あなたの言わんとすることと、私がこうして自分のことばかり気にしている状態とは、そう違わないように思えるのですが」 「この点については、はっきりしておきましょう。自己観察は、自分について考えることではありません。一八〇度違う世界といってもよいでしょう。自分に没入するのは、野生のトラにつかみかかって格闘するようなものです。自己観察は、トラが通りすぎるのを静かに眺めているだけです」 どうして、自己観察が大事なのでしょうか? なぜなら、これこそがまさに自己認識の鍵だからです。自己観察によって、こうあるはずだと考えている自分ではなくて、ありのままの姿の自分を見ることができます。 この現実的な観察を土台にすれば、新しい自己を形成できます。しかもうれしいことに、自分が変わると、周囲の物事までも変わるのです。 # 自分に対する新鮮な感覚が生まれる体験 ここで、今すぐやってほしいことがあります。 この本から顔を上げてください。首を上下左右に振って頭の中をすっきりさせたら、周囲を見まわします。 自分がどんなところにいるのか、よく見てください。部屋を見るのではありません。部屋に自分がいることを意識するのです。「たしかに自分はここにいる」と考えてください。 それができたら、自分をまったく新しい感覚でとらえられるはずです。今部屋の中を見まわしている自分と、ちょっと前に本に没頭していた自分とは、考え方が違っているのがわかりますか? 読書に夢中になっているあいだは、あなたの意識の中にあなたは存在していませんでした。読書しているとは思っていても、自分が読書しているとは感じていませんでした。 ところが今は本に集中するのをやめて、部屋にいる自分自身の存在をしっかり意識しています。さあ、あなたはなんという素晴らしい術を身につけたのでしょう! 私たちは自己認識のできる人間になることを目指しています。しかもそれは、真実を探す場所さえ間違えなければ、必ず達成できることなのです。 内なる自己に気づくことは、内なる王国に到達することと同じことです。それは真実そのものです。覚醒と幸福は、まったく等しいものといってよいでしょう。 偏りのない目で自己観察をすれば、これを突破口に、自分に対する新鮮な感覚が生まれます。 この出口は、心の闇から夜明けの世界につづいています。 自己観察を行っていると、見えるものに困惑することになります。自分で思っていたのとは、違う自分がいるからです。そんなはずはないと完全否定していた面が、実は自分の中に隠れていたりします。 どんなに当惑しても気にしないことです。そして、目をそむけてはいけません。ただありのままに受け入れるのです。新たに得た洞察は、きっと今後を良くすることはあれ、悪くすることはありません。 では、どうしてただ観察することで、以前にもまして健全な感覚を得られたのでしょうか? それは、私たちを無意識の牢獄につないでいた否定的な面が、白日のもとにさらされるからです。精神分析医が証言するように、精神の光は闇を消し去るのです。 # 目覚めによって起こる変化 [1] 健やかな体調 内なる自己に気づき、覚醒することによって、あなたは以下のような変化を体験することでしょう。 何よりも確実なのは、覚醒によって、その後健康でハツラツとした状態がつづくということです。 [2] つまらない悩みから解放される 今までくよくよしていたつまらないことが、まったく気にならなくなります。 [3] 高揚感の継続 とうとう正しい道にたどりついたのです。これ以上にいい気分がつづくことはあるでしょうか? [4] 孤独感が消える 群集の中にいてもみんな寂しさを感じるのはなぜでしょうか? それは騒々しい興奮状態にないと、自分が不安になるからです。そんな状態はいつまでもつづくものではありません。目覚めた者は、真の自己の世界に住んでいるので、寂しさを感じようがありません。 [5] 新たな自分の受容 もうひそかに自分をきらわなくてもよくなります。 [6] 人を見る目ができる 覚醒をした人間が共同経営者を決めるとしたら、分別ある判断を下せる人物を選ぶでしょう。 [7] 人生の謎の氷解 大きく目を見開いた者には、セックスにせよ、金銭、宗教、幸福にせよ、どうすることが正しいのかがわかります。 [8] 安全が確保できる 五感がうまくはたらきます。よく見え、よく聞こえるようになります。 [9] 高次からの波動 カップは上から見る人には開かれて見えますが、下から見る人には閉じられています。同じことが、解放についてもいえます。解放された者には、たえず心の平安や快活さ、くつろぎの波動が送りこまれています。 [10] 自己破滅の回避 本を読んでいて誤字を見つけたとき、どんな感じがしますか?おかしいと感じるでしょう?正しい字に直したいと思うはずです。解放された者も同じような感覚で、自らの行いをただします。 [11] 楽しい暮らし 毎日の生活を心から楽しんでいる人は、どれくらいいるでしょうか? 目覚めた者は、なんでも楽しめます。 [12] なんでもシンプルに 万事がシンプルになります。宇宙船の打ち上げにはとてつもないエネルギーが必要ですが、その後は大きな推進力なしで宇宙空間に達します。目覚めた者は滑るように楽々と前進します。 # 自己に対する理屈抜きの洞察 [1] 自分で取り組む 現実に即した自己理解のためのアプローチ方法は、原則的に二通りあります。 [2] 高いレベルにある人の話を聞く 実際には、多かれ少なかれどちらも行っているのですが、とりあえずそれぞれについて考えてみましょう。 まずは、本書で述べられているような方法を、自分で試してみるやり方です。 自分がなぜ、そのような行動に出るのかを観察します。苦しみや問題の原因は、もとをたどると間違った考え方にあったことがわかるでしょう。この方法を通して、自分をごまかさずに真正面からとらえることができます。 ただし、だれかの助けを借りてもよいのです。さあ、ここで宇宙のセオリーの出番です。きっと救いの手をさしのべてくれるでしょう。 特別なことをする必要はありません。ただ理解すればよいのです。丘よりも山の上に立ったほうが里の景色がよく見えるように、行動には理解のレベルが反映されます。 自己認識は、大学の学位や本の知識などはまったく関係ありません。要は自己に対する理屈抜きの洞察なのです。「魂の洞察力」を呼び覚ますときに、そうした知的教養はあまり役に立ちません。 スイスの精神科医カール・ユングは、東洋の神秘主義と西洋の心理学の橋渡しをした人物です。彼はその質問に、こう答えています。 「この問いにイエスと答えられるのは、厳正なる自己分析や自己認識を行おうとしている人の場合に限られる。意志をつき通せば、自分自身についての重要な発見があるだけでなく、心理的にも得るものがあるだろう。(中略)その人は、いうなれば、自らの人間としての尊厳を高らかに宣言し、意識を形作っている土台に向かって最初の一歩を踏みだしているようなものである」(C・G・ユング『未知の自己』) # 自分で自分を傷つけないために 自己理解が十分でないと、自分をひどく傷つけてしまうと聞いても、まさかと思う人が大半でしょう。自分を傷つけるのは、いつも他のだれかとしか思えないからです。 けれども、心の痛みの本当の原因は、自分の中にあるのです。たとえば、否定的な感情がそうです。 雨が降ってピクニックが台無しになったとき、雰囲気を暗くしているのは雨でしょうか、それともあなたの気持ちでしょうか? だれかに約束を破られたとき、私たちを傷つけているのは、約束が破られたという事実でしょうか、それともそれに立腹している当人でしょうか? これを突きつめると、「否定的な感情にこだわると自分が損をすることになる」という単純な事実に行き当たります。 欲求不満を感じているときに、穏やかな気持ちになれるでしょうか? 答えはノー。がっかりしているのに、心から楽しめるでしょうか? まさか。私たちはどちらか一方にしかなれないのです。 この真理を照らす事実を、すっかり理解した人はどうなるでしょう? すぐに悪いほう悪いほうに物事をとるクセをやめるでしょう。そして否定的考え方のために、自ら幸せから遠ざかっていたことに気づくのです。 「怒るのがよくないのはわかってるんですが、自分ではどうしようもなくて・・・・・・」 「こういうことなんですよ。人が激怒するのは、自分が装っている人物像を汚されるからなのです。自分が偉い人間だと思っている人は、軽んじられると、すぐに目をむきます。偉くなろうとしなければ、気分を害することはありません。インディアンの酋長になりたくなければ、羽冠を取られても気にはならないでしょう?」 目覚めた者は、もはや自分に対する罪を重ねることはありません。心身症になったり、恥にさいなまれたりはしないのです。 恥を感じることが自己に対する罪になるって? もちろんです。生まれ変わった人間の目には、心理的自己がとりつかれた愚かさが映ります。だからといって、それまでの自分や他人を傷つけてきた行為を非難するのではありません。ただ、そのように振る舞った理由が見てとれるだけなのです。 そう、その人は害をなさずにはいられない偽りの自己に操られていたのです。 # 第2章のポイント――自己認識の基本原則 [1] 人間は特殊な催眠状態にあるが、そのことには気づいていない。 [2] 目覚めたあと、この世ははじめて目にする奇跡の世界になっている。 [3] 目覚めた者は人生をやりなおして幸福になれる。 [4] 人生を変えるもっとも効果的なテクニックは、客観的な自己観察である。ぜひ日常に取り入れたい。 [5] 自己観察では、自分の中や外部世界で起こっていることを静かに観察するが、見ているものに対しては感想も判断もさしはさまない。 [6] 自分について知れば、望むような自分になれる。 [7] 自己観察によって好ましくない面が見えても気にしないこと。正直に認めるだけで、それを打破できる。 [8] 目覚めたおかげで、豊かになれるさまざまなメリットを覚えておきたい。 [9] 自己理解にたゆまない努力を。想像以上の力になるはずだ。 [10] 目覚めよ! # 第3章_宇宙のセオリーの力がもたらす奇跡 # 「この世のなにものにも振りまわされることはない」 「自分の内面に注意を払うだけで、外部世界の物事がどうして変わるんだろう」―――そう疑問に思う人もいるでしょう。そういう人は、仕事や人間関係、家庭生活に、なにか不都合が生じるのではないかと心配しているのです。 ところが実は、その正反対のことが起こるのです。むしろ生活全般が、信じられないほど輝きを帯びるといってもよいでしょう。内面が変われば、必ずその変化が外にも現れます。 目覚めた人は、外部世界の物事にこれまでどおりうまく対処できるのはもちろん、物事を意のままに動かせるようになります。 精神状態が破綻しないためには、何かが起きなければならないという「条件づけ」はなくなります。その人は自分を発見して、「この世のなにものにも振りまわされることはない」という素晴らしい真実を手に入れたのです。
「内面に生きる人は外部的な出来事に気をとられていないので、自分に気づきやすいのです。内面に秩序があれば、他の人がどんなに奇妙で迷惑なことをしてもわずらわされません。」 トマス・ア・ケンピスという思想家は、中世の時代にこのような生き方についての指針をまとめました。これほど実生活に即した生き方がほかにあるでしょうか? # 何もしなくてもよいことが起こる 物事をよくしようと、いろいろ手を尽くさなくてもよくなるときが来ます。何もしなくても、よいことが起こるのです。 あなたはきっと驚くでしょう。なにしろ、やることなすことすべてがうまくいくのですから。これが本物の奇跡というものでしょうか? 「そうか、これが奇跡なんだ!」 目覚めた人は、外部的な問題をどのようにして改善できるのでしょう? 現代生活の一場面を取り上げて考えてみましょう。あなたも職場で実験してみてください。 電話をかけたり会議に出席したりする前に、その目的を確認してどこかにメモします。無駄な話がいかに多いかが実感されることでしょう。 もはや宇宙のセオリーが実生活で通用するかどうかという問題ではありません。絶対にその効果に目覚めるべきなのです。 だから、耳を傾け、吸収し、調べ、実験してみてください。そして、新たな可能性に気づくのです。物事を思い描いているようにではなく、ありのままに見ることを覚えてください。私たちは、ただ本来の姿だけを見ていればいいのです。 # だれにでも可能な「宇宙のセオリー生活」 真の自己に、はじめて小声で「イエス」と言った瞬間に、見える景色は変わりはじめます。それがどの宗教でもいう「新生」の始まりなのです。 「でも、嵐のような外部の生活とかかわりながら、内面の平安なんて実際に保てるものでしょうか?」 「落ち着き払っていられますよ。なにしろ自己発見をした人は、外部の物事でも大成功をおさめているか、見るも無残な失敗をしていても全然気にしていないかの、どちらかですから」 「誤解しないでください。自己解放をなしとげた人は、成功と失敗について、世間一般とはまったく違う感覚をもっているのです。この二つの言葉は、その人にとっては事実上存在していません。 だから、どんな結果が出ても楽しめます。もはやよい結果が出なければいい気分になれないということはないのですから、山頂にたどり着いたような爽快感があります」 宇宙のセオリーに沿った生活を送り、心の平安を得るのはだれでも可能です。年齢も、仕事のゴタゴタも、家庭の問題も関係なく、どんな人でも可能なのです。 問題は、内面の成長です。どこに行くにしても心はついてまわります。ですから、心を豊かにする機会に事欠くことはないのです。心配は心の中にあります。平安も心の中です。 # 宇宙のセオリーで悩みのない人生に到達する 宇宙のセオリーは、自分で体験するものです。単なる観念の議論ではありません。 宇宙のセオリーの教えについての文章を読み、それについて話し、考えを深めても、最終的には自分の心の中でその正しさを確かめることが必要なのです。 「宇宙のセオリーにそった暮らしは、自然に親しむ暮らしと同じで、それ自身が豊かさを表している」(ウィリアム・ロー) ただし、ただ知識を得るだけで終わらせてはなりません。知識は自分自身が感知するための土台だと心得ましょう。洞察をともなわない知識は、図書館に引かれた馬も同然です。 自分を高めるために、役立たないものなどひとつもありません。毎日の小さな出来事の中に、真実を悟る機会をもとめましょう。 自分に関して起こる出来事はひとつも無駄になりません。と同時に、抵抗を試みてはなりません。ただ観察するのみです。宇宙のセオリーの実践者はこのようにして、悩みのない人生に到達するのです。 「こういった疑問を解明する手立てはひとつしかありません。議論や討論ではなく、神聖な啓示を直接体験するしかないのです。だれにも頼らず、各人が啓示を自分のものにするのです。そのときはじめて、天の国の本当の意味を見出せるでしょう。 探し物は、まさにここ、そう、あなたの中にあります。もとめているのは、まったく自分とかけ離れた異質なものではなく、自分の奥深くに秘められたもの、あなたの本質なのです」(ポール・ブラントン『自己発見』) # 意識のレベルで起きる夢のような変化 真理の探求者が、魂の師に向かってこぼします。 「師よ、私の周囲の人たちは不愉快でたまりません。みんな不誠実で思いやりに欠けているのです。どうやったら、こういう人たちを変えられるでしょうか?」 師は答えます。 「自分を変えなさい」 宇宙のセオリーの先にあるのは、自己改革です。この師が語った教訓を一日に十回思い出したとしても、多すぎることはないでしょう。 条件づけられた頭脳は、人の考えを相変わらず狭い価値観の中で、紙幣を小銭に替えるように置き換えるだけです。ところが、宇宙意識から何かを得るというのは、もとの紙幣に金塊を加えるようなことなのです。 宇宙のセオリーの真実を知れば、意識のレベルは自然と高まります。お世辞を言われてもうれしいとは思わず、非難されてもムッとしなくなったら、変化は起こっているといえます。 もうひとつうれしい変化は、時間に対する感覚がまるで変わることです。時間に追われているような気がしないわりには、日常的な仕事は以前よりもはるかに効率よく進められます。そうなれば、あなたは、宇宙のセオリーが「今」と呼ぶ、素晴らしい瞬間に生きているのです。 # 宇宙のセオリーの道を歩いた人々 私たちは前に、宇宙のセオリーを、より豊かな人生を実現するための健全なアプローチの方法と定義しました。ならば宇宙のセオリーの実践者とは、自分自身のために豊かな人生を見出し、しかも他の人々の道しるべになれる人物と定義できるでしょう。 宇宙のセオリーの実践者は真理に通じる新しい人生を見出しました。でも、かつては他の実践者と同じように、いやそれ以上に苦しみ、誘惑に悩まされ、迷ったこともあったはずです。けれども、その人は勇気をふるって実践をつづけ、ついに答えにたどり着きました。 真の宇宙のセオリーの実践者は真実を実体験しますが、催眠術をかけられた者は、ただ指示を実行するだけです。 「だれでも宇宙のセオリーの実践者になれるんですか?」 「もちろんですとも。本物の実践者は話のわかる人物で、騒然とした世界のまっただ中にいながらも、その愚かさを超えた存在なのです。オフィスのデスクに座っていても、キッチンで料理を作っていても、宇宙のセオリーの道は十分究められます」 老子は、王室の秘蔵書の書記官でした。 ローマ皇帝マルクス・アウレリウスは「自分の内を見よ。内にこそ善の泉がある」と書き残しています。 デンマークの思想家キルケゴールは「私は私自身になった」という驚くべき言葉を吐いています。 これらの偉人は宇宙のセオリーの基本原則については、次のような一致した見解をもっています。 [1] 人間が苦しむのは、ある種の催眠状態にあるからだ。 [2] 適切な努力と知識によって、その呪縛をふりはらい、新しい人生を歩むことができる。 # パスカルの勇気ある指摘 「人生は、終わりのない幻想にしかすぎない。人間は互いに騙しあい、媚びへつらう。本人がいないときに言う言葉と、本人を目の前にして言う言葉は明らかに違う。社会は、相互の偽善のもとに成り立っている」 こうパスカルは論じています。 いいえ、これは悲観論者の言葉ではないのです。むしろ最高に楽観的で勇気ある指摘だといえましょう。 悲観論者は、自分を含めて人間の愚かさに直面したがりません。けれども、宇宙のセオリーでは、人間の健康は取り戻せると知っています。そのため、治療の必要性を見越して、大胆に病気の診断を下すのです。 「そういう悪循環を断ち切るには、どうしたらよいのですか?」 「ここで聞いたことを、ちゃんと把握できたら大丈夫でしょう。といっても、ただ目覚めればよいだけなのですが。 それはそうと、自分の愚かさに恥じいったり罪悪感をもったりはしないでください。過去の過ちは、本来のあなたとは違う、偽りの自己の仕業なのですから」 こんなことは、だれにでも起こりえることです。でもそうなっても、苦しみのどん底に沈まないでください。過ちの大小にかかわらず、これを材料にして、自分がどんな誤った自己イメージをもっているのかを確認すればよいのです。 # 「同一化」という心理的ワナ ある特殊な心理的メカニズム、「同一化(アイデンティフィケーション)」を取り上げましょう。この心理状態を理解する重要性は、どんなに強調してもしすぎることはありません。というのも、同一化は私たちの生き方のあらゆる面にかかわっているからです。 同一化とは、心の中や外部世界のものに心を奪われ、そのことばかりを考えてしまう状態をいいます。 そうしたものへの考えにふけるのは、安心を感じたいからです。私たちは自分が何者であるかを知りたいと思っています。そして、永遠不滅に思える何かにすがりつきたいとも望んでいます。 ただし、そうしても心の安定は得られません。むしろ正反対の状況を作り出してしまいます。何かに同一化しはじめると、そのとたんにそれを失うのが怖くなります。 同一化はまた、何かを本質的な自己の一部だと取り違えるようなことを意味します。たとえば、名前です。あなたは、あなたの名前と同一のものではありません。名前は誕生とともにつけられたラベルにしかすぎません。 真の自己には、名前、身体、お金、仕事、流行のメイクやヘアスタイル、個人の信念などは、いっさい含まれていないのです。あなたとこのような付属物とは、まったく違う存在のものです。 自分の思考と同一化すると、その思考は空想になります。空想にとらわれていると、私たちに力を与えてくれるはずの高次のメッセージまでも受けとれなくなってしまうのです。 # 悲しみから解放されるために とにかく、最後までこの本とおつき合いください。そうすれば、感傷的な思い出に振りまわされなくなるという、素晴らしいプレゼントがあります。 それでは、次に悲しみを感じたとき、よく観察してみてください。その悲しみは、過去のある時期の思い出と、どこかでつながっているのではないでしょうか? その悲しみは、残酷なだけで、無用な感傷から生じたもので、それ以上でも以下でもありません。楽しかった思い出は過ぎ去ってしまったので、私たちはやりきれなくなるのです。 ここ過去への執着を捨てれば、心の中の思い出に翻弄されることはなくなります。昔はよかったのにと、悲痛な思いにひたることはなく、今のありのままを穏やかに楽しめるのです。 悲しみの原因となった「同一化」は、振り子の原理で確実に突きとめられます。刺激的だと思われるものと同一化すると、いつかはその反動で退屈を味わうことになります。 執着を捨てた人には素晴らしいことがあります。上司は相変わらず横暴でしょうが、もはやあなたを悩ませる力はありません。 執着を離れた観察者という新たな役まわりを得たあなたは、何もかも心得ていながらも、なにものの影響も受けません。 では、人間が偽りの自己でないとしたら、その正体は何なのでしょうか? それは「真の自己」です。真の自己は意識の源、あらゆる出来事の観察者です。そして、真の自己こそが、人間の中で永遠不滅なのです。 # 宇宙のセオリーの道の歩き方 迷わずに歩く方法を学ぶ一方で、私たちは自らの過ちに気づきます。そして、気づいたら、偽りを真理とみなすことをやめなくてはなりません。 人生がぎくしゃくしていればいるほど、本物だと思いこんでいる偽コインの枚数が多いのです。しかし、意識が開かれれば、銅貨ではなく銀貨が手に入ります。 空虚さを恐れてはなりません。それは、あなたの思っているようなものではありません。 空虚がそこにいたいというなら、存在を認めてやればいいのです。そうすれば、自分はペテンにかけられていて、空虚は苦痛だと信じこまされていたのがわかります。 心の中の黒板をイメージしてください。書いてある文字の上に重ねてまた文字を書いたら、わけがわからなくなってしまいます。そうならないためには、書いてある文字を先に消さなくてはなりません。そのうえで、洞察力に富んだ英知の言葉を書き記すのです。 現状が絶望的であることを見抜いている人は、真実を熱心に知ろうとします。はじめはプライドがちくちくと痛むかもしれませんが、その人はようやく行動を起こしたのです。 宇宙のセオリーの道をたどっていると、面白いことが起こります。それは、物事がだんだん気の重いものではなくなるということです。 最初の頃は、悩みの答えもわからなければ、答えが見つかるかどうかも不確かなので、どうしてもひどく気負った態度でのぞむことになります。けれども、一筋の朝日がさしたあとは、気持ちも明るくなってゆとりが出てきます。 # 第3章のポイント――覚えておきたい要点 [1] 宇宙のセオリーの真実は実生活に役立ち、新たな方法で活気づかせる。 [2] だれでも満足できる人生を送れる。真摯な探求は必ず報いられる。 [3] 言葉だけの理解に終わらないこと。宇宙のセオリーは自分で体験したい。 [4] あらゆる出来事を利用して、自己を理解し、向上させる。 [5] 自己改革は、宇宙のセオリーの奇跡だ。 [6] 宇宙世界のことをよく究めた偉大な思想家は、内面の旅の道案内をしてくれる。 [7] 同一化を知ったら、同一化にはまらないよう気をつけよう。 [8] 外部の善行をよくつむのは立派だが、内面の変革とは別物である。 [9] 真の自己以外のものに、依存するのはやめる。 [10] 宇宙のセオリーの道は、力を抜いて明るい気分で歩く。 # 第4章_一瞬一瞬を最高の気分で # 自分をありのままに見つめる ということです。 先日、ロサンゼルスのダウンタウンの街角で、街路を渡ろうとしたときのことです。どういうわけか信号機がおかしくなって、「止まれ」から「進め」、「進め」から「止まれ」へと、滅茶苦茶に点滅しはじめました。とまどった歩行者は、進んでは止まり、まわれ右してまた歩きはじめました。みんなどうすればいいのかわからなかったのです。 感情の信号機が故障すると、人々にも同じことが起こります。右往左往するばかりで、自分ではどうしていいかわからなくなります。 では、自分の感情とうまくつき合って成功するための究極の秘訣を教えましょう。それは、 「世の中がうまくいっているから気分がよくなるのではなく、気分がよいから世の中がうまくいくのだ」 まずは、さまざまな感情と顔見知りにならなくてはなりません。自分の気持ちを決めてかかるのではなく、ありのままに見つめる必要があります。そうすれば、私たちを催眠状態にして傷つけていた、感情の呪縛を解くことができます。 否定的な感情は、深いかごの底にある雑草のようなものです。かご、つまり意識の口まで持ち上げれば、現実の風が吹き飛ばしてしまいます。 自分の中にどんなに恥ずべき感情を見つけても、尻ごみしないで向かい合ってください。それがその感情から解放されるための大きな一歩となります。 # 否定的感情を生じさせているのはあなた自身 この先を読む前に、あなたが今、一番もてあましている否定的感情について考えてみてください。おそらくそれは、退屈や不安、徒労感といったものでしょう。ところが、こうした感情は、あなたの自己の探索に何よりも大きなメリットをもたらすのです。 否定的感情についての基本事項をおさえておきましょう。すべての否定的感情は、誤った自己認識から生じているのです。 私たちは偽りの自己を自分だとみなしていますが、それは誤りです。悲しみ、嫉妬、罪悪感、不安感といった苦痛をともなう感情は、どれもこれも偽りの自己になったすっぱい果実なのです。今日はこの果実の秘密にたどり着いたのですから、素晴らしい日です! 木の幹を切り倒してしまえば、すっぱい果実も消えてなくなります。すると、私たちは毎日まったく違う気持ちで朝を迎えられるのです。 否定的感情については、わかりきっているのに見過ごされがちな事実があります。それは、感情を生じさせているのは、外部的な出来事ではなく、本人だということです。 たしかに外部的な出来事は、無理難題を突きつけるかもしれません。けれども、それに反応をするのは当人です。だから、注目すべきなのは、起こった出来事そのものではなく、私たちがそれをどう受け取るかということなのです。 苦しい感情は、その感情をしっかりと意識すればなくなります。自分の中に何を見つけようと、目をそらすことなく、なんの感慨をいだくこともなく、まっすぐに見据えるのです。 # 「偽りの自己」と「真の自己」を分離する方法 これは道教に伝わる話です。馬が群れを作って、勝手気ままに野山を跳ねまわっていました。 腹がすけば青々とした草を食み、のどが渇けばひんやりとした小川から清らかな水を飲みました。馬たちは自然のふところにいだかれて、自由で満ち足りた生活を送っていました。 そこに、伯楽という名の馬の調教の名人がやってきました。伯楽は疑うことを知らない馬をやすやすと捕らえ、安っぽい馬具で飾りたてて番号を割りふりました。馬たちは、芸をしこまれ見世物にされました。かつては自由気ままに生きていた馬たちは、芸を強いられるようになってから弱りはてて病気になり、絶えずびくびくするようになりました。 私たちはどのようにしたら、人生に対する自然でのびやかな感覚を取り戻せるのでしょうか? このフレーズの鍵は「あなた」という言葉にあります。もうおわかりのように、人の苦しみのもとはすべて誤った自己認識にあります。 人は、マイナス志向である偽りの自己を自分だと思いこみます。ところが実際は、その人が真の自己でなかったことは一瞬たりともないのです。 あなたの「感じたこと」と、「本当の自分」を分けて考えればよいのです。あなたは悲しみと同一ではありません。 否定的感情に人格を与えるのはやめましょう。それに「私」を結びつけてはいけません。それならばいっそ、感情の主語には「それ」を当てはめたらどうでしょう。 「それはがっかりしている。それはどうしようもなくなっている。それは欲情の虜になっている。それは罪悪感をもっている。それはアルコールが飲みたくてたまらない。それは復讐を望んでいる。それは縮みあがっている。それは食べずにはいられない。それは苦しんでいる。それは裏切られたと思っている。それはまごついている。それはバカげたことをする。それはひそかに憤慨している。それはやきもちを焼いている。それは退屈している。それはイライラしている。それは夜眠れない。それは短気だ。それは疲れ果てている」 これで、どんなことが起こるでしょう? 偽りの自己と真の自己が分離するのです。 こうして同一化の誤った感覚を分けると、あなたはその感情から生まれる苦悩からも離れられるようになります。 # うつの治療にはまず「偽りの正体」を見つける 「私がいま、一番悩まされている否定的感情は、うつです。どうして、こうも気が滅入るんでしょうか?」 「注意して聞いてくださいね。これが理解できれば、問題も解消されるでしょうから。うつ状態は、自分の人生が空っぽであることに突然気がついたときに起こります。 仕事も順調、社会活動も文句なしと思っている人物がいたとします。ところが、それがただの行動の成果にすぎないことをちらりとでも知ってしまうと、うつが襲ってくるのです。宮殿暮らしの夢から覚めたら泥小屋にいた、というのと同じようなものですね」 「どうやったら治るんですか?」 「わが人生に目的ありと胸を張っている人は、その虚飾の裏にある真実を見抜こうとしてください。はっと胸をつかれる思いをします。そのうえで偽りの目的を捨てて、偽りの自己ときれいさっぱり手を切ったら、真の目的が人生に加わるのです。そうなったら、絶対に落ちこんでいられなくなるはずです」 「もちろん、悪いことはないですよ。どうぞ遠慮はいりません。仕事でも家庭内のことでも、世間的レベルでやりたいことがあったら成功してください。外の世界で好きなだけ幸運をつかんでください。 ただ、そのことがあなたの内面にプラスになると思ってはならないのです。世の中の成功を、心の豊かさを表す尺度にするべきではありません。 覚えておいてください。あなたは、仕事や家庭の属する物質世界と魂の世界という、二つの世界に住んでいるのです。それを混同させるべきではありません。外の世界で成功して真の自己を見つけようとしても、結局は失敗して落ちこむことになります。家の外壁を塗りなおしたのにリビングの様子が変わるわけはないでしょう?」 不幸を理解すれば、幸福がもたらされます。偽りの正体を知れば、真実を見分けられるのです。 # 苦しみを生む願望からの解放 「人間の典型的な特質、虚栄心との関連について考えてみましょう。虚栄心の裏には、苦しみや不安があるのに気づいたことはありますか? 私たちは、人にあまり注目も評価もされなくなることを心配しているのです。 虚栄心は偽りの自己の好物です。しかもその食欲にはかぎりがありません。与えても満足することがないのです。そのため私たちは、注目やお世辞といった食物を血まなこになって探しつづけます。」 「宇宙のセオリーにごまをするというのは、リンゴにいい出来だねと賞賛の声をかけるようなものです。宇宙のセオリーでは、エゴセルフと同一化していません。支柱にすべきは、自分をはるかに超えた力であることがわかっているのです。だから、人間関係であれこれわずらうこともありません。人に対する自己中心的な欲求のために悩まされたりはしないのです。 ところで、はからずもこの状態は本物の愛を生じたりします。だれかを愛しているときは、その人から何も望んでいないでしょう?」 偽りの欲望がはじき飛ばされると、人間関係が驚くほどスムーズになります。もはやだれもあなたの心をかき乱す力はもっていません。あなたはだれに対しても、誠実このうえない態度と自信をもって向き合います。 A氏にいいと言ってもらわなくてもよくなったので、A氏にはもう縛られていません。Bさんにつき合ってもらって、寂しさをまぎらわさなくてもいいので、彼女がいてもいなくても、不満を感じることはなくなりました。 早い話が、しつこくつきまとう欲望は、まがいものの自己の一部だということです。 ところが、それも私たちが目覚めた状態だと、源になるものがなくなるので干上がってしまうのです。自分を苦しめていた欲望が永遠に消滅するのを見るのは、本当にすっきりするものです。その後は健全な欲望だけが残って、苦しみではなく本当にプラスになることをもたらしてくれるのです。 # 怒りに対するたったひとつの答え 慈悲深い王が、国の貧しい民に救いの手をさしのべようと思いたちました。 この王は賢くもあり、ただで施しを与えようとはしませんでした。働かずして得た金が人を堕落させるのを承知していたのです。そのかわり王は、長くて暗い谷のはずれに何軒もの食べ物と衣服の店を建てました。 この店にたどり着くまでの道筋には、わらの人形が置いてあります。店に近づけば近づくほど、人形は恐ろしげな形相になっていきます。その恐ろしい人形から逃げずに先を進むことができた民だけが、王の褒美をもらえたのでした。 私たちのすべきことは、これと同じです。感情の障害物に立ち向かって、薄っぺらな虚飾を見抜くのです。もしそれが実行できたら、嫌な感情は、波にのまれた砂の城のように跡形もなく消えてしまうことでしょう。 すると、いつしか非常に面白い心境に達します。これまで頭を悩ませていたことに、かかずらうのが時間の無駄に思えてくるのです。 「私はこのセミナーでは、ふだんは隠していることも話せてしまうんです。では、怒りについてお聞きします。私は短気を押さえようとはしているんですが、うまくいったためしがありません。あなたのご意見をうかがいたいのですが?」 「怒るまいとするのをやめるべきですね。我慢を強いることになりますから、状況はますます悪くなります。頭にきたと思ったら、怒ればいいのです。ただし、そのことで自分を責めてはいけません。ここが肝心ですよ。あなたは立腹する自分を責めています。だからこそ、あなたはそのことを隠すのです。 あなたは、穏やかで怒らない自分という理想の人物像を思い描いているでしょう? だから、怒りがこみあげてくるたびにショックを受けるのです。ショックを受けるのは、現実の怒りが穏やかな人物像と激しく食い違うからです。そして、この実物をこえたまがいもののイメージに執着があるので、あなたの怒る回数は増えるのです」 「そのためには、自分の怒りと同一化せずに観察してください。怒りが湧き上がって静まるのを、恥かしがったり感想をもったりせずに、ただ見ているのです。これこそが古今東西で、怒りから解放される唯一の方法です。しかもあなたは、どうしても自分を解放する必要があるのです」 # 幸せはすぐそこにある 人はどうしてしょっちゅう不愉快になるのでしょうか? 私たちの感情は、どこかおかしいのでしょうか? 宇宙のセオリーではこう考えます。心を澄んだ状態にすれば、どんなにこじれた感情も解消できないことはありません。問題は、現実を土台にした感情ができあがる前に、自分の感情にこだわってしまうことにあるのです。 私たちは、今いるこの場所で幸せになることができます。それはまぎれもない事実です。幸せには幻想は入りこみません。幸せな人は、自分に同化させることなく物事をありのままに見ています。 それがわかれば、「今すぐ幸せになれる」という言葉の意味も正しくとらえられるでしょう。しかもこのことを人生の支柱にしているかぎり、いつまでも幸せを感じていられるのです。 重要なことですから、もう一度繰り返しましょう。「自分が理解する前に、物事に関する印象を勝手に作りあげてはいけません」 現実に根ざさない感情はあなたを裏切ります。そして、その感情が居座っているかぎり、本来の感情につながる現実を体験できなくなるのです。ところが、現実にもとづく感情は揺るぎません。外部世界がいくら変化しても、不安定にはならないのです。 真実とはこういうものです。喜びを得る前に、私たちは誠実さを試されます。私たちが正しければ、正しい感情が生じて、いつまでも消えることはないのです。 「神秘を感じたときの感動ほど、素晴らしくて心揺さぶられる体験はない」(アルバート・アインシュタイン) # 覚醒のための確かなステップ 宇宙のセオリーの道をたどっていくと、私たちは再三再四、「目覚めよ!」という啓示を受けます。この項では、簡潔で目覚まし効果抜群のヒントに数多く出会えることでしょう。 人は、人生には数多くの問題があると考えています。ところが、そうではありません。問題はひとつしかないのです。要は、道に迷った子どもが家に帰れなくなっているというだけのことなのです。 真実の強さは、思考や感情、欲望、性欲、後悔、金銭、恐れ、退屈、過去、未来をしのぎます。人生のいかなるものよりも強いのです。宇宙のセオリーの道をたどる者は、このような苦しみにいっさいわずらわされることはありません。 ギリシアの哲学者ピタゴラスが門下生になった者に真っ先に告げたのは、「沈黙することを覚えなさい。静まった心に耳をすまさせ、吸収させなさい」という教えでした。 私たちは、人間の域を出ない考え方で自分を安心させようとしますが、いくら思考力を磨いても救われません。凝り固まった思考で自らを向上させようとするのは、地下を歩きまわって上の階に行こうとするようなものです。私たちにはまったくタイプの違う新しい知力が必要なのです。 友人や地位、金銭といった外部的な慰めが少なくなればなるほど、高次の力から得られる内面の慰めは大きくなります。ただし、くれぐれもこのことを宗教や哲学の議論として片づけないで、現実のこととして受け取ってください。 自覚をうながすためには、自分の日常的な行動がどんな結果をもたらしているのかを見直すのが何よりも効果的です。そこで自分を損なう行動を見つけたら、もっと自覚が必要であることがわかります。 宇宙のセオリーの基本原則に調和すると、百万力の味方がつきます。 宇宙のセオリーの道徳基準はきわめて単純です。目覚めを助けるものはすべて正しく、私たちを催眠状態に陥れるものはすべて悪なのです。 # 新たな強さを得るための一五か条 以下のポイントを実践すれば、日々の取り組みに新鮮な活力をもってのぞむことができます。 [1] 今より高いレベルの人生の素晴らしさに気づこう。 [2] 不幸になっても仕方がないとは思わない。 [3] 自分をよく認識する。 [4] 身を滅ぼすようなものの考え方はやめる。 [5] とにかく自分に誠実に。 [6] 自分の欲求について理解する。 [7] 簡単な努力を長つづきさせる。 [8] 人のために自分の誠実さを犠醒にするようなことはしない。 [9] 刺激や興奮が幸せだと思うのはやめる。 [10] 否定的感情のために無駄なエネルギーを使わないようにする。 [11] 自分を変えることを人生の目標にする。 [12] なにものにも同一化しない。 [13] 宇宙のセオリーの基本原則を心にとめる。 [14] 自己発見を毎日の日課に。 [15] 何よりも真実をもとめる。 これから数日間、この項目のどれかを選んで心の練習をしてみてください。じっくり考えて、その重要性をあますことなく実感するのです。その結果、あなたはこれまでにない強さを身につけるはずです。 # 宇宙のセオリーとの接触を妨げるもの 私たちと人間の精神の力をはるかにこえた力、そう、宇宙のセオリーとの接触を妨げているのは何なのでしょうか? 私たちは何よりもその正体をよく知り、障害となるものを取り除かなくてはなりません。 それは、否定的感情です。あらゆる形の否定性です。 二つの磁石のあいだに木製のブロックを置くと、磁石がくっつかなくなるように、否定的感情は私たちと善なるものとの接触を妨げます。 「否定的感情に破滅させられないためには、否定的感情を意識する必要がある」という宇宙のセオリーの基本原則を思い出してください。否定的感情の存在を意識しないかぎり、自分を傷つける状況から完全に抜け出すことはできません。 激しい心の動揺や危機的状況は、その存在を浮き彫りにします。事業の失敗、病気やけが、不名誉な出来事、拒絶といった意にそわないことがあったときこそ、否定的な反応を観察するよい機会です。 それにしてもなんという皮肉でしょう。私たちが嫌だ嫌だと思っているショック自体が、何より重要なメッセージを告げているのです。 すべてのトラブルの源である偽りの自己は自滅します。ショックを受けたとしても、そのショックを利用して偽りの自己を破滅させればいいのです。 覚えておいてください。否定性を排除するには、前向きな行動が必要です。庭の雑草を抜くのはよいことでしょうか、それとも悪いことでしょうか? 私たちはあまりにも長い間だまされてきました。もうここで、腹を決めるべきでしょう。その報いは嫌というほど受けてきたのです。きっぱりと茶番はやめるべきです。 心の否定の壁の前で立ちどまらなくては、と考えるのはよしましょう。そんな必要はどこにもありません。あなたは壁を突き抜けるのです。どんな有害な思考も、感情も、環境も、あなたと数段上の人生を隔てることは絶対にできません。 # 心の中にあるダイヤモンドの原石 本章は、幸福感についてのこんな基本原則から出発しました。 「世の中がうまくいっているから気分がよくなるのではなく、気分がよいから世の中がうまくいくのだ」 ある日のこと、あなたは気分がすぐれないのに、友人が行くというので、絵のような景色の田園地帯の中をドライブしています。 友人の一人がうっとりするほど美しい湖を見つけて、あなたに注意をうながします。けれども気分が悪いせいで、あなたは目を向けようともしなければ興味も示すこともできません。別の一人が、遠方に見える雄大な山に感嘆の声をあげますが、あなたの耳にはその言葉は入りません。 車は素晴らしい景色の中を走っていきますが、あなたにとってはなんの意味もありません。 ところが翌日、あなたはすっかり元気になりました。気分はすこぶる快調で、心の中で引っかかることはひとつもありません。あなたはまた外出する気になり、再びドライブに出かけました。ルートは昨日とまったく同じです。ところが今度は、何もかもが一変しています。あなたは美しい湖や雄大な山の景色を楽しみます。それを見て心を動かされ、美しさを堪能します。 どうしてなのでしょうか? 昨日も今日も、景色には変わりありません。ところが二度目に出かけたときは、あなたが変わっていました。あなたはすべてのものをまったく違う角度から見ていました。 心が自由になったので、外の世界の美しさに目を向けて感動したのです。まるで魔法にかかったように、あなたの心の視界が変わったために、世界への感じ方も変わったのです。 覚えておいてください。自分で平穏や幸せを見つけた人は、必ずあなたが今体験していることをくぐり抜けてきているのです。あなたがこの道で出会う障害や欲求不満も経験ずみです。あなたの経済的な心配もわかっています。あなたが衝動にかられて犯してしまった過ちをどれほど悔いているのかも承知しています。口にはされないあなたの悲しみも理解しています。けれども、宇宙のセオリーの道を歩いてきた人が知っているのは、それだけではありません。そこには必ず終わりがあるということを知っているのです。 # 第4章のポイント―――心にとめておきたい要点 [1] あなたの気分がよければ、世の中もうまくいく。 [2] 否定的感情をよく理解すれば、解放されることも可能。冷静な観察をして、そんな感情とは縁を切ろう。 [3] 横暴な自分の感情に建設的な反発をするのは正しいし、むしろ必要なことだ。 [4] どんな苦しい精神状態も、人生から必ず切り離すことができる。 [5] 本章に出てきた方法で、うつから立ちなおることができる。効果は抜群。 [6] 欲望がどのような作用をおよぼすのかを逐一意識する。 [7] 自分の本質は、いつでも呼び覚ますことが可能なもの。しかも苦しみを生む願望には支配されない。 [8] 人生の現実に目覚めたあとに残った欲望は、自分のためになるものだけである。 [9] 否定的な感情があるからといって、自分を責めない。むしろ自分を知って解放されよう。 [10] あなたが今この場所で幸せになれるというのは、まぎれもない事実。 # 第5章_男と女_真実の愛の力 # 本物の愛は感情が先走らない ここまで見てきたとおり、毎日の生活で自分を豊かにするために利用できないものはありません。本章では、宇宙のセオリーを通して健全な人間関係や男女関係を築き、その最高の状態である愛にいたる方策を探っていきます。 基本原則から導きだされるまったく新しい方法により、さまざまな人のあいだで暮らしながらも、自分に調和した生き方ができるようになるのです。 宇宙のセオリーを生きる人々は、愛にせよ何にせよ、真実に行きつけるきわめて実践的な方法を知っています。あえて名づければ、「あれでもこれでもない方式」とでもいいましょうか。愛ではないものをしらみつぶしに捨てていって、最後に愛にたどりつくのです。まるで砂をふるったあとに砂金が残っているようなものです。依存、崇拝、感傷、あこがれ、肉体的な魅力、そんなものは愛ではありません。それらを土台にした人間関係は、ぎくしゃくしていて、いつ壊れてもおかしくありません。 本物の愛は、気持ちが先走ったりはしません。最初から正気を保っていて、すべてを自覚し、自分と相手に対して深い理解を示しています。こうした状態から生じた感情は、嘘がない自然の果実です。その中には、優しさや愛着も混じっています。 逆に、感情が先にあるときは、本物の愛とはいえません。偽物の愛で、その正体はあこがれだったり激情だったり、もてあましている自己からだれかのところに逃げだしたいという願望だったりします。 宇宙のセオリーの愛は、欲求や願望を背景にしたものではありません。 こんなことを聞くことがあります。 「どうしても手が届かない異性にあこがれていて、苦しい思いをしています。どうしたら、この地獄の苦しみから逃れられるでしょう?」 「あなたがあこがれているのは、その人の本当の人柄ではなく、あなたの想像が生んだその人の理想像であると考えてみたらどうでしょう。彼や彼女は、あなたが必要としているものの象徴なのです。強さとか安心感とか優しさとかです。理想とは、あなたのもとめているものにすぎません。ところが、あなたはそれを現実の彼や彼女だと勘違いしているのです。 わかりますか? それが理解できたら、理想的だと思っていた人物への見方がずいぶん変わってびっくりすることでしょう。でも、変わったのはその人ではなく、あなた自身なのです」 # 体裁を気にするのは偽りの愛 宇宙のセオリーの愛の驚くべき特徴は、とても深い感情でありながらも、べたべたしていない点にあります。 よくわかっていない人には、冷たいとかそっけないといった印象を与えがちです。けれどもそうした外見の下には、温かさや思いやり、豊かな感受性があります。 本物の愛は、好きとか嫌いといった、人に与えるうわべの印象を無視する傾向があります。だれがなんと思おうが、気にしません。思いやりのある本質に衝き動かされたことをするだけです。 体裁を気にするのは偽りの愛です。その動機には、世間の賞賛を浴びたいという見栄が動機にあるのです。 こんな話があります。ある日の午後、宇宙のセオリーをめざす二人の修道士が修道院への帰り道を急いでいました。二人は橋のない小川にさしかかりました。みると、可愛らしい乙女が川を渡ろうとしています。片方の修道士が、この娘さんを向こう岸まで運んでやろうと声をかけようと言うと、連れは反対しました。 「やめろ! われわれは世の穢れを寄せつけないと誓ったではないか。女人に触れずという宣誓を破ることにもなるぞ」 連れの反対を無視して、もう一人の修道士は悪びれる様子もなく、乙女をひょいと抱き上げると、川の中をザブザブ歩いて岸に降ろし、また歩き始めました。しばらくの間、連れは憤懣やるかたかないという様子で、修行の身にあるまじき振る舞いを責めたてました。 すると、とうとうもう一人の修道士が振りかえり、こう指摘しました。 「いいか。私はあの娘さんを川岸に降ろしてきた。お前はまだ抱えたままではないか」 愛とはそういうものです。やるべきことをやったら、あとのことにはこだわらないのです。 「本当の親切とは、親切にするなどとは考えもせずに行われるものだ」(老子) 愛とは、魂のレベルでの理解ができている状態です。愛がないのは、理解力が不足しているからです。 では、何を理解するのでしょうか? たとえば恐れです。新約聖書には、「完全な愛は恐れを締め出す」と書かれています。人間関係で恐れを感じるのは、だれかからほしいものがあって、それが手に入るかどうか不安になるときです。 宇宙のセオリーでは、恐れをいだきません。なぜなら、人に何も望まないからです。内なる王国から得るもので何不自由なく暮らしていけるのです。 人間関係にわずかでも相手に対する欲求がからんでくると、愛は成立しなくなります。このような偽りの愛は、単なるギブ・アンド・テイクです。 「私によくしてくれたら、あなたにもよくしてあげよう。だけど、私の喜ぶことをしてくれないなら、私はあなたのことを見限ろう」 宇宙のセオリーでは、このようなことはしません。まったくの別世界に生きているのです。 # 宇宙のセオリーの思いやり 宇宙のセオリーでは、人をどのように見ているのでしょうか? 世間一般の人たちとは大きくかけはなれています。宇宙のセオリーの視点を借りて人々を見れば、私たちにも得るものがあるでしょう。それが力になるのです。 宇宙のセオリーは、人間を年端もいかない子どもとして見ています。 子どもは、いい子だったり悪い子だったりするものです。たとえひどい振る舞いをしたとしても、宇宙のセオリーでは、それが内なる魂の存在にまだ接していないからだとわかっているのです。 人がひそかに苦しんでいることも、宇宙のセオリーは知っています。なぜなら、それが魂の闇から抜け出せない小さい子どものつねだからです。宇宙のセオリーが人々に深い思いやりをもっているのも、その苦しみを解放の教訓としないかぎり、いつまでも犠牲を払わなくてはならないことを承知しているからです。 「あなたは、自分で思っているよりもはるかに愛されている」 宇宙のセオリーでは、いつも声を大にして言いつづけます。 ふつうの人間は、よく人を責めたり、けなしたりします。ところが、宇宙のセオリーはそういう類いのことをいっさいしません。なぜなら、人の行動の裏には理由があることを理解しているからです。 また、環境が変わりさえしたら、人の行いもよくなるだろうなどという幻想もいだいていません。宇宙のセオリーの目から見れば、邪悪な行為は催眠状態にある人が夢うつつのうちに機械的に行っていることなのです。その実、本人は、目覚めていると思いこんでいるのですが。 「車のブレーキがこわれて建物にぶつかったら、車が悪いと責めますか?」と宇宙のセオリーに尋ねられたら、「いいえ」とあなたは答えるでしょう。車は自分や周囲のものに対して何かをしたという意識がないからです。 でも、勘違いしないでください。宇宙のセオリーは決してやわではありません。相手がだれであろうと手心を加えることはないのです。この世に、これほど厳格な教師はいません。 愛するからこそ、宇宙のセオリーは、人が愛を持ち逃げすることを許さないのです。たとえ傷つける相手がだれであろうと、そしてまた、その傷がいかに深くても真実を伝えるべきなのです。 宇宙のセオリーは、人の形をした機械が暴走したことを責めたりはしません。ただ、機械であることをやめて、意識をもった人間に生まれ変わりなさいと強く主張するのです。 かつてゲオルグ・グルジェフは、本物の愛とは、たとえさしのべた手を振り払われることがわかっていても、人の成長を助けることであると述べました。 宇宙のセオリーの思いやりは、物事のありのままの姿に対する洞察から生まれます。宇宙のセオリーは、新世界があるということだけでなく、そこに自分が住んでいるのを知っているのです。 # とっておきの二〇の秘密 [1]二人の人間がいたら、自分自身をよくわかっている者がつねに得をする。冷静で自信にみち、気楽な人づき合いができるからだ。 [2]あなたはこう感じるべきだと人に強要されたら断固拒否すべし。 [3]人が何を言ったか、何をしたかをいちいち気にしない。それよりも、そのような言動に達した真の動機を考える(同じルールを自分に適用させると、悟りをひらくことができる)。 [4] 自分らしさや威厳を犠牲にするような友情は、絶対におかしい。 [5]魂のレベルでは、自分と他人の境界がはっきりと分かれているわけではない。だから、人を傷つけたら自分も傷つくし、人を助けたいなら自分も助ける必要がある。 [6]人に不必要な要求をしなくなったら、裏切られることも傷つくこともない。 [7]不当な悪口を言われても、かっとして自分を守ろうとしなくなれば、精神的成長の大きな一歩を踏み出すことになる。そもそも抵抗すれば、心の平安は乱されるもの。 [8]自分に対する理解度が、人の理解にも反映される。もっと自分を知ろう。 [9]人間関係で体験すること、とくに苦痛や失望を受けることを恐れてはいけない。逃げずに真正面から受けとめれば、いずれは何もかも解決するはずだ。 [10]愛が何たるものかを知っていれば、愛が見えなくても、また拒絶されても、不安に陥らない。 [11]無二の親友を失うという悲しい経験をしても、あわてて代わりを探さないこと。心の痛みを見つめることで解放されるチャンスを逸してしまう。 [12] 社会の中で、その他大勢になるのを恐れてはいけない。外見からはうかがい知れない深みや豊かさがあるものだ。 [13] 人間関係で不愉快な思いをするたびに、相手の誤った理想像ではなく、ありのままの姿を見るチャンスが生まれる。不愉快な相手であればあるほど、学ぶべきことは多い。 [14] 自分は不当に扱われているのではないかという感覚から解放されると、だれかがそういう不満をもらすのを聞いて驚くようになる。 [15] 自分にない美徳は、他人にも認めることはできない。人の美徳を認めるには、本当の意味で愛情あふれ、我慢強い人間になる必要がある。 [16] 愛への欲求を本物の愛だと誤解してはいけない。欲求はひとつところに落ち着かず、必死になって次々と満足を得ようとするもの。愛は、自分の居場所に落ち着いている。 [17] 愛情あふれる人生を望む自分と、望まない自分がいる。前向きな自分の側につくこと。それを助け、力づけるためにできるかぎりのことをしよう。 [18] 人が自分をどう思うか、自分が自分をどう思うかということに始終びくびくするのはやめよう。 [19] 愛される人間になりたいために、策を弄さない。むしろありのままの自分でいようとしたほうがよい。ありのままの自分でいれば、愛されるはず [20] 人に与えられるもっとも大きな愛とは、自分の内面世界を変えて、自分の本当のよさで人をひきつけること。 # 愛に関するQ&A 「自分でも、人に優しくないなあと思うときがあるんです。どうしたら、そうならないでしょうか?」 「そういう場合は、それでいいんだと妥協しないでください。心ない行動をしたときは、必ず私たちの中の『究極の知』が、それはおかしい、と諌めるはずです。自分の不親切さよりも、その声のほうに注目してください。人は何カ月も何年ものあいだ、思いやりのない偽りの自己の催眠術にかかっていることがあります。それでも、それにあきらめずに抵抗しつづければ、そのパターンを切り崩すことができます。 自分の不親切な行動をよく観察してください。そのうえで、それが真の自己だと信じるのはやめましょう。すると、外部的な行動も愛情深い内面に沿ったものになっていきます。やさしい父親が乱暴な息子によい影響を与えるようなものです」 「愛する人を失ったとき、どうしてひどいショックを受けるのでしょうか?」 「自分の心にぽっかりとあいた穴を覗くはめになるからです。結婚生活が破綻したら、あるいは恋人に去られたら、残された者は何がなんでもその空洞を埋めたいという気になります。それはその人が不安でおびえていて、自分はもう必要とされず、愛されてもいないと感じるからです。 ところが、代わりの異性が見つかったとしても、その空虚さは埋められません。ショックの衝撃がまだおさまっていないのに、とり繕っただけだからです。 別れを経験したら、身がわりを探して落ち着きをとり戻したいという自分の差し迫った欲求を見つめましょう。すると、洞察がはたらいて、そんなことをしても意味がないことがわかってくるでしょう。そうしてショックを乗りこえたら、びっくりするような発見があります。本当の安らぎは真の自己にしかないことがわかるのです。 それからは、異性とのつき合い方が一八〇度変わります。びくびくすることはなくなり、本物の愛が育まれるのです」 「人を思いどおりに動かすにはどうしたらいいでしょうか?」 「あなたは、自分の思うように人を動かすということがどういうことなのかまったくわかっていないようですね。あなたが望んでいることを人がしてくれないからといって、あなたはなぜ気分を害するのでしょうか? それは人が何かをしたからではなく、あなたの欲求にしたがって行動しなかったからなのです。 欲求などいっさい捨てましょう。その結果、あなたが穏やかな心境でいれば、人はいかようにでも振る舞えるのです」 「自己に目覚めた人が、まだ魂の休眠状態にある人に出会ったら、どうなるでしょう? 要は、それが男と女だった場合、愛しあうことは可能かということなのですが」 「自己に目覚めた人が、覚醒していない人を愛することはできますが、その反対はありえません。意識がひらいた者どうしは愛をかわすことができても、目覚めていない者どうしには不可能なのです。そもそも、愛情が不在なのに愛し合うことなんかできるでしょうか? 愛は覚醒なくしては成立しません。 催眠状態の人が愛と呼んでいるものは、互いの機嫌とりにすぎません。二人は愛情ではなく、欲求にもとづいて結びついているのです。そんなことは一目瞭然です。その証拠に、ある特定の欲求がかなえられなかったり挫かれたりすると、愛と思っていたものはいっぺんに恨みに変わってしまいます」 # 愛する能力を高めるために 「どうして人はあまのじゃくなんでしょうか? 愛しているとさかんに口にしながらも、実際においてやっていることはあべこべです」 「愛していると言っても、それは口先だけのことです。人の行動は、魂の発達段階を反映しているのです。現時点のレベルをこえた愛し方など、できる人間はいません。 でも、覚えておいてください。人は狡猾に愛を装います。だからだまされてはいけません。ただ、自己を高めれば、愛のレベルも上がります。そうなったら、その人の行動にも心からの思いやりが加わるでしょう。 実は宇宙のセオリーが目指しているのは、そのことなのです。私たちは魂のレベルを上げて、思いやりを高めようとしているのです」 「いつだったか、あなたは愛する能力を高めたいなら、愛情の感じられない言葉や態度にもじっと耐えなくてはならないとおっしゃっていましたね。具体的にはどうすればいいのですか?」 「この場合も、目先の利益にならない快感ではなくて、長い目で見た豊かさをとるようにしてください。意地の悪い相手に言い返したら、そのときはスッキリするでしょうが、そうすると、内なる自己を向上させる好機を逃してしまいます。 そのかわり、なぜ言い返さなくてはならないかを自分に問いかけてください。その衝動は、短気なエゴセルフから生じていることに気づくでしょう。そして、そう察したとたんに、エゴは弱まるものなのです」 「私は以前、自分がいろいろな社会活動に首を突っこむのは、基本的に人が好きで、そばにいて力になりたいからだと思っていました。ところが最近は、そういう関わりがみんなわずらわしくなってきて、どうして自分はこんなことをしているんだろうと思ってしまいます」 「それは、あなたが人のために尽くすのは、空しさをまぎらわすためであって、それ以外のなにものでもないからです。自分でも他にどうしてよいのかわからないのでしょう。 手を引きなさい。いきなりはどうもというなら、少しずつでかまいません。あなたの心と魂が健やかであるためには、手を引く必要があるのです。 自分から身を引いて、こういう生活を本当に望んでいたかどうかを自問してください。正直に問いただせば、肩の荷が下りますよ。あとは、自分の生活を楽しんでください。もう人のことで必死にかけずりまわらなくてもよいのですから」 「どうして人間関係は嫌なことばかりなんでしょう? ストレスや不安を取り除くコツはありますか?」 「前にもお話ししたとおり、苦痛は無意識から意識のレベルに浮上すると消滅します。このことを人間関係にも当てはめてみましょう。あなたは、無意識のうちに人に対して希望や要求、期待、恐れ、欲求をいだいています。そのために、自分がひどく苦しんでいるのを、ここで直視しましょう。 あなたは、人が自分の都合のいいように振る舞えばいいと思っていませんか? 望んでいるのは、友情や会話、セックスだったりします。そうした欲求がまさに苦痛の根源であることを、この際しっかりと理解してください。欲求が満たされないのを恐れる気持ちが問題なのです。そうした欲求を捨てることはできますか? それができたらもう苦しむことはありません。もつれた網をくぐり抜けたように、晴れ晴れとした気分になれるでしょう」 # 異性関係で悩んでいるのなら・・・・・・ 宇宙のセオリーの概念には、人間関係のトラブルというものはありません。問題は自分の中にのみ見出されます。 私たちはただ、混沌とした心の中を整理すればいいのです。そうして心の中がすっきりしていれば、外から何が来ようともうまく対処できます。 人間のレベルでは、厄介だったり不誠実に思えたりする人もいますが、本質的な自己が魂のレベルに達していれば、傷つけられることはありません。たとえば、こんなふうです。 「自分でも神経質になりすぎているのかなあ、とは思います。だけど、どうしたら相手に傷つけられないようになるんでしょうか?」 「あなたが傷つけられたと感じなければ、この世であなたを傷つけられる人はいないのですよ。差し出された酸っぱいリンゴを受け取らなかったらどうでしょう? その酸っぱさはどこへ行くでしょうか? 自己に関する誤った感覚から抜け出すと、人からの批判や冷淡さといったすっぱいリンゴも受け取らなくなります。問題はだれがどうしたではなく、あなたの感じ方なのです」 それでは、洞察力が高まると、私たちの姿勢がどのように変化し、またそれによって異性関係がどんなに楽になるのかを見てみましょう。 覚醒した意識で観察すると、以前思っていたほど人が幸せでないことがわかってきます。つけている仮面の下が透けて見えるのです。だれもが自分や周囲の人に万事大丈夫だと信じこませようと必死で頑張っているのです。 ところが私たちは、それが演技にしかすぎないのを簡単に見破れます。熱心なようでいて、どこか落ち着きのない社会活動や仕事への取り組みも、そして空しい気晴らしも私たちの目をごまかすことはできません。みんな、明日の朝、また一日が始まるのかとがっかりしながら起きるのが見えてくるのです。 こんなにいろんなことがわかるのは、自分のまやかしを先に見抜いているからにほかなりません。かつては、私たちもみんなと同じ演技を繰り返して、へとへとになっていたのです。 そうなると、ものの考え方や人とのかかわり方ががらっと変わります。私たちは、もう人を批判したり羨ましがったりはしません。 やっかみの原因は、だれかが自分よりいい目をみているのではないかと、勝手に想像していたことにあったのです。でも今は、そうでないことがわかります。みんなひところの私たちと同じように、心の中で苦しんでいるのです。そう思うと、人に対する考え方も接し方もとげとげしいものではなくなります。 自分を許せば、人も許せるようになります。自分に対して新たに感じるようになった優しさを、いくらでもみんなに分け与えることができるのです。 ここにきて、私たちは、はたと気がつきます。これまではプライドや虚栄心が邪魔をして、ピンとこなかったのです。それは、愛は人間の自己からではなく、私たちの中にある「崇高なるもの」から生じているということです。 このことはいくつもの理由から、私たちが笑顔にしてくれます。第一に、愛するための努力は不要になります。私たちは崇高なるもの、つまり愛そのものの中でのんびりしていればいいのです。このはるかなる高みから愛情を含むさまざまな愛の表現が降ってきます。 疲れきった人々の世の中は、愛情に飢えています。なによりも必要とされている愛の形は、愛情なのです。それは元気づけの一言でも、共感を示すうなずきでも、ただ手に触れることだけでもかまいません。 この尊い宝石を手に入れるためなら、金持ちはよろこんで財産を投げ出すでしょう。権力や名声を得た者は、愛情にあふれる人生を体験させてくれる人に、どんなものでも差し出すでしょう。 二人の人間――おそらくは男女間―――で愛情を分かち合えるのは、双方が愛する能力をもっている場合だけです。一方通行というのはありえません。 本物の愛情を与えられる人は、愛情を受け入れる能力もあります。なぜなら、どちらももとをただせばひとつの能力から発しているからです。波が寄せたら返す、それと同じ原理です。私たちがありのままの自分に気づいたとき、愛情はいつの間にか芽生えているでしょう。 # 第5章のポイント―――愛の力についての真実 [1]どんな人間関係も、愛のある人生をつくるために利用できないことはない。 [2]本当の愛が何かを知るには、まず愛でないものと区別してみる。 [3]愛とは、魂のレベルでの理解ができている状態、つまり高次の目覚めの状態をいう。 [4]あなたは思っている以上に強く愛されている。 [5] 相手に知られずに思いやりをかけるのは、愛の行為である。 [6]現実的になることが、愛するということ。 [7]愛する能力は、宇宙のセオリーの道をひたむきに進めば自然と高くなる。 [8]自分を理解すれば、思いやりや優しさといった他のことも理解できるようになる。 [9] 愛は条件づけられた人知からではなく、崇高なるものから生じる。 [10] 心底愛を注いでいるときは、何も心配していない。 # 第6章_心の痛みや苦しみとの決別 # 苦しみの正体とは? 仕事でトラブルがあったら、何が悪いのかを調べて問題を解決しようとするでしょう。遠出をして道に迷ったら、まず地図を調べます。心の痛みや苦しみについても、それとまったく同じことがいえるのです。 他の問題をただすときと同じように、現状をていねいに調べなくてはなりません。その場しのぎの応急処置はいりません。この際きっぱりと決着をつけたいのです。 応急処置とは、頭が痛いからといって毎日アスピリンを飲むようなことをいいます。それなら、頭痛の原因を根本的になおして、毎日手当てしなくてもいいようにしたらどうでしょう? それは不可能ではないのです。 その前に確認したいことがあります。 どんなことで悩んでいたとしても、その状況は避けようとしたら避けられたのだということを忘れないでください。宇宙のセオリーをより深く理解していれば、あなたはそんな苦しみを味わうことはなかったのです。そう思えば、今日の努力にも身が入り、明日は穏やかな心境で迎えられるでしょう。 では、苦しみの正体はいったい何なのでしょうか? 苦痛の原因となっているのは、物事に対する私たちの誤った認識です。偽りの自己は、物事はかくあるべしという幻の絵を投影させます。だから、現実の出来事にこの夢が破られるたびに苦しい思いをするのです。 意味は問題は、実際の出来事ではなく、こうなったらいいと勝手に決めこんでいる私たちの欲求にあるのです。このことはただ言葉だけをとらえるのではなく、ぜひ自分の体験と照らし合わせてほしいものです。 もっとも、さまざまな非現実的な夢を捨てなさいと言われて、愉快になる人間はいません。悲しくなってしまうでしょう。 幻想の中で生きていれば、まがりなりにも生きがいらしきものを感じます。だから、幻を手放したあとのことが不安になるのです。それは、医者に体に悪いから好きな食べ物を控えるようにと言われたときと同じようなものです。 もう一度繰り返すと、ある出来事が起こってほしいという望みが現実によってうち砕かれたとき、私たちは苦痛を感じるのです。たとえば、だれかにほめられたいのに、そうしてもらえないと、悲しい気分になります。そろそろ昇進があるのではないかと期待していて、他のだれかがそのポストにつくと、私たちは落ちこみます。友人に仲良くしてもらいたいのにそっぽを向かれると、頭痛に悩まされたりします。 苦痛は、その深刻さの度合いにかかわらず、また本人が意識していようがいまいが、欲望が現実の壁にぶつかるたびに必ず増幅します。この事実だけをとっても、真理を探究する者は、自分の欲望や憧れを見直す必要があるのです。 # あなたに明かす究極の秘密 では、どうしたら苦痛は消えるのでしょうか? 人生を避けようとしても無理です。そうすると、自ら作った抵抗が強まって、人生に踏みこむのがなおさら怖くなります。 大勢の友人を作っておいて、一人いなくなったときの保険にしておくのもいただけません。人とのつながりを通して安心をもとめれば、新たな不安の種をまくことになります。 それなら、どうすればいいのでしょう? 本書は全編をとおして、その答えを示そうとしているのですが、いくつか具体的なケースについても考えてみましょう。 「ちょっといいですか? あなたは、苦痛は幻想だとおっしゃる。だけど、私にとって苦痛は、幻想と片づけられないほどリアルなんですよ」 「苦痛は幻想によって生じる”のです。非現実的な偽りの自己にしたがって生きると、苦しみと出会います。では、真実に気づいて偽りの自己が消滅したら、他に苦しむような人格は残っているでしょうか? 存在していない人格が苦しむなんてありえるのでしょうか? どうかこのことをよくのみこんでください。あなたには、このうえなく重要なことです。 先ほどの例を出すと、ある夜恐ろしい悪夢を見て、ひどく苦しい思いをしたとしましょう。でも目を覚まして、ああ、夢だったんだと悟ったあとも、苦しみは残るでしょうか? だれか苦しんでいる人はいるでしょうか? いません」 このことについて、ユベール・ブノワ博士は、私が知るなかでもっともわかりやすい説明をしています。 「そうなると苦悩は、錯覚を生むので幻想だといえる。だが、このような論証よりもなによりも、私たちには現実的な証明手段がある。実体験をとおして直観的に苦悩が幻であることを感じとれるのだ。もし実際に私が苦しみを感じたら(中略)私は自分の思考から感情へと関心を移す。心中のイメージを完全に払いのけたあとは、おなじみの道徳的苦悩を感じ取ることに専念し、追跡を楽しみ、ついにはその正体をつきとめる。すると、その苦しみ自体が(中略)消えて、ひとかけらも残らなくなる。感情の動きに注目すればするほど、空想の映画への関心は薄くなり、感情も弱まっていく。だから苦悩は、非現実적だと証明できるのだ」(ユベール・ブノワ『究極の原理』) たとえていえば、心は過去の愚かさを再現するような想像上の映画を上映しているのです。このような思考の流れは、苦痛をともなう罪悪感や恥の意識をまねきます。だから苦しい思いをするのです。 ところが、それは偽の感情なのです。なぜなら、そのとき頭にあるのは、目の前で起こっていることとも、その時点の自分ともかかわりのないことだからです。いったん空想の映画を受け入れてしまうと、現在の出来事にも幻想の入りこむ余地を認めることになり、それが苦痛をもたらすことになるのです。 # 苦痛が消える魔法 この気が滅入る映画のまやかしを見破るにはどうしたらいいでしょうか? だれだかわからない人から電話がきて、あなたの家の地下室にトラがいますよと告げたとします。あなたは、そんなバカなと言って電話を切り、中断した仕事に戻ります。ところが、なんとなく気分が落ち着きません。あなたの空想の映画が、地下室でうろうろしているトラの姿を映し出しているからです。 気になって仕方がないのは自分の想像のせいであることに気がついて、あなたは地下室のライトをつけて見下ろします。トラはいません。あなたはほっとします。悶々とした気分は吹き飛びました。あなたは不安を感じたときに、どうしてさっさと地下室を見に来なかったんだろうと後悔します。 これはまさに、心の中の世界で実際に起こっていることなのです。知性は空想映画のフィルムをまわして私たちを震えあがらせます。すると、私たちはその恐怖が現実のものだと勘違いします。ところが、トラは現実にはいません。だから自分の目で見れば、想像からあっさりと解放されるのです。 マルクス・アウレリウスは、ズバリとその核心をついています。 「想像力を抹殺せよ」(マルクス・アウレリウス『自省録』岩波書店、神谷美恵子訳) 意識をしばらく目覚めさせておいて、空想の映画を消して、それによって生じた苦痛をつきとめられたら、どうなるでしょう? 魔法のような奇跡が起こります! 苦しみはどこにも見当たりません。なぜって? 覚醒の日の光が霧を晴らすように、意識が苦しみに気づいたので苦しみが消滅したのです。 さあ、試してみてください。決してあきらめないで。きっと奇跡が起こります。 コリー犬と狼が、海岸沿いを歩いていました。しばらくすると入り江に出たので、近道をするために、二匹は丸太につかまって向こう岸まで泳ぐことにしました。 水をかきながら、狼が自慢げに言いだしました。 「こう見えても私は、海洋科学の権威と言われているんだ。どうせ暇んだ。潮の流れや満ち干について語り合うというのはどうだろう?」 コリーは答えます。 「悪いけど、ぼくが海のことで知ってることは、ひとつしかないんだ」 狼は切りかえします。 「それなら私の素晴らしい航海哲学も、森中で知らぬ者はおらんぞ。海の美しさや雄大さについて、ともに思いをめぐらすというのはどうだね?」 コリーは連れに告げました。 「やっぱりぼくが海について知っていることは、たったひとつしかないんだよ」 そのとき、突然大波が襲ってきて、二匹は海に投げ出されました。狼は助けをもとめながら、なすすべもなくもがいています。コリーは狼を引っ張って、スイスイと岸に向かいはじめました。 コリーは苦しそうにあえいでいる狼に向かって説明しました。 「さっきは科学とか哲学について話し合えなくてごめんね。だけど、ぼくが海に関して知ってるのは、泳ぎ方だけなんだ」 これこそが、宇宙のセオリーの中心テーマなのです。議論も哲学も世迷い言も、どうでもいいのです。心の苦しみを含めた人生の問題に出会ったとき、私たちがするべきことはひとつしかありません。泳ぎ方を覚えることです。 # 重大な誤解―――否定的感情の正体 こうしたことはすべて、基本テクニックである客観的な「自己観察」につながってきます。 思考や感情の中を流れる苦悩の軌跡をしっかりと眺めてください。苦しみが自分を通りすぎるのを観察するのです。 眺めているあいだは、いっさいの抵抗を試みてはなりません。また、同一化すべきでもありません。それはつまり、苦しみを本質的自己の一部だと考えてはならないということです。 あなたは、まったく違う独立した存在です。苦しみを「私」と呼ぶ人間から切り離しましょう。慣れないうちはむずかしいかもしれませんが、結果は素晴らしいものになります。 あなたはここで、人生を変える宇宙のセオリーの手法を身につけたのです。それは私の保証つきです。 それは、まるでポケットの中で次々と爆発する爆竹のようです。もし自分が身につけているのを見過ごすと、爆竹を捨てることはできません。ところが、手にもってちょっと離してよく調べれば、投げ捨てるという解決策が見つかるのです。 「どうして、わざわざ苦しみを意識の表面まで浮上させなくちゃならないんでしょう? いいじゃないですか、見えないところに隠しておけば。そうしたほうが、わずらわされないんだし」 「そういう重大な誤解をしている人はけっように多いですね。意識的であろうと無意識であろうと、否定的な感情を抑圧すると、精神状態が不安定になるのは免れませんよ。夜間のハリケーンでも、昼間のハリケーンに負けない破壊力があるのです」 「ちゃんと意識的に直視しないと、無意識の部分で苦しまなくちゃならないということですか」 「そうです。それから、このことは心理学的な仮定としてではなくて、ありのまま事実として受け取ってください。ささいな苦痛などは、だれもが少しも意識せずに経験しているものです。たとえば、人生のチャンスを逃したという苦い思いです。 ある日新聞を広げると、近所の土地の地価が五年前は一万ドルだったのに、今は二万ドルに跳ね上がっているのがわかりました。それを知った人は、胸のうずきを覚えます。どうしてあの土地を買っておかなかったんだろうと自分を責めます。バカなことをした、失敗したと感じるのです」 「あなたはそういう胸のうずきから完全に解放されます。その土地を買おうが買うまいが、あなたがどうにかなるわけではありませんから。ただ、その胸のうずきが、自分の中に実大するということをわかろうとしてください。自分は牢獄に入っていないと言い張る人は、牢獄から逃げ出すことはできませんから」 私たちは、否定的な感情は自らが作り出した苦しみだということを知る必要があります。なにしろ、それが否定的な感情の正体なのですから。 私たちは腹をたてながら幸せになれるでしょうか? もちろん、無理です。落ちこんでいるのに、うきうきした気分になれるでしょうか? もちろん、なれません。焦燥にかられているのに、愉快な日々を過ごせるでしょうか? 無理な相談です。 ここに、大きな手がかりがあります。こうした否定的な感情はどれもこれも、私たちのためにならない感情です。このことが理解できれば、切り捨てやすくなるというものです。ちなみに、否定的な感情と別れるのは、少しも気の重いことではありません。やってみると、けっこう楽しいものです。 # 偽りの自己を捨てた人が受け取るもの ここで、私が個人的に「高次の暗示」と呼んでいることについてお話ししましょう。 高次の暗示は、自分のエゴにこれ以上我慢がならなくなったときに現れます。高次の暗示を受けたときは、なんとなく人間の論理や理屈では自分を救えそうもないという不思議な感じがするものです。ぼんやりとではありますが、現時点の自分はよくないのではないかと認識しているのです。たしかにそのときは、自分の精神を支えているものが足元で崩壊しかけているのです。そのような人は、光がさしているのに気づいています。恐怖におののきながらも、偽りの自己を捨てた者は、真実を示す高次の暗示をはじめて受けるのです。そして、その前に広がっているのは、この世でもっとも素晴らしい秘密、つまり新たな人生なのです。 密林の中で獲物を追っていたハンターが、あやまって深い井戸に落ちてしまいました。それは原住民が長く放置していた古井戸で、井戸の底には浅い水が溜まっています。地下水が岩の割れ目から湧き出して、別の割れ目へと流れこんでいるのでした。 光がほとんど届かない井戸の底で、ハンターは手探りで必死になって出口を探しました。するとうれしいことに、井戸の壁に植物のつるが何本か垂れ下がっているのが見つかりました。その一本をつかんで、ハンターは壁をよじ登ろうとします。 ところが次の瞬間、つるはぶっつりと切れて、彼は水の張った底に叩きつけられてしまいました。次から次へとつるを変えてよじ登ろうとしましたが、どのつるももちこたえられません。ハンターは最後の一本になったつるを、恐怖のまなざしで見つめました。このつるを試してみるべきかどうか。もしこのつるも切れてしまったら、自分が恐ろしさに押しつぶされてしまうのはわかっていました。 ここは、急がないほうがいいように思えてきました。どうせその気になったら、あのつるを使って逃げられるのだと、ハンターは自分に言い聞かせたのです。 いや、そんなことはあるはずがない。どちらに転ぶにしても、現実に向き合うのが得策だろう。震える手を伸ばして、ハンターは最後のつるをたぐり寄せました。しかし、つるはあっけなく足元に落ちてしまいました。 ああ、もうだめだ・・・・・・。 不思議なことが起こりました。希望はついえたはずなのに、思いがけず新しい考えがわいたのです。それは、それまで知っていたどんなこととも異なる、力強くて次元の高さを感じさせるような感覚でした。 彼は足元を水が流れているのに気づいたのです。それがヒントとなりました。ハンターはせっせと泥の塊を運んで、水が流れ出していく岩の割れ目をふさぎました。 井戸にたまっていく水に浮かんで、彼はとうとう脱出をなし遂げたのです。 勇気をふるって誤った希望を直視して、それを捨てたところには、高次の暗示があります。すると、なすべきことが的確にわかります。そして次の瞬間、私たちは人生の井戸に浮かんでスムーズに上昇しているのです。 # 宇宙のセオリーの道を照らす光 よくこんな声を耳にします。 「一応は、自分なりに自己解放をしようとしているんですが、なんの変化もありません。いろいろやってるんですが、私は私のままです。なぜなんでしょう?」 これと同じ疑問を感じたことがあったとしたら、あまり考えこまないでください。あなたはただ、まだ人間の知恵で次元の高い真実を把握しようとしていただけなのです。 それでは、うまくいくはずがありません。印刷された楽譜を読んで、音楽を聴こうとするようなものです。あなたに必要なのは、今までになかった感知の仕方、つまり覚醒です。 日常的に使っている知性は、宇宙のセオリーの世界への扉まではいざなってくれますが、中に足を踏み入れることはできません。この重要なポイントさえきちんと理解できたら、あまりもどかしい思いをしなくてすむようになります。 自分が一歩も動いておらず(ここがポイント!)、進歩していないことに気づくことこそ、「真の進歩」といえます。つまり、進歩したと自分をだましていたことに気づけばよいのです。そうすれば、ようやく現実の出番がまわってきます。 覚醒を定義しようとして、いたずらに頭を混乱させるのはやめましょう。ただ自分についてもっと知ればよいのですから。 他のことはいっさい必要ありません。今まで以上に知らなくてはならない、それだけです。これが、無理だという人はいないでしょう。 過ちは、自分を意識していないための知識不足から起こります。たとえば、過ちを犯して落ちこむような場合です。 意識とは光です。家の照明が故障してしまったので、真っ暗闇の中で仕事をしている自分を想像してみてください。家具にぶつかったり、塩のつもりでコショウをふったりと、間が抜けているだけでなく、危険なことまでやらかすでしょう。 それでも夜が明け、よく見えるようになるにつれて失敗も少なくなります。そしてついに太陽が輝き出すと、あなたの動作もきびきびとしてきます。日が昇って意識の光が満ちるにつれて、仕事は順調に進み、心も安らかになって、あなたの笑顔も輝きを増すのです。 では、その光となる言葉を挙げてみましょう。 [1] むずかしすぎてできない、ということはない。 [2] 真実の教えは、この世の他のどんなものからも学べないかけがえのないもの。 [3] 自己開発にだけ専念する。 [4] 真実のほうからあなたに歩み寄ってくることはない。ただ、あなたが一歩一歩真実に近づけば、真実も歩調に合わせて、あなたに近づいてくる。 [5] 楽しめなかった一時間は、無駄に過ごした一時間。 [6] あなたのためを考えてくれている知性がほかにいる。 [7] 意識の次元が高くなると、高い所にのぼったときのように、見たことのない素晴らしい景色が見えてくる。 [8] 苦しみは敵ではない。むしろ暑い部屋の温度計と同じで、修正の目安である。 [9] 人生を生きるのにあまりしゃかりきにならない。肩の力を抜くこと。 [10] 車のハンドルを切って正しい方向に進むように、考え方を一度うまく転換するだけで、人生は新たな方向に進んでいく。 # 怒りっぽいことが「偽りの自己」の本性 では、ここまで発見したことを整理してみましょう。 私たちは苦しみを味わうこともできれば、苦しみを利用してその苦しみにけりをつけることもできます。ただ、苦悩を捨てるには、それがどんなものであるかを知る必要があります。 苦しみの正体とは何なのでしょうか? それは、偽りの自己が避けたいものに、出くわしてしまったということなのです。それはすなわち、真実や現実に対する抵抗です。 自分を解放してくれる真実にたてつくのは、自分のしていることがわかっておらず、偽りが自分のすべてだという思い違いからまだ解放されていないからなのです。 苦しみは、自覚していなかった幻想に向き合わせようとする自然のはたらきかけです。古生物学者のルイ・アガシは、次のように指摘します。 「迷っているときは、自然がわれわれを絶対的真理に導いてくれる」 この教訓を学れば、苦痛の原因となっている幻想からも苦痛からも解放されます。受け入れようとしなければ、みじめな状態が続きます。 「苦しみの原因が間違った考えにあるのだとしたら、宇宙のセオリーがそういう考えと決別させようとするたびに、私たちはなぜ激しく反発するのでしょうか?」 「そのいっときは、考え方のギャップが身がすくむほど大きいからですよ。牢獄を出るのをこばむのは、外の世界が今の境遇より悪いのではないかと恐れているからです。心の解放に抗うのは、牢獄のような内面が新しい世界について不安に陥るようなイメージを作り出すからです。といっても現実は、それとはほど遠いものなのですが。 牢獄で偽りの安全になれっこになってしまった思考を思いきって捨てましょう。そうすれば、新しい幸せな人生がひらけるはずです」 苦しみのために苦しむのでは、何も得るものがありません。それは船に乗っただけでは、どこにも行けないのと同じです。むしろ、苦しみを正しく利用することが大切です。 それには堪え忍んで、ギリギリの状態になるまで待つことも必要になります。自己憐憫の避難所や、やたらと高尚な正当化に逃避するのはいただけません。退けば退くほど、苦しみが私たちに見せている幻想が膨らむだけです。 魂の戦いで敵を倒したいなら、逃避はやめてその場に踏みとどまり、敵に力を与えてしまった過ちをしっかりと静観してください。苦しみは、だれにとっても無力なのです。 あなたは、それを感じとるだけです。そうすれば、孤独、欲求不満、絶望と形を変えた苦しみが襲ってきたとしても、必ずうち負かすことができるのです。 苦しみを嫌なこととか、避けるべきものとしてとらえないでください。それでは、なんのための苦しみかわからなくなってしまいます。 苦しみをうまく利用しましょう。 なんのために? 苦しみを根こそぎ消滅させるためにです。 現実的な幻想の例として、だれかにひどいことを言われて落ちこんだときのことを考えてみましょう。それで落ちこむのは、その言葉が偽りの自己を直撃するからです。すぐにむきになるくせに傷つきやすく、怒りっぽいというのがこの偽りの自己の本性です。 ところが、まがいものの自己を心理的洞察によって消してしまったら、苦しみの根源は残っているでしょうか? 大勢の人々が空中に黒いペンキを投げつけたとしても、空はちっとも汚れないし、乱されることはありません。 # 不安に対する本当の答え 心配という苦しみの一種については、どうとらえればよいのでしょうか? 心配は、どこをどうとっても必要なところがないものです。といっても、そうだったらいいのにという理想の話ではありません。現実にそうなのですから。 覚醒のレベルが高くなると、もはや思いわずらうことはなくなります。本当に何ひとつ心配でなくなるのです。 毎日増えていく無数の心配事に対して、自分の力がおよばないことほど絶望感をつのらせることはありません。それで人は、ため息まじりに自分に言い聞かせるのです。 「まあ、人生ってこういうもんさ」 違う人生があるということには気がつきもせずに。 その解決策を見つけるためには、人間の真の自己と作り物の自己についての基本的事実に立ち返らなくてはなりません。偽りの自己は、誤った視点しかもちあわせていないので、決して心配をなくすことはできません。ただし、心配事を増やすのは得意です。 条件づけられた知性にせいぜいできるのは、古い心配事を新しい心配事にすりかえることぐらいです。それは、ぬかるんだ野原でスリップした車が、次々とトラブルに見舞われるのにも似ています。 この点については、浅はかな考えに惑わされてはなりません。偽りの自己にコントロールされている者は、心配事のない人生を生きることはできません。自由を見出したいなら、「私」に関する誤った認識をやめて、本物の自己にふさわしい生き方をするしかないのです。これは、あなたや私のみならず、万人にいえることです。 問題をできるだけ単純化してみましょう。 心配というのは、ひとつの例外もなく、自分に関する誤解から引き起こされるものです。私たちは、自分が好意をもたれなければならないと思いこんでいます。だから、電話が鳴らなかったりすると不安になります。 自分は賢くなくてはと、一人で決めてしまいます。それで何かヘマをすると、頭の中身についてくよくよと思い悩んだりするのです。私たちはまた、ワクワクすることがないとはじまらないと思っています。だから何も起こらないと、空虚に感じるのです。 人気や賢さ、興奮などは、まったく意味のないことです。私たちはただ、控えめで満足し成熟した人間になればいいのですから。またそうなったときには、宇宙のセオリーの不思議な力によって、私たちはそれまでとは違った方法で、本物の賢さと興奮を手に入れているものなのです。 あなたは、明日を思いわずらうことはなくなります。なんの屈託もなくおおらかでいられるのです。自分が幸せになれる方法を知らなくても、気にしてもいません。 では、そこまで達した宇宙のセオリーの上級者のみなさんには、もう一言つけ加えておきましょう。 あなたは、幸せになる方法を考えなくなるばかりか、幸せが実現するかどうかも気にしなくなります。なぜなら、あなたはすでに幸せを手中にしているからです。 二人の農民が井戸をもっています。片方の農民の井戸は枯れています。水が使えるのは、たまたま偶然に雨が降って水がたまったときだけです。農民は不安げで、たえず心配しています。運を天に任せるしかないからです。 もう一人の農民の井戸は、いつも地下水が自然に湧き出しています。その農民は、心配もせずにのんびりと暮らしています。真の水源に満たされながら生きる者は、心配もせずにゆとりをもっているのです。 # 第6章のポイント――心痛や苦しみを終わらせるために [1] 苦しみを科学者の目で観察する。 [2] 心痛の原因は、誤った考え方にある。 [3] 想像の中で否定的な映画を見るのはやめよう。 [4] 意識の領域まで完全に浮上させた悩みは、あとかたもなく消滅させられる。 [5] ハンターのたとえ話のように、だれでも人生の井戸の頂点に達することができる。 [6] 覚醒とは、ただ自分を理解するということ。ごまかさずに自分を知る努力が大切。 [7] 「宇宙のセオリーの道を照らす光」の項目を改めて読んでみる。 [8] 苦痛をともなう危機をそのつどうまく利用すれば、将来苦しまなくてもよくなる。 [9] どんな苦悩や心の痛みにも抵抗を試みないこと。抵抗すれば、そこから教訓を学べなくなる。 [10] 宇宙のセオリーの道の先まで行くと、心配というものがなくなる。 # 第7章_人生を確実に変える宇宙のセオリー # 物事を変えるにはまず、自分自身が変わらなければ 作家のP・D・ウスペンスキーは、『イワン・オソキンの奇妙な人生』という面白い小説を書いています。イワン青年は人生に絶望を感じて、賢い魔法使いを訪ねて不満を訴えます。 「過去にさかのぼって、やり直しができたらいいのに・・・・・・。違う生き方ができたらどんなにかいいのに・・・・・・」 すると魔法使いは、「寸分たがわず同じ人生になるだろう」と断言しました。「君が同じ間違いを繰り返すのは目に見えている」と言うのです。 その言葉を信じられないイワンは、試しに過去に送ってくれるよう頼みます。魔法使いは承諾して、十二年前の世界に彼を送りこみます。 結果、イワンは前とまったく同じみじめな体験をたどります。悲劇という悲劇が、そっくりそのまま起こるのです。イワンは驚くしかありません。どんなに善意をもってしても、自分には人生の進路を変える力がないのです。 イワンは魔法使いのところに戻ると当惑しきって、どうしてこのようなことになるのだろうと尋ねます。魔法使いは答えます。 「物事を変えるには、君自身が変わらなくてはならんのだよ。君の心の中を変えて、これまでと違ったものにしなくてはならない。辛抱強くがんばらなければ、新しい本質は手に入らんぞ。けれども、その新しい本質は、君のためになるように物事を動かす新たな種になる。すると、何もかもが変わっていくのだ」 宇宙のセオリーは、人生に対する反応 of 仕方をまるで変えてしまいます。それは、まさに目を見張るような変化です。何もかもが、まったく違ったように見えてきます。 以前は必要不可欠だったものが、取るに足らない些事になります。目もくれなかったものが、今では大事な宝物になります。社会が騒然としているからといって、心の中までかき乱されなくてもよいのがわかってきます。内なる王国の自由は、外からの攻撃にいささかも動じないことを、はっきりと実感できるのです。 自分の選択次第で、犠牲者から勝利者に確実に転じられるということを肌で感じるのは愉快なものです。もう一日中、必死の思いで駆けまわらなくていいのです。本当は、そんなに息を切らしてまで走りたいとは思っていなかったことがわかったのですから。 それ以外にどうしていいか、知らなかっただけなのです。けれども、今は違います。宇宙のセオリーの世界をはじめて垣間見るという素晴らしい体験をしたのです。 それだけではなく、先に進みつづけるための秘密にも気づいてきます。私たちはただ、この新世界がこの世の果てだという考え方をつねに拒めばよいのです。 # 人生を変えるこんなテクニック 日常的な出来事に関して、私たちは正しい順序で物事を進めることの大切さがよくわかっています。たとえば、家を建てるなら、土台が先で屋根はあとです。野菜は適当な大きさに切ってから火を通すものです。精神的生活についても、混乱を避けて穏やかな心境になりたいなら、それとまったく同じ、「正しい順序の原理」を優先させなくてはなりません。この考え方をきちんと把握して実行すれば、人生は大きく転換します。 幸せになりたいと思う人がいます。いいでしょう。幸せになれるでしょう。けれども、順序を無視して幸せを先に追求すれば、いつまでたっても幸せは見つかりません。その場かぎりの快感や気晴らしはあっても、満足は長つづきしないのです。なにしろ、正しい順序をふまえていないのですから。 幸せは、自分を発見しようとする真剣な努力のあとについてくるものです。自分のことを知らないのに、幸せになれるはずがありません。自己理解は穏やかさへとつづく扉なのです。では、他の領域にはどんな順序の原理があるのかを見てみましょう。 * 人を変えるよりは、自分を変えよう。 * 内なる自己に、外部世界へのはたらきかけを任せよう。 * 真実を追究する前に、偽りを捨てる。 * 愛情を与えられる人間は、人からも愛される。 * 傷ついたら、傷つけられた相手ではなく、その理由に注目する。 * 内なる完全性が先、よい成果が後。 * 考えてからしゃべる。 * 本当の自分になるのが先、人づき合いはそのあと。 * 自分を理解してから、人を知ろうとしよう。 * 自己満足に陥る前に、自分に目覚めること。 * 思うにまかせない状況ではなく、マイナス志向を改める。 * 大きな決心をする前に、小さな努力をする。 ひょっとすると、あなたは思いがけない危機に見舞われているのかもしれません。そうした場合には、どのような正しい順序があるのでしょうか? まずは、問題をいきなり攻略しようとはしないでください。それでは、事態をますます悪化させるばかりです。それよりは、宇宙のセオリーから学んだすべてのことを、今すぐその問題と結びつけてください。 たとえば、自分の人生が薄っぺらで、迷っているばかりのように感じている人がいたとします。宇宙のセオリーは、何を指摘するでしょう? そう感じるのは、あなたが本質的な自分に立ち戻っていないからだと言うでしょう。同時に、自分をもっと知ることも勧めるはずです。そういう絶望はまったく必要ないのにと、やんわりと指摘したりもします。こうしたことがすべて解決策に通じ、本人の思いもよらない結論にたどりつくのです。 宇宙のセオリーの基本原則に取り組むのは、なんのためなのか思い出してください。あなたは今の自分を変えたいのです。何かやってみたいという生半成な理由だけで試すのではありません。あなたが目指しているのは、新しい自己なのですから。 「肉体的な欲求についての正しい順序を教えてください。私たちはつい食べ過ぎたり、性欲にとらわれたりしますから」 「肉体的欲求をもつこと自体はおかしくありません。ただ、そこから得られる快感”を優先させると、欲望にとらわれてしまうのです。私たちは、理解ができていないものには、すぐにのめりこんでしまいます。食べ物やセックスは、強烈な刺激剤です。そして、この刺激こそが偽りの自己がもとめてやまないものなのです。 人はこうした欲望がなくなったら、生きがいがなくなるのではないかと恐れています。ところが実際は、そうなってはじめて生きがいに出会えるのです」 # 男女間の愛には原則がある 私たちが生きている宇宙を支配しているのは、魂と精神の基本原則です。その基本原則を理解し、それに沿った生き方をすることが、私たちに唯一もとめられるのです。オランダの哲学者バルーフ・スピノザは、この考えにもとづいた哲学を展開させました。 心の奥深くにある自己は、すでになんでも知ってもいるし、理解もしている。それに気づくことがまず、私たちの立脚点となります。勢いよく流れる地下水流が、地面を突き破って噴き出そうとするように、人生の原理も、私たちの硬化した考え方を突き破ろうとしています。 私たちがその勢いに抵抗しなければ、長年の疑問が氷解します。どうしてそのようなことが起こったのか、一つひとつ納得できるのです。 たとえば、男女間の愛をつかさどる原則です。愛を与える能力と受け入れる能力は、もとをただせばひとつなのです。男性が女性に心からの愛を与えても、女性が同じ愛のレベルになければ、愛を受け入れることも返すこともできません。 自分のレベルよりも上のものを受け取るのは、絶対に無理なのです。それは、地面に立っている人が、木のてっぺんに実っているモモをとれないのと同じことです。 人を愛せない男性が自分を愛してくれる女性を探しまわっても、無駄というものです。欲求不満が延々とつづくだけでしょう。そもそも、本当に自分を愛してくれる女性に出会ったとしても、それを識別することはできないでしょう。それに、その女性も男性と自分のあいだには共通するものがないと判断するはずです。 精神的なレベルが大きく隔たっている男女が愛し合うのは不可能です。なぜなら、ひかれるものが互いにないからです。好意を魅了するのは好意です。愛を魅了するのは愛のみ、愛を返すのも愛のみです。 もうひとつ心にとめておくべきなのが、「偽りの自己」は実在していないということです。ところが、私たちはこの架空の自己が自分だと勘違いして、それに応じたおかしな行動をとってしまいます。それは、ゴリラの着ぐるみをつけた人が、うっかり自分はゴリラだと思ってしまうのと同じです。 誤った前提にそって考え、行動するため、どこに行っても奇妙な振る舞いになってしまいます。本当の自分に気づけば、ゴリラの仮装もとけ、行動も理にかなったものになるのです。宇宙のセオリーは、誤った自己に関する感覚を捨てよと要求します。それは、単に愚かさを捨てよと言っているのと同じことなのです。 宇宙のセオリーの基本原則と調和して生きるのは、ピアノの演奏と似ています。曲をうまく弾いているときは自分でもわかるし、間違ったキーを叩いたときもよくわかります。間違った音は、すぐに聞き分けられるものです。 それと同じように、人生の不協和音が聞こえたら、宇宙の曲を正しく弾いていないのがわかります。不協和音を奏でつづける必要はありません。私たちに、失敗は似合わないのです。また楽譜を見て、もう少し練習すればいいのです。正しく弾けるようになるのは、不可能ではありません。 「前に、宇宙のセオリーは心の健康を保つのに役立つとおっしゃったことがありましたね。宇宙のセオリーの基本原則を把握すると、考え方がすっきりと整理されるのでしょうか?」 「私たちは物事のイメージではなくて、ありのままの姿を見るようになります。例をあげましょう。私たちは変化と損失をよく結びつけて考えます。そのような想像はやめるべきです。あなたは変化が起こったら何かを失うのではないかと、恐れているのではないですか? 心理学的に言えば、変化が無駄になることは絶対にありません。ただ変化があるだけです。そう考えたら、毎日の出来事が、きっと希望に満ちたものになりますよ」 # 新たな自由と幸せのための「四つの黄金のステップ」 洞察が深まってくると、心の基本原則どうしの関連性が見えてくるようになります。たとえば、「悪人に手向かってはならない」と、偽りの神の崇拝禁止です。 どこがどう結びつくのかって? 私たちが何かに、たとえば意地の悪い言葉に抵抗したとします。抵抗するのですから、その言葉が自分を傷つけられると信じているわけです。つまり、無力であるはずの偽りの神、この場合は心ない言葉を崇めていることになります。ところが無抵抗なら、むしろその虚勢を見破って、偽りをうち負かせるのです。 宇宙のセオリーの調和への第一歩は、その言葉に耳を傾けることにあります。 ではここで、私が開発した「新たな自由と幸せのための四つの黄金の鍵」を紹介しましょう。これは読者が役に立ったという、シンプルな四つの基本ステップです。 [1] 真剣に心の変化を望む――自己変革は、「違う人間になりたい」と心から望んだ瞬間に始まる。 [2] 変化の鍵となる基本原則を知る――書物や悟りをひらいた指導者、自らの内なる光など、本当に助けになるものと出会う。 [3] 自分を見つめる――勇気をふるって自分の現実と向かい合う。たとえ不安に陥ったとしても、悪循環を断ち切るためには、この過程は避けて通れない。 [4] 持続する ――継続すれば、幸せは少しずつでも確実にやってくる。それは点滅する光が、やがて永遠に消えない輝きを放つのに似ている。 書物の中で見つけた基本原則に目を通し、自分で取り組むにつれて、心の中で不思議な変化が起こってきます。以前はなんとなく心ひかれていた言葉や文句が、妙に心迫るものになっているのです。それはつまり、言葉をこえたものを見たということを意味します。直観力にすぐれた自己がついに現れ、知識だけの考えを血の通う実体験に変えたのです。 それは、まるで有名な宇宙飛行士の講演を聞いたときのようです。宇宙飛行士は、月の驚異について語ります。月の大きさ、地球からの距離などの説明があり、あなたはなるほどそうかとは思ますが、ちっともワクワクしません。 ところが講演会が終わって外に出ると、こうこうと輝く黄色い月が出ています。あなたはまじまじと月を見つめます。言葉から受ける感じと実体験とは、なんという違いのでしょう! # さあ、元気を出して! 人生がいくつもの階層の理解から成り立っているのがわかると、実にさまざまな謎が氷解します。 私たち一人ひとりの人間は、それぞれ違った階層に位置しています。たとえば、いろんな失敗をするのは、理解が足りないのに高レベルの成功をつかもうとするからだとわかるでしょう。それはまるでアパートの三階に住みながら、六階の満足をほしがるようなものです。特定のレベルの見返りをもとめるなら、実際にそのレベルに達していなくてはなりません。 高いレベルの人生では、あなたも他の人たちも、必要なものはすべて手に入れています。競争や限界というものが意味をなさなくなるのです。私たちだって、呼吸する空気のために争ったりするでしょうか? そこでは万事がそうなのです。 私たちは是が非でもこのことを理解しなくてはなりません。精神的レベルと自分の身に起こることに関連性があることを認めなければ、いっさいの改善が望めないからです。自分自身の問題なのに、心中ひそかにだれか他の人や環境を責めているとしたら、お門違いもいいところです。 どんなときでも厄介事を起こすのは人間です。つまり、原因は厄介な体験をしている当の本人のにあるということなのです! 挫折するのは、理解がないのに無茶をするからです。自分の洞察のレベルをこえたことをして成功するはずはありません。ただし、レベルを上げる取り組みは可能です。理解とは実行です。しかもそこには、やっただけの成果があるのです。自分の理解を飛び越えてはなりません。理解をたいまつのようにかかげれば、前途を明るく照らしてくれるのです。 ここにひとつの謎があります。 レベルが上がる前は、必ず闇に突入しなくてはなりません。それは、あたかも坂をのぼる列車がトンネルに突っこんでいくようです。 では、より高いレベルに出て日の光を浴びる前に、どうして闇という不確実さの中を通過するのでしょう? 実はこの闇は、私たちがすでに知っているつもりになっている思いこみを捨てることを象徴しているのです。それは、自分をこえた英知を真摯に受けとめる過程でもあるのです。 闇をも恐れない者は、光を見出せます。人間の理性が完全に答えに詰まったとき、答えは現れるのです。筋道の通った考え方を自分に強いるのは無理ですが、自分がちっとも冴えていないのには気づくことができます。混乱しているという自覚は、それ以上疑うことはないという、新たな明晰さにつながります。自分の考え方のどこかが誤っているのではないかと疑って、頭を悩ませる必要はないのです。それどころか、ワクワクするはずです。なにしろ、素晴らしい発見を目の前にしているのですから。 さあ、元気を出してください。あなたはこれまで、今の日常生活をこえた高いところに何かがあるのではないかと、たびたび疑ってきました。そのとおりなのです。風がある部屋が密閉状態でないように、あなたの思考も感情も封じこめられているわけではありません。真の人生は、風のように自由なのです。 # 未来についての宇宙のセオリーの教え 「どうして急ぐの?」 さて、この先はどうなるのでしょう? 私たちはそのために、これまでいろいろなことを探求してきたのです。精神的なメリットだけで片づけるつもりはありません。みんなが救われたいと望んでいる、現実的なことにも触れていきましょう。 あなたは体の健康について、どんなことを望んでいますか? 筋肉のコリをほぐしたい? 頭痛から解放されたい? もっと元気になりたい? 疲労から回復したい? ぐっすり眠りたい? それが実現します。本当に気分がよくなって、健康になったと感じるようになります。新しい次元にステップアップすれば、体力も増進するのです。 小さな男の子が隣家のパーティーに招かれています。他の子どもが二人帰っていくのを見て、男の子は自分も帰る時刻ではないかと気にしはじめます。隣家の奥さんが尋ねます。 男の子は一瞬考えあぐねてから、母親に向かって叫びます。 「ママ、どうしてぼく、急ぐの?」 このエピソードは、もうひとつの成果――急がなくてはという焦燥感からの解放をよく物語っています。 目覚めつつある私たちは「なんのために急ぐのだろう?」という疑問をもつようになります。耳を澄ませてごらんなさい。答えが聞こえるはずです。 「急ぐ理由は何もない」と。 もうひとつのメリットは、未来に関することです。こういう質問があります。 「宇宙のセオリーにしたがえば、未来を見通せるのでしょうか、それとも予言なんてでたらめなんでしょうか?」 「内なる未来を言い当てる、確実な予言はあります。自己変革を試みれば、間違いなく人生が楽になります。外部的な出来事に関しては、通常の判断で進めればそれ以上の気づかいはいりません。真の自己に忠実に生きれば、将来の経済状態や人間関係について、思い悩んだりすることはなくなります。明日のことは、まるっきり考えなくなります。無理な努力をしなくても、心の中に新たに生じた 目的”が、すべて順調に運んでくれるのです」 # 第7章のポイント 役立つヒント [1] 内なる改革が、それ以外のすべてを魔法のように変える。 [2] 物事の順序を間違えない。 [3] 魂や心理学の基本原則を理解しよう(例、愛を魅了するのは愛) [4] 「四つの黄金のステップ」の原則を胸に刻んでおこう。 [5] 万物が起こるままに流れにただよう。力を抜いて生きる。 [6] 自分の理解のレベルと、自分の身に起こることとの関連性に気づく。 [7] 元気を出そう! [8] 内面生活に誠実な取り組みをしている人にとって、未来はすべて順調。 [9] 心の扉を開くと、前向きな考えや印象に出会える。 [10] 勇敢かつ最良の資質を胸に、宇宙のセオリーの道を歩いて行こう。 # 第8章_恐れと緊張への特効薬 # 本当の自分から湧き出る音楽に合わせて陽気に踊る 「私は、自分の問題がどんなものか理解していたら、もっとうまく対処できたんじゃないかと思うんです。自分の悩みの正体がわからないというのも、おかしな話ですよね? 前は、わかっているつもりだったんですが、今は違います。 こういう私について、何か気づかれたことはありますか? 私の問題がどこにあるかわかりますか?」 「わかりますよ」 「具体的に教えていただけますか?」 「あなたが真理をとことん探求したいのならね。人間の心理は、心の底から望んでいないものは受け入れないものなのです。どんなことにも耳を傾ける覚悟はありますか?」 「ええ。なぜか、それしか方法がないという気がしてならないんです。ですから遠慮なくご指摘ください。私がうまくいかない根本的な理由は、どこにあるんでしょうか?」 「あなたは恐れています」 「恐れている? え?」 「恐れはどんなときも、大きな障害物となって人を本来の自分らしさから遠ざけてしまいます。とげがサボテンにとって当然のものであるように、恐れや心配も偽りの自己の一部です。ですが、ここにも明るい希望はあります。それがわかりますか?」 「本来の自己をとり戻せば、恐れがなくなる、ということですか?」 「そうです。恐れようにも恐れられなくなるのです」 「それこそ、私のもとめていた答えだ。では、それはいったいどういうことようにのでしょうか? 続きを探求したくなりました」 本章は、このことをテーマに進めていきましょう。 宇宙のセオリーの道を進む者は、表面的な身震いと、より深い畏怖という、二頭の恐怖のドラゴンを必ず倒さなくてはなりません。恐れはそれ自身が手ごわい敵であるばかりでなく、怒りなどの他の否定的な感情をもたらします。儒教などでは、恐怖を最大の自己破滅者ととらえているのです。 恐れの根幹にあるのは、誤った自己認識です。悩みや情緒不安といった、他の否定的な心理状態も同じ根をもっています。それは、病気にかかった木から酸っぱいリンゴがなるのと同じです。 人は、あたかも自分の名前や体を、自分の持ち物であるかのように錯覚しています。そのために、壮絶な人生の戦いを繰り広げて、自分がそういうものであることを証明しようとするのです。これは実を結ぶはずのない努力ですから、毎日その悲しい事実を思い知らされることになります。それでも、代わりにどうしてよいかわからないので、人は空しい苦闘をつづけます。陽気にふるまっている多くの人々の目が何かを訴えているのは、そのためなのです。 誤った自己認識は、人生を恐れて、自滅に結びつくような考えをいくらでも生みだします。たとえば、首尾一貫しない社会の指図にしたがって生きる「べき」だという理屈ほど、危なっかしくていらだたしいものはないでしょう。 そんなことをする必要はありません。むしろ、あなたにとっての唯一の実生活は、魂の本質から自然に生じるものなのです。 そんな人生が実現したとき、私たちはロボットであることをやめて、自分の望む生き方をする気高い人間になります。もはや権威主義社会の楽隊のマーチに合わせて仕方なく行進することはありません。本当の自分から湧き出る音楽に合わせて陽気に踊るのです。 そこまで自由になれば、どんなことも、どんな人も恐れることはなくなります。そう、なにごともどんな相手も。 # よい結果にも悪い結果にも平常心でのぞむ 日常的な事柄、たとえば金儲けとか人間関係、昇進などでどんな結果が出ようと、一喜一憂しないようにしてください。 結果を気にして自分を苦しめていることに気づいてください。新しい友人は、自分に好意をいだいてくれるだろうか? 売り上げはあがりそうか? 幸せな結婚生活を送れるだろうか? これは成功するのだろうか? 結果を気にするあまり、大きな苦痛を味わっているのです。しかもこのことが原因になって、無意識に失敗をまねく結果にもなっているのです。 世間でいうよい結果にも悪い結果にも、平常心をもってあたるようにしましょう。あなた自身の幸福に関するかぎり、どっちに転んでも大した違いはないのですから。 私たちが経済的成功や社会的利得をもとめるのは、心の満足が得られると考えるからです。ところが、そうではありません。これまでずっと心の奥で疑っていたように、やはり満足など絶対に味わえないのです。 世間的な成功はエゴを刺激しますが、自己の充足にはいたりません。外部的な結果が内面の幸福をもたらせないのは、帽子を新調しても新しい心を手に入れられないのと同じです。 こんな反論もあるでしょう。 「だけど、結果に喜んだり悲しんだりすることがなくなったら、何を生きがいにすればいいのでしょう?」 宇宙のセオリーは答えます。 「いつまでも変わらない幸せのために」 たしかにこの基本原則は、私たちがこれまで教えられてきたことにことごとく矛盾しています。私たちはみな生まれたときから固執し、期待し、もとめるように仕向けられているので、結果的に不安に陥ります。そうです、それが人間界の流儀なのです。 けれども、私たちはもうそういうことには愛想をつかしました。今、歩んでいるのは、それとは何もかもが異なるのが宇宙のセオリーの道です。 ここで私たちは、重荷を惜しげもなく捨てられるという贈り物を受け取りました。実は、それこそがずっと憧れてやまかったことなのです。 どうしてもこうなってほしいとエゴを満足させるために願うのをやめると、その成果の良し悪しにかかわらず、のんびり構えていられます。そうして自由を手に入れた人は、人間の価値判断をこえた善のレベルまで浮上します。 日常的なことが、投げやりになるということはありません。むしろその逆で、毎日の仕事はそれまでよりもはるかにうまくこなせるでしょう。この自由があればこそ、心を整理して、感情を味方につけることができるのです(詳しくは次章を参照)。 それでは、どうしても成功したいと思っていることを思い浮かべてください。そして、自分に問いかけてみてください。 「結果がどうなってもいいと思ったら、どんな感じがするだろう?」 ほらね。これで結果がどう出ようと、落ち着いていられるのは間違いありません。それが、私たちが目指している境地なのです。 # 宇宙のセオリーの基本原則から得られるもの 「私は事務職のビジネスマンです。経理の計算に関しては、自分が無関心になれるとは思えませんね。どうもこの考えは、私になじまないようです」 「こんなふうに考えたらどうでしょう。仕事はこれまでどおりバリバリこなしてください。ただ、それは生活の糧を得るものと割り切って、決してエゴを満足させる道具にはしないでください。 この二つの違いについては、ぜひとも理解してほしいことです。きっと、仕事でどんなに深刻な問題がもち上がっても、頭をかかえることはなくなりますよ。ややこしいことになっているのは状況であって、あなたではないのですから」 「そいつはいい。どうすればいいか、ポイントをお話し願えますか?」 「日常的には、いろんな目的のために知恵をはたらかせて仕事をしても、その結果について気にするのをやめるのです。起こるべきことは起こるのだから、それでいいという感じでね。特定の結果になることをもとめなければ、心が乱されることはありません。あの顧客が製品を買ってくれればとか、この人は自分を評価してくれるべきだとかね。 どんなことにも、だれに対しても、要求を掲げるのをやめるのです。この素晴らしい原則をものにできたら、あなたの人生は一変しますよ」 読者のあなたも、今すぐとりかかることができます。最初は小さなことから試してみてください。 好きなことをして、そのあとは完全に成り行きに任せるのです。それを「結果」と呼んでも、「良い結果」「悪い結果」などと決めつけてはなりません。それさえできれば、神秘的で強力な宇宙のセオリーと調和することができます。 それでは、それを効果的に進めるために、どんな具体的な手順があるのかを見てみましょう。 長年の試行錯誤の結果、私がたどりついたのは、基本原則をひとつ選んで一文にまとめ、数日間そのことについて考えるという手法でした。地元ロサンゼルスの宇宙のセオリー研究グループでは、そうした方法を実際に取り入れています。あなたも本書に出てくる何百というアイデアのいずれについても、同じ手法を適用することができます。 では、とくに興味を惹かれた考え方をひとつ選んで、実際に試してみてください。ここでは三つ、宇宙のセオリーの基本原則を選んで、その思索の例を挙げてみましょう。 * **基本原則「宇宙のセオリーの道には、勇気と忍耐が必要だ」** 私の思索「私が毎日努力しているのは、より強く、自分を知る人間になるためだ。今、自分の信念や見解の世界が足元から崩壊したとしても、びっくりしたり不安に陥ったりすることはないだろう。むしろ、歓迎すべき必要なことなのだから。そうなれば、何もなくなった更地に英知と穏やかさからなる新しい自己を築くことができる」 * **基本原則「人は眠っているが、目覚めることができる」** 私の思索「人が苦しむのは、物事の本来の姿を見ていないから。あまりにも催眠状態が深いので、この世のすべてを憶測のフィルターを通して見ているのに、それを疑ってもいない。だけど、目覚めることはできるはず! 変えられないことはない。別の世界が待っているのだ。エゴセルフに屈服しまいという意志があれば――力でも知恵でもなく、意志さえあれば――自由の身になって縛られない人生を送れる」 * **基本原則「私たちは、たえず自己をきちんと理解しようとしなければならない」** 私の思索「自分を知るのが先。自己理解ができあがっていなければ、問題の発生を防ぐことも、撃退することもできない。混乱をまねくような感情、たとえば失望や自己憐憫などは洗い流そう。さもないと、自己理解はむずかしくなる。目に涙をいっぱいにためながら、物をはっきり見ることなどできるだろうか?」 # 恐れから解放されるために 何かを恐れると、恐れたものにありもしない力を与えることになります。私たちを縛りつけていると思われる鎖は、実は紙でできているのです。見るべきなのは、そこです。たとえば、こんな質問があります。 「あなたは折にふれて、物事はそのイメージではなく、ありのままの姿を見るべきだおっしゃいますね。毎日の生活で、そういう例を挙げてもらえますか?」 「では、人生も後半にさしかかった男性が、ある日突然自分の事業はうまくいっていない、またはせいぜい月並みだということに気づいたとします。友人は自分より成功しているか、すでに退職して悠々自適の年金生活を送っています。 そう考えると、彼は暗澹たる思いにとらわれます。自分だけ損をしているような気がするのです。ところがその男性も、まばたきひとつで何もかも変えることができます。彼もただ、物事をありのままに見ればよいのです。 そもそも、世間的に成功しようがしまいが、その人自身の幸福にはいささかの違いもありません。それは、これまでもずっと同じはずでした。ただ、成功はいいものだという暗示をかけられているために、彼はいまだに催眠状態から脱せないでいるのです。だいたいにおいて、成功している友人だって、見かけとは裏腹にちっとも幸せではないのです」 恐れによるありもしない力をうち砕きたいなら、人間関係から手をつけましょう。そうすれば、社会が巻きつけた紙の鎖など断ち切ることができるのです。ひどい仕打ちを受け、威張り散らされても、卑屈になるのを拒んで、何も恐れずに真の人格に沿った生き方をすることができます。 「人間関係で、無視できないのにめったに取り上げられない領域がありますよね。つまり、人が人に対していだく恐れのことです。このことについてはどう思われますか?」 「だれかを恐れるような人間関係を、内心でそれでもいいと認めてしまってはいけません。そういう相手と一緒に暮らさなくてはならないとしても、がんとして恐れをはねのけるべきです。宇宙のセオリーの手法を使えば、それもできないことではありません」 「恐れが潜在する人間関係とは、どんなものですか?」 「あなたが完全に気をゆるしていない場合ですね。気まずさを感じている相手は、愛することも理解することもできません。あなたは、自分がその人物におびえているということに、まず気づく必要があります。それが他の洞察を引き出して、やがては恐れからの解放につながります」 「どうして、人のことが怖くなったりするのでしょう?」 「相手に望むことがあるからです。その欲求の中身は実にさまざまです。親密さ、承認、セックス、安心・・・・・・。そもそもの間違いは、ここにあります。真の自己は欲求に振りまわされたりはしません。ところが、その真の自己をまだ発見していない者は、満足感を人から得ようとするのです。 そうなると、自分の思いどおりにいかないのではないかという恐れや、そうしてもらったらあとで高くつくのではないかという不安が生じます。そんな身をすり減らすような苦痛を、私たちはこれ以上我慢すべきではありません。新しい洞察を得れば、人間関係で悩むことはいっさいなくなるのです」 # 恐怖を捨て去る四つのステップ 恐怖を背景にした人間関係は、絶対に受け入れてはなりません。ただしそのことは、必ずしもその人間関係を終わらせることを意味するのではありません。 決着をつけるのは、むしろあなたの恐怖のほうです。そのためには、次のような四つのステップを踏むといいでしょう。 **[ステップ1]** なんらかの理由で、自分が怖いと思っている人物を思い浮かべましょう(自分が怖がっていることを正直に認めます。でないと、先に進めません)。できるだけ顔を合わせる機会が多い人物を選びます。その人間関係を糧に、ほかの人にも新たな勇気をもって接することができるようになるでしょう。 **[ステップ2]** その人物に対して、自分の望む振る舞いや考え方、話し方をします。精神的に相手にのまれず、いつもの行動パターンをうち破ってください。あえて相手を挑発して、今までの自分とは違うことを示します。 この相手を挑発するプロセスは、絶対に欠かせません。あなたの恐怖心は、相手に激怒されたくないという一心から生まれています。勇気をもちましょう。相手がかんしゃくを起こしたとしても好きなようにさせておけばいいのです。ただし、自己主張は些細なことから始めてください。一足飛びに大事にかかると、成功はおぼつきません。 **[ステップ3]** 思いきった行動によって何が起こっても、感情的にならないようにしましょう。一歩退いて、自分の心の中や状況にどんな影響や結果が生じるのかを観察します。われ関せず、という態度で成り行きを見守ります。 **[ステップ4]** これを辛抱強くつづければ、それまでになかった自立心が生じます。といっても自立心は、はじめから自分に備わっていたのに気づいていなかっただけのものです。いまやあなたは本来の自由に目覚め、それを存分に楽しむことができます。そして、この地上に生きるどんな人間に対しても、恐怖心をいだかなくなるのです。 ステップ4まで終わると、人に対する自分の態度や行動に、明らかな変化が見られることでしょう。あなたは本物の自立を手に入れたのです。 これまでのように、人を怒らせるのではないかとびくびくすることはありません。自分は見捨てられるのではないか、嫌われるのではないかという深刻な心配から解放されたのです。 あなたはまったく新しい方法で人間関係の主導権を握るようになります。といっても、具体的な指図を出すのではありません。ただ、人が何をしようと、心を乱されることがなくなるのです。 ゴールは、人間関係の束縛から解放されることにあります。そして、そうすることが真の思いやりにつながるのです。人の束縛から逃れたときに、魂は愛する能力を獲得するのですから。 私たちは、調和という素晴らしい力を備えています。その調和の力を使えば、現状よりもはるかに上のレベルまで成長することができるのです。今ある力を基準にして、勝手に限界を設けてはいけません。考え方の限界を能力の限界としてはならないのです。 「こんなことも変えられるのだろうか?」という問いには、いつも「もちろん変えられる」という返答をしましょう。 その手始めに、これまでの要点をふりかえってみましょう。今日、宇宙のセオリーの基本原則を実現させれば、昨日の泥沼化した人間関係から解放されるのです。 # 第8章のポイント――成功を呼ぶ考え [1] 恐れはまったく必要ない。 [2] 恐れを払拭すると、人生が自分の望みどおりのものになる。 [3] 心の中の緊張を解消するには、内なる自己と接するしかない。 [4] 人に考えてもらわず、つねに自分で考えよ。 [5] 何につけても結果を気にしない。 [6] そうして宇宙のセオリーの基本原則が、あなたのためにはたらくのに任せればよい。 [7] 恐れ自体にはまったく力がない。人間関係で人を恐れることを拒めば、そのことが実感できる。 [8] 自己統一を果たした人は、絶対に不安にならない。 [9] 気分がワクワクするのを、本物の幸せと勘違いしない。 [10] どんなに外部生活が混乱していても、心の中ではのんびり構えていられる。 # 第9章_宇宙のセオリーが約束する幸せ # 幸せとは一体なんでしょうか? 世の人々は、どんな幸せを経験しているのでしょうか? ブッダは次のようなたとえ話で、情けない幸せについて説明しています。 ある日、森を通りかかった旅人がトラに追いかけられました。旅人は死に物狂いで逃げましたが、とうとう崖っぷちまで追い詰められてしまいます。と目の端で、崖から植物のつるが下がっているのが見えました。 旅人はそのつるにつかまって、崖から飛び降ります。ところがつるは短すぎて、地面には降りられません。そうこうするうちに、もう一頭のトラが足元に現れて、すさまじいうなり声をあげはじめました。トラが頭上と足元で待ち受けています。これ以上絶望的な状況はあるでしょうか? ところが、宙吊りになった旅人は、崖の壁にいかにもおいしそうなイチゴがなっているを見つけました。旅人は手を伸ばしてイチゴをつまむと、その美味な果肉にかぶりつき、思わず感嘆の声をあげました。 「なんてうまいんだ!」 世間の人とは、たいていこのようなものです。恐ろしいトラに上下をはさまれて絶体絶命のピンチに陥っているのに、イチゴ――新たな楽しみ、金儲け、社会的成功――に気をとられて、それを幸せと称するのです。 そうする必然性はまったくないはずです。まずは、トラを片づけるのが先決です。そうすれば、どんな種類のイチゴを人生が差し出そうと、心ゆくまで味わえるはずです。 私たちは、何が幸せでないのかを理解しなくてはなりません。幸せは、外部的な活動ではありません。それはしょせん、内的な不幸から気をそらすためのものなのです。 それでは、幸せとはなんでしょうか? 答えはそれほど複雑ではありません。幸せとは、ただ単に「内面が自由である状態」をいうのです。 では、何からの自由でしょうか? わずかでも自己洞察をはたらかせたら、だれでも自分でその答えを見つけられるはずです。それは、私たちが口にしたことがない、秘められた怒りや不安からの自由です。 人に認められず、無視されることを恐れる気持ちからの自由です。強迫的な行動に駆りたてて、そのあげくに私たちを後悔にいたらせる妄信からの自由です。特定の人物や環境を手に入れれば万事うまくいくと私たちをだます、悲痛な願望からの自由です。 つまり幸せとは、私たちを不幸にするあらゆるものからの自由なのです。 And、幸せに一定の形はありません。欲求の枠組みの中にはめこむのは不可能なのです。私たちは、この妻や夫でなくては、この仕事や業績、家、安全、興奮、気晴らしでなくてはとしがみつきます。ところが、欲求が満たされても、それ以前より幸せにはなりません。それはただ、不幸せを覆い隠しただけだからです。その下には不幸せがまだあるのですから、なんらかの変化があれば、いずれまた顔を出すに決まっています。 とにかく、その枠を壊さなくてはなりません。And、物事が起こるのに任せるのです。すると私たちは、新世界に入りこみます。それは、そんなものがあるとは思いもよらなかった素晴らしい世界なのです。自分はこうだ、というイメージの一つひとつが事実かどうか、冷静に問いただしてみてください。「思っている自分とまったく違う人間になれるだろうか?」と尋ねるのです。そして、そうかもしれないという気になってください。 すると、奇跡が起こります。それは、新しい自分への目覚めという、素晴らしい体験です。あなたは、自分に対して今までと違った感覚をもちます。どこがどう違うのかはわかりませんが、それを説明する必要もありません。でも、今まで感じたことのないワクワクした気分が、かすかかもしれませんが、確実に感じられるのです。大河に指を一本浸したら、たちどころにその力強い流れを感じることでしょう。それと同じことが起こるのです。 # 「永遠の幸せ」に関する真実 愉快に感じることは断じて幸せではない、ということを知れば、認識の修正も可能になります。愉快な気分の次には不愉快な苦痛がやってくるのに気づいてください。 それは、涼しい木陰とうだるような暑さの日なたを交互に歩くようなものです。と同時に、どんなに気分が浮かれていても、心の奥底に漠然とした重苦しさや不安があることにも気がついてください。 そういうとき、私たちはいつまでもいい気分でいられないのを察知しています。借り物の刺激を与えてくれるものを、すぐにまた探さなくてはと痛感しているのです。快感は貪欲なドラゴンのようなもので、始終餌をもとめています。 ところが、長つづきする幸せや至福の喜びは、うつろいやすい快感とは似ても似つかないものなのです。 「それゆえ、人類の真の目的は、苦痛を回避して無上のよろこびを得ることであるにもかかわらず、人間の致命的過ちのために、苦痛を避けようとしながらも、快楽という気を紛らわすものを追い求めることになることがわかる。それを無上のよろこびと勘違いしているのだ。快楽ではなく無上のよろこびを得ることは、宇宙の高次の必然性である。それは、快楽の目的をひとつ獲得しただけでは満足できないことが、間接的な証明になっている。 人は絶えず次から次へと飛びつく。金からきれいな衣服へ、きれいな衣服から財産へ、And結婚の喜びへと、落ち着く暇もなく延々と。そのため、自分なりに正しい方法で苦痛を避けようとしたとしても、つねに苦しい思いを強いられる。それでも、名状しがたい満たされない思いをしているのです。 欲求は、いつまでも心の中に居座っているように思われるのだ」(パラマハンサ・ヨガナンダ『宗教の科学』) こうしたことはみな、人生を楽しむ権利を否定しているのではありません。本物の喜びを剥奪したりもしません。むしろ、その正反対の作用をするのです。 刹那的な快楽に依存しなければ、永続する楽しみが見出せます。どんな人間も環境的条件も、この内なる喜びを奪うことはできません。 人々はまじめすぎるのです。なぜか、まじめさは熱心さを表すものと思い違いをしているため、遊んでいても堅苦しく、まるで義務的に行っているようです。レクリエーションと言いながらも、その多くが妙に脅迫的なのに気づいたことはありますか? 遊んでいても負担に感じるのは、気ままに楽しもうという自由な気分から始まったのではなくて、義務感からしぶしぶ行っているからです。 自分には人生のスケジュールを埋めつづける役目があると、私たちは考えます。ぞっとしますね。ところが実際は、私たちの魂は陽気なのですから、遊びは遊びとして、楽しむべきなのです。 このような一種独特な無目的性があったときに、私たちは人生の本当の喜びや永続する意味を見出します。宇宙のセオリーの実践者は、臆せずに遊びに興じて目を輝かせるものです。 「はい」 # 人生を心から楽しむ方法 「おっしゃるとおり、人生をのびのびと楽しめたらいいと思うんですが、どうしたらいいかわからないんです」 「楽しむのに方法なんてありません。計画も思惑もなしに、ただ楽しむだけです。子どもには、そういう自発性があります。社会にまだ毒されていませんからね。遠慮しないでどんどん楽しめばいいじゃないですか。なぜ explanation がいるのですか? なぜ正当化しようとするのですか? 飛び出して遊べばいいじゃないですか」 「それがむずかしくて・・・・・・」 「あなたがそうできない理由を、本気で知りたいですか?」 「楽しむのを怖がっているからです。あなたの誤った罪悪感は、自分を解放させまいとしています。楽しむと自分の仮面を裏切るような気がするのです。その仮面はまじめで誠実で、そんなつまらないことに割く時間はないという顔をしていますから。 ところが言わせてもらえば、あなたは、少なくとも人生に対して誠実ではありません。あなたはむっつりしていて陰気なのに、それをまじめさと呼びたがっています。本当の意味でまじめになれるのは、自分を見出したときだけです。自己統合を果たしてバランスのとれた人間になってこそ、楽しい思いができるのです」 「なるほど、そうかもしれませんね。そういう考え方はしたことはなかった」 以上のような考え方は、宇宙のセオリーのとくに重要な点を浮き彫りにしています。それは、だれにとっても自己覚醒が第一義的な課題だということです。さもないと、はっきりとした理由もわからずに、次々と落とし穴に落ちるはめになります。 目覚めるためには、私たちは何よりもまず自分を疑ってかからなくてはなりません。まだ自分は目覚めていなくて、現在以外の意識のもち方があるのではないか、と。 このときにショックや苦しみが役立ちます。つらい目にあうと、さまざまな要求や言い訳とは裏腹に、正しいものは何もないことを思い知らされるものです。すると、私たちは徐々に魂の眠りから揺り起こされます。 では、どうして不幸な状態から抜け出す前に、覚醒が先行しなければならないのかを考えてみましょう。 「信じたいことだけを信じるのはやめなさい」という忠告を聞いたとします。なかなか的確な忠告です。ただ、それを聞いた人が、自分は望んだことだけ信じているのではないかと自問しなければ、この忠告もまったく意味はありません。 でなければ、その人はべつにそれで幸せが壊れるわけじゃあるまいしと思うのが関の山です。 And、自分の考えはしっかりしていると、自分を過信することになるのです。 自らが幸せに反することをしていると気づかなければ、私たちは何もできません。 「自分自身の魂の動きを注意深く見守っていない人は必ず不幸になる」(マルクス・アウレリウス『自省録』) 「少し自分が見えてきたなと思うんですが、今までにない問題にぶつかっているようなのです。どうして、ここにきてまた葛藤があるんでしょうか?」 「カヌーで川くだりをしながら眠ってしまった人は、危険な滝に近づいても平気です。 が、いったん目覚めて危険が迫っているのがわかると、川の流れと逆方向にこぎはじめます。 偽りの考えは、目覚めたばかりの人とことごとく軋轢を生じます。これはよい兆候なので、心配することはありません」 このような宇宙のセオリーの真実をしっかりと理解すれば、漠然とした観念を頭に詰めこむより千倍も価値があります。質をもとめたら、量はあとからついてきます。 それは、夜更けに勝手のわからない屋敷に入るようなものです。最初の部屋では明かりのスイッチを探すのにまごつくかもしれませんが、それが見つかりれば次の部屋のスイッチは、かなり楽に発見できます。あとは、どんどん楽になるばかりです。そして最終的には、屋敷全体が光で満たされるのです。 # 外部的な成功を収めても幸せにはなれない 結婚、住居、仕事などの外的条件を変えても、根本的な幸せを得ることはできません。そのために努力すればするほど、失望するばかりです。変えなくてはならないのは、自己の本質なのです。意識のレベルを上げる必要があるのです。 「手向かう真実を尻目に、多くの人が外部的なものに幸せを見出しようとするのは、どうしてでしょう?」 「真実を掘り下げて見ていないし、理解もしていないからですよ。それに、外部的な変化があると、なにやら新しくなったような錯覚を覚えますからね。もっとも、必ずそれも色あせる運命にあるのです。自分でも、それは容易に見てとれるはずです」 「それに代わるものが、内的な変革なのですね。では、宇宙のセオリーの基本原則を受け入れれば、それはなしとげられるのですね?」 「意識が覚醒するにしたがってわかってくるのが、以前は自分が送信機だと思っていたのが、実は受像機だったということです。あなたは何もする必要はありません。ただ、入り口をもとめる健全な印象を一日中受け入れていればいいのですから。そうなると、意味のない苦労や誤った義務感などから解放されてほっとします。テレビが自分を送信所だと思ったらどうなると思いますか? なんの役にもたたないでしょう。受像機としての正しい役割を果たしたときに、通常の性能を発揮するのです」 「もっと受け入れられるようになるには、どうしたらよいでしょう?」 「人生を刷新する真主に自分で反発しているのに気づいたら、申し分のないスタートがきれますよ。私たちは魂に関する真実には、決まって相矛盾した反応を示します。私たちの一部は感動を覚えても、別の一部がムッとして敵意さえいだくのです。 真実は人の心をかき乱すものです。真実なんていらないという偽りの自己と、何をおいても真実を追究しようとする真の自己とのあいだで対立を生じるのです。 自分が抵抗しているさまを観察してください。それだけで抵抗は弱まって、あなたの感受性は高まるようになります」 ここでまた私たちは、自分自身について目覚めて、表面的な行動の裏に隠されたものを観察する必要性に出会います。たとえば、ピクニックに出かけた人は楽しげかもしれません。けれども、陽気に振る舞っているようでも、お金のことや人に好かれるかどうかといったさまざまな心配を、無意識のうちにいだいていたりするのです。 このような否定的な感情も、はっきり自覚すれば消滅させられます。というのも、憂いは経済状態や人間関係にあるのではなく、否定的考え自体にあるからです。 とかく意識していないもののとりこになってしまうのが人間です。私たちは、意識をすることによって解放されるのです。 世の人々は、外的条件さえ変われば幸せになれると勘違いしています。偽りの自己に操られているかぎり、どんなに外部的な成功を収めても、幸せになれるものではありません。偽物の自己は不幸そのものです。 この事実に関しては、いまだかつて根拠のある反論がなされたことはありません。なによりも私たちの日常的な悲しみが、そのことを雄弁に物語っているのです。 覚醒のプロセスは、次のようになります。 問題―――人が不幸なのは、偽りの自己に忠実な人生を送っているから。 解決方法————自分を正直に見つめる。 結果――真の自己を見出し、自由を獲得する。 新しい状態 幸せになる。 # 宇宙のセオリーの道に沿った幸せとは 次のような考え方にもとづいて思考するのと、ただ思いをめぐらせるのとは違います。このような考え方にもとづいて思考すればこそ、あなたの善なる存在が興味を惹かれるのです。 あなたが本物の幸福に向かって確実に進んでいるときは、次のような状態になります。 [1] 現在体験していることを、はるかに超えるものがあると感じる。 [2] 昨日のことにこだわらない。 [3] 自分には難しすぎてできないことはない、という事実にもとづいて努力を重ねている。 [4] 不幸せにはうんざりしている。 [5] 社会の暗示にかからず、自分自身の人生を生きようと決心している。 [6] やたらと走りまわらない。 [7] 少しずつでも確実に自己覚醒の探求をしている。 [8] 長く培ってきた個人的見解を捨てたいという気持ちが強い。 [9] 知性が直観を妨げないようにしている。 [10] 自分の問題を人のせいにせず、自分の魂が眠っていることに原因を見出している。 [11] 体を動かすだけでは、内なる城を築けないことを悟っている。 [12] ますます自己覚醒し、自己志向の人間になっている。 [13] 真実をねじ曲げさせようとはしない。 [14] 自分が必要としているのは、内なる啓示だけだということを理解している。 [15] 自分の本質を傷つけられる者はこの世にはないと思っている。 [16] 内面の貧しさに真摯に向かいあい、それによって内面の豊かさを発見している。 [17] 外的条件を整理しなおしただけでは、幸せは見つからないことを悟っている。 [18] 内面生活についてますます思いをめぐらすようになった。 [19] にぎやかさよりは静けさを好む。 [20] 本当に必要なものが少しでも欠けたら自分がやっていけないことを、なんとなくわかっている。 [21] 明日のことは考えなくてもいい、ということが最終的にわかったので、まったく気にならなくなった。 [22] 否定的な感情がわいたとき、それに無意識に同調しない。 [23] 自分を豊かにするための努力は、得るものが大きいことがわかっている。 [24] 自分は幸せになる大きな可能性を秘めていて、しかもそのためには、日々成長するだけでよい、ということが真実だと思う。 # 人がバタバタと駆けまわる理由 人が人生を変えられないのは、金のきらめきを見つける前に、砂金の沈む川から離れてしまうからです。一分だけ川底をあさると、もう次の場所に移動です。And、川面がきらめいているのが見えると、別の流れに急いで飛んでいってしまいます。こんなことが、自分を理解しようとしている最中に呆れるほど頻繁に起こります。自分が矛盾していてイライラしているのがよくわかるのに、どうしても自分というものを理解できないのです。 たとえば、名声や富を手に入れようと夜も昼もなくがんばっている人物がいます。ところが彼の体はすでにボロボロで、家庭内は怒鳴り声が絶えず、気分はうつうつとして晴れることがありません。彼が自分をそこまで追いこんでいるのは、明らかに何か得るものがあるだろうという思いがあるからです。ところが、一日の終わりになると、判で押したようにがっくりと落ちこんでいます。なぜでしょう? それは、彼がいだいている自己イメージと関係があります。彼は自分をやり手とか成功者、または金儲けの天才として認識しています。自分にそのような人物設定をしてしまったので、必死になって外部的な結果を出して、それを証明しようとします。 けれども、それは結果がどうであれ、絶対に証明できないものなのです。自己イメージは本当の自己ではないのですから。 それは作り物のイメージで、なんの役にも立たない想像の産物です。だから、このような自己イメージを払拭すれば、すぐにでも悪しきパターンを崩すことができるのです。 「それは、日常的な仕事や社会的活動で手を抜いていいということではないですよね?」 「もちろんです。では、何何十億ドルもの価値があるビジネスの秘訣を伝授しましょう。何何十億ドルといっても決して誇張ではありません。 経営者も従業員も自己イメージを捨てたら、仕事の効率は現在の倍になるでしょう。どうしてかって? ここが肝心ですよ。よく聞いてください。 それは、自己イメージがつねに失望、落ちこみ、ケアレスミス、効率の悪化を招くからなのです。ご承知のように、縛られない人間は、外部的仕事に感情のもつれを持ちこみません。だから、仕事をどこまでも気楽に効率的にこなします。その人は悩むことはないのです。魂の覚醒がなにごとも円滑にしているのですから」 「会社の上司に、それを教えてあげなくちゃ!」 「ただし、動機が不純では困ります。自由になりたいと望むならいいのですが、何何十億も儲けたいというのではね。物事の正しい順序について、お話ししたことがありますね。こうした深遠な宇宙のセオリーの謎も、あなた自らが答えを見つけるべきことでしょう。じっくりと考えてみてください」 # 自分が変わると何もかもが変わる 「お聞きしたいのは、人はなぜ、自分を解放してくれる現実から目をそむけるかということです。どうして、私たちは自分を救ってくれるものに抵抗するんでしょう?」 「見たいと思わないものを見ないのが人間です。気が進まないのは、固定化した偽りの視点を失うと、自分自身を失うような気がするからです。そうした考え方と同一化していますから、その考え自体を自分だと思っているのです。 そんなことはありません。いいですか、古い自己を失えば、自分を救うことになるのです。そのおかげで、結果的に現実や真の自己が見えてくるのですから。 ところが、暗闇の中に足を踏み入れるのには勇気はいります。その先に何もないような気がするからです。何もないわけはありません。ただ、そのためには自分で足を踏み出さなくてはならないのです。そうすれば、何もかもが変わってきますよ」 自分には幸せになる素晴らしい力がある、ということが少しでも見えてくると何もかもが変わってきます。 自分の真の中心を知らないと、自らの可能性を狭めてしまうことになります。それは、百万長者が五十部屋もある屋敷に住んでいながら、小さなクローゼットに閉じこもるのと同じです。自分が変わると、何もかもが変わってきます。 パターン化した思考では、魂の高みまで達するのは無理だと判断すると、私たちは思考を停止します。エゴセルフにとって恐ろしく耐えがたいことですが、先行きの見通しがまったくたたなくなったとき、私たちはあきらめてしまうのです。 ところが、そこで流れが変わります。目の前できれいな泡がはじけます。すると、まるで奇跡のように、その向こうに永遠に変わらぬ美が見えてくるのです。 それは、動物園でトラを見るようなものです。トラが凶暴なことは承知していますが、それは自分の秘められた残酷さを反映しているのではありません。自分の手の届かないところにある事実なのです。自分の内面にいるトラを解き放った人だけが、他の人が飼っているトラを平然として見ていられます。 人間関係で不愉快な目にあっても、「どうしてあの人は、ひどいことをするんだろう」と、文句を言うのはやめましょう。人はまず十中八九、そういう反応を示します。それでは出口がありません。むしろ、自分にこう問いただしてみてください。 「あの人がしたことに、どうして自分は傷つくんだろう?」 すると、自己中心的な感じ方を捨てるという、そもそもの課題にたち返ることができます。 And、だれが何をしようが傷つくことはなくなり、あとはただ穏やかに理解するだけになるのです。 # 無私無欲こその喜び 人が意味のない行動をし、悶々とした欲求に苦しむのは、自分を忘れたいからにほかなりません。アルコール、出世、物質的豊かさ、過度の性的欲求・・・・・・これらすべてが、望ましくない自己から逃れるための手段になります。 では、望ましくない自己とは、いったい何なのでしょうか? ここでたち戻るべきテーマはやっぱり、「偽りの自己認識」です。人が逃れたくてたまらないのは、これが自分だと見せている偽りの姿です。 功績をあげて自尊心を膨らませ、拍手に興奮を覚えて人々に愛敬を振りまく・・・・・・心の中では、そんな姿が本来の自分でないのはわかっています。直観に富む知性は、それがただの行為にすぎないことを告げているのです。そして、自分でも、そうした決まりきった役まわりに嫌気がさしてきているのです。 だからこそ、人は忘れようとします。ところが、それでうまくいったためしはありません。やることなすことが裏目に出るのです。 じたばたして何かを追求しても、かろうじて不安を覆い隠すばかりです。すると、残された不安は陰鬱な破滅をまねことになります。 ところが、本当に自分を忘れられる方法がひとつあります。偽りの自己も、それにつきものの苦痛も解消することができます。毛糸の端をもって毛糸玉を床に転がしたときのように、偽りの自己はどんどん小さくなっていき、しまいには影も形もなくなります。 すると、あなたは忘れてしまいます。存在もしていないものを考えることなどできるでしょうか? そうです。宇宙のセオリーが目指しているのは、この状態なのです。これまでの人生を新しい人生に変えるのが目的なのですから。 不思議なものです。人は家族や友人とともに生きているを知りながらも、自分自身と生きているとはめったに考えないのです。一番核となる部分がなおざりにされているのです。オレンジの皮をとっておいて、中身を捨ててしまうようなものです。 自分自身と暮らすとしても、どちらの自己と暮らすかによって、楽しい体験にも恐怖の体験になります。魂の次元が上がっていけば、それだけ自己について考えなくてよくなります。魂の無私無欲の境地に達したところで、心の平安を知るのです。 人生が、自分のプラスになる人生になります。何をすべきか、または何かをするかしないかで悩むことはありません。毎日が、無気力とも違う、今までにない不思議な感じのする無頓着とともに流れていきます。 この直観力に富む無関心は、見栄から出た野心や悪あがきを見抜きます。それは決してでしゃばりませんが、力強くて鋭く、賢いのです。私たちはますますよく見て、よく感じて、よく生きるようになります。しかも、まったく考えなくてもよくなるのです。 私たちは、人間の思考にとらわれたフラストレーションを超越します。すべてを静かに悟りながらも、感情的には何にも深入りしなくなります。ただ穏やかな無頓着さとともに流れるだけです。 そんなところで悩むことなどあるでしょうか? 悩んでいた自己は、もうどこにもいないのです! 「人としての自分を忘れること以外に美徳はない。おのれのことを考えること以外に悪徳はない」(ヨハン・フィヒテ) この言葉は、奇妙で突拍子もないことに思われるでしょうか? いいですか、どこか心の奥深くで、あなたはこれに呼応する声を感じとっているはずです。 表面的な考えや感情のずっと下で、あなたはとても心ときめくものを感知しているのです。わかりますか? わかりますよね。でも、理解しようとはしないでください。考えてもいけません。何もせずにいるのです。 あなたがすべきことは何もありません。そういうものなのです。なんのはたらきかけも必要としないのですから。 # 第9章のポイント――― 永遠の幸せについて [1] 幸せでないものを理解する。すると、幸せが何かということが見えてくる。 [2] まじめくさらなくても、人生には真剣になれる。 [3] 自己解放をなしとげると、楽しむという素晴らしい能力を新たに獲得できる。 [4] 自己覚醒は、永遠の幸せにつながる。 [5] 直観的な印象を感じとり、静かにその印象に身を任せていれば、労せずに自分は変わる。 [6] 否定的感情に、自分の感じ方の主動権を渡してはならない。 [7] 幸せに必要な潜在的可能性は、今この場所に過不足なくあることを覚えておく。それを開花させればよい。 [8] 宇宙のセオリーの時間の秘密を理解すれば、一日のすべての時間が輝きを放つ。 [9] 宇宙のセオリーの真実の高みに上るにつれて、自分の悩みは消失する。 [10] 幸せを理解している者は、必ず幸せになる。 # 第10章_まったく新しい人間になるために # 今までとは違う人間になりたいと望むこと 哲学の思想や宗教の教えを耳にしたら、必ず自問してみましょう。 「それを参考にしたら、日常生活で人間関係や精神的な動揺、さまざまな悩み事にうまく対処できるようになるのだろうか?」 並べたてられているのが、意味のない言葉の繰り返しであれば、労力の無駄です。それよりも、毎日の生活の中で宇宙の真理にふれたほうがよほどいいのです。そうすれば、人生が大荒れの状態になっていても、平然としていられます。 そこで、新たな考えに出会うたびに、「これは自己変革に結びつくだろうか?」と考えてみてください。 探検隊が高山の頂上にアタックしようとしています。ところが、キャンプを張って待機しているうちに、隊員が口論を始めてしまいました。ある隊員は、別の隊員をつかまえて髪型がよくないとけちをつけています。別の二人は、目にした動物がウサギかリスかで言い争っています。わけもわからないままに、腰を下ろしてじろじろと互いに見つめあっている二人もいます。 それはまさに、人間が集まると始まることなのです。議論の種は、言葉じりや発言、相手の性格、法律論争、社会問題だったりします。その間ずっと、自分は相手より頭がよくて思慮分別があり、成長しつつあると考えています。ところが、一歩も進んではいないのです。 ラルフ・ウォルド・エマソンは、次のように観察しています。 「社会は絶対に進歩しない。一方が進むかと思うと他方は引き退っている」(「自己信頼」『精神について エマソン名著選』所収、日本教文社、入江勇起男訳) 人間の集団に進歩がないのは、虚をつかれた瞬間に人々の目に恐怖が浮かぶことからもよくわかります。 本当に分別をわきまえた人物が、探検隊の近くを通りかかったら、こう叫ぶでしょう。「何をバカなことをしている。頂上を目指すのだ!」 全員が耳を貸すとは思えませんが、ひょっとすると一人や二人は、その言葉に真理を感じとるかもしれません。そういう人は、言葉の不毛さと行動の必然性を理解することでしょう。彼は真の自立した人間になるために、他の隊員を見限って出発する決心をし、山を登りはじめます。そういう人なら頂上に達する可能性も高いでしょう。 さあ、あなたも出発しましょう。ただその前に、他のどんなことよりも、またなににもまして、今までとはまったく違う人間になりたいと望まなくてはなりません。 そのことが直観に導かれた行動につながるのです。そして、その決意を胸に山を登れば、粘り強さを発揮して世界の頂上に立てるのです。 以下のアプローチの仕方を、あなたの人生全般に役立ててください。斬新な考えに出会っても、完全にわかったと早合点してはなりません。だれにでもあることですが、こういう傾向は避けなくてはなりません。かわりに、その輝きをちらっと垣間見たのだと思ってください。 荒野をさまよっていて、長い間忘れられていた立派な寺院に出くわしたら、第一印象が全体の状態を表しているとは思わないでしょう。むしろ、辛抱強く積極的に部屋から部屋へと探索して、宝物を次々と見つけるはずです。 本書に出てくる考えが、あなたの直観を目覚めさせるかもしれません。そのときは、どのページにあったかをメモしておきましょう。そして数日間、一日に一度はその部分に目を通してください。 やればいいんだろうというふうに、義務的に読むのでは意味がありません。発見への慈しみと、科学者のワクワクする好奇心をもって読んでください。あなたは魂の科学者なのです。そして、それを他の基本原則と結びつけてみましょう。 深い意味を読み取ってもみてください。そして、いかにして実際の場面で役立てられるか考えてみましょう。ひとつの新しい考えに出会ったら、最初の印象の千倍もの価値があると言ってもいいくらいです。 では、善は急げ!です。 と言った矢先で水を差すようですが、もう一言。いくら研究したとしても、忘れてはならないことがあります。それは、「人生の自由な流れを一分間実体験するのは、一千時間の読書や聴講に値する」ということです。 メニューを読んでばかりいても仕方がありません。ごちそうを味わいたいことでしょう。たしかに知識は必要です。ただ、それは広々としたスペースに続く道筋とするべきなのです。 # 目の前で思いもよらないことが起こる こんな悲痛な訴えを聞くことがあります。 「私はいろいろ忙しく動きまわっているのですが、自分に関してだけは、どうしていいかわからないんです。いえ、人づき合いもしてますよ。そういうことじゃなくて、内なる自己のことなんです。あまりにも空っぽでつかみどころがないもので。 それが問題なんです。この心の空しさをどうしたらよいかわからないんですよ。それが苦しくてたまらないんです」 苦しい気持ちはよくわかります。このような告白は、抜き差しならない状況に追いこまれた他の大勢の人々の気持ちを素直に代弁したものです。 そういう人たちは、どうしていいのかわからずに自分をもてあましています。心に秘めた空虚さのために、毎日を恐怖に感じているのです。それだから、空しい一日を乗り切れるように、気をそらす用事を必死になって探しもとめるのです。 あなたは、そんなことをする必要はありません。別の方法があるのです。勇気を出して、それを自分のものにしようではありませんか。 ではここで、魔法の杖となるテクニックを伝授しましょう。ただし、あなた自身が真剣に取り組むという前提つきですが。 戸惑いや空虚さに押しつぶされそうになった次の機会に、その心の動きを驚きをもって見守ってください。「そう、へえ」という驚きの感覚です。 いつものように反射的に恐れや抵抗を感じるのではありません。腰を下ろして、それがいったいどんなものなのか、冷静に眺めてください。生き生きとした好奇心を発揮して、自己発見の新たな冒険をするようにです。もちろんこれは、自己発見以外のなにものでもありません。ときには目の前で思いもよらないことが起こるでしょう。あなたは、その状況を斬新な視点から見るのです。すると、それは空しさではなく、他のものに変わります。どんなものかを言葉で伝えるのはむずかしいのですが、いずれにせよ、それはあなた自身の目で確かえられるものなのです。暗闇が光で満たされるのです。 この次に空しさをもてあますことがあったら、驚きの感覚でそれを見てみましょう。 自分を変えようと決心すると、深く根づいてしまった習慣が必ず、強い抵抗を試みるでしょう。それでも決して耳を貸してはいけません。どんなに罵詈雑言を浴びせかけられても無視しましょう。 自分自身を見失わないようにしてください。そして何よりも、自由になったあ後のことを恐れないでください。 私たちはこの得体の知れない敵、結果への恐怖に気づかなくてはなりません。恐怖が一人歩きして、横暴なふるまいをしているのに気づければ、無意識のうちにその虜にされてしまいます。ここでいう結果とは、自分の自由をもとめて思い切った行動を起こしたあとに、あなたの内部と外部で起こるあらゆる出来事を意味します。 人がどんな反応をしようと、どんなことが起ころうと、結果を恐れないでください。やるべきことをやったら、落ち着いて成り行きを見守りましょう。他の人や自分の否定的な部分から反発があっても、逃げずに立ち向かうのです。 同じ生活をつづけることに限界を感じたので、あの人との縁を切った? あなたは勇気ある行動をしました。友情を大事にしたい一心で、友人にも自分に対しても安易な妥協をしなかった? 素晴らしいことです。思い切って自分の内面を覗きこんだら、想像以上にドロドロしたものが見えてショックを受けた? それこそが肯定的な行為です。 どんな結果であろうと、またそれがどんなに苦痛に満ちたものであろうと、学びとろうとする姿勢を失わないでください。返ってきた結果は、別の生き方があることを告げようとしています。単なる単調な人生からあなたを解き放とうと、最善を尽くそうとしているのです。 どんなこと起ころうとも、人生最初の日であるつもりで、驚きの感覚を忘れずに一日をスタートさせてください。未来を過去の繰り返しにしたくないと望むなら、決してむずかしいことではありません。 # あなたがまず理解するべきこと どんなに繰り返して説いても繰り返しすぎることはないという、宇宙のセオリーにおける真実があります。それは、私たちは「古いしがらみに心底から嫌気がさして、はじめて新しい人生に向けて解放される」ということです。 ただ、嫌気がさすためには、無数の束縛にとらわれている現状に気づく必要があります。たとえつらくても、現状をうわべだけでなく、どこまでも深く観察するのです。 私たちは、お金の心配をするのにはもはやうんざりするべきです。おびえて寂しがるのにもうんざりしましょう。そうです、私たちは人生の悲劇に恐怖を感じるべきなのです。 また、空虚さにも意識的に向き合えば、そんな生き方には終止符を打ちたい気持ちになるはずです。私たちは賢くなりつつあるのです。 「これ以外にどんな方法があるだろう? 他に置き換えられるものはあるだろうか?」というような考え方は禁物です。そうすれば、ワナにはまってしまいます。このような問いをしてしまうと、条件づけられた知性は、すぐさま現状を当人の望むように、しかも安心できる形に変えようとします。 かくして、前とさほど変わりばえしない状況が、手っとりばやく置き換えられることになります。そこには目新しさはありません。同じ建物の同じ階にある、別の椅子をまわしただけです。上の階にあったわけではありません。 将来が見えている、案じていると言って、安心してはいられません。あなたのやるべきことは過去と決別することです。それがあとくされなくきちんと行われれば、未来はまったく新しい方向に見えてくるはずです。 あなたは自由です。それを、今ここで知ってください。なぜなら、それが真実だからです。And、悟ってください。真の自己は、なにものも恐れないかのように振る舞えることを。なぜなら、それが事実だからです。 また、あなたはこの世のだれにもしたがう必要がないことをわかってください。なぜなら、あなたは今、堂々と胸を張っているからです。And、明日は大丈夫であることを悟ってください。なぜなら、そのような先行する悟りは事実に反さないからです。 さらに、豊かな人生からあなたを締め出すものはないことに気づいてください。なぜなら、豊かさはあなたのためにあるからです。 このような真実を突きつけられると、困った顔をする人も多いのです。 「だけど、自分で自由だと感じてもいないのに、どうやって自由だとわかるんですか? そんな人をだますようなことを口にできますか?」 これは、なかなかいい質問です。戸惑いを素直に表明しているからです。 それは、列車の窓際に座って、うっそうとして暗い密林の風景を眺めているようなものです。外にはさまざまな種類の猛獣がいます。もし想像力が暴走して、安全な列車に乗っているのがわからなくなったら、あなたは恐怖のあまり、いても立ってもいられなくなるでしょう。 私たちは、つねに自分の現在位置を知っておく必要があります。私たちは魂の列車に乗って、外部世界の恐ろしげなものの中を安全に運ばれているのです。それが意識できれば、ゆったりとくつろいだ気分で旅を楽しむことができます。 今この瞬間、あなたは自由な状態にあります。それを理解するためには、魂が認識すればよいのです。そうして獲得した自由と強さは、世間で尊敬の念を集めている人にも知りえないものです。彼らはこの秘密の力について何も知らず、手にしたいとも思っていません。そんなことをしたら、自己中心的な人生が終わってしまうからです。エゴに振りまわされていては、一分たりとも自由にはなれません。奴隷の境遇と変わらないのです。 あなたは、まったく違う意味で偉業を達成することでしょう。毎日何も思いわずらうことも、傷つけられることもありません。ただ、物事の流れに身を任せているだけです。 # 不幸を自覚することが本物の幸せに近づく糸口になる 人は自分の中にもっと違うものがあるのではないか、現在経験しているものとはまったく異質なものがあるのではないかと、疑いをもつべきです。 「あなたは、よく自己改革の必然性について説かれますよね。それが、外部的な活動とはかかわりのない、内面的変化だというのはわかりました。では、私は手始めにどんなことをすればいいのでしょう?」 「ここまで取り上げてきた、目新しい基本原則の一つひとつに沿うように生きればよいのです。自己覚醒とか、心配や罪悪感のためにエネルギーを無駄にしない生き方とか、内なる声に耳を傾けるとかね」 「ふつうの生き方とは、どこが違うんでしょう?」 「ふつうの人は積み重ねられてきた否定的な固定概念にとらわれて生きているのです。だから、気がつかないのです。知らず知らずに狂気じみた欲望に追いたてられて、人生の試練にも習慣的な反応を返していることに。それは悲しくも奇妙な状況です。 長い年月をかけてその人に、あなたは条件反射的で、自由でも幸福でもないんだよと教えてあげても、当の本人は信じようとはしません。心を閉ざして、自分のありのままの姿を見ようとしないばかりか、自分を縛る鎖に見向きもしないのです」 「それなら、どうすれば自由になれるのでしょう?」 「たいていは、ひどいショックのようなものが必要ですね。激しい苦痛を味わうと、往々にして光をもとめたくなるものです。ショックや苦しみをうまく活用すれば、人生の方向転換をするきっかけになります。ただし、使い方を誤ってはいけません。あくまでも建設的にということです」 「面白いですね。どれだけ不幸かということを自覚することが、本物の幸せに近づく糸口になるということですか?」 「そうです。道に迷っていることを認めるのは、マイナス志向ではありません。むしろ正しい方向へ進もうとする誠実な一歩なのです。新約聖書の放蕩息子のたとえ―――放蕩息子が改心して家に帰ると、父親が大喜びで迎えてくれたという話―――を思い出してください」 あなたは、成功する義務を負っているのではありません。あなたの役割は、真の自己を目覚めさせようと努力することにあるのです。真の自己の本質は成功です。目覚めた意識の中に真の自己を登場させる―――あなたに必要なのはそれだけです。 私たちは目覚めなくてはなりません。よろしい。では、どうやって? 私たちはその答えを、ある人物の思想に見出せます。彼は同世代の人々からはあまり注目されませんが、後世では深遠な洞察をもつ文筆家として今日まで高く評価されてきました。デンマークの思想家、セーレン・キルケゴールなら、きっぱりこう言ったでしょう。 「君は自分のことをどうしようもない人間だと絶望しているのか? 素晴らしい。それこそが、解放に不可欠な一歩だ。ただし、絶望には真正面から徹底的に向かいあうのがよい。おのれをだまして、ここちよい信条や浅はかな逃避という眠りに誘いこんではならぬ。 自分のありのままの姿という事実に直面せよ。それこそが自分のあり方を変えるのだ。誠実な自己観察は、羞恥や破滅とはまったく違う、救いの道に通じている。しかもそれは、君がなにものとでも交換したくなるような素晴らしいものなのだ」 真実と偽りは区別するべきです。キルケゴールの思想は、真実の基本原則をとらえているのです。ようやく正しい道路に乗れたと感じたときほど感激することはないでしょう。 # 人生を変える秘訣 ここで述べる内容に十分な注意を払い、完全な理解にいたったとしたら、あなたの人生はきっと一変します。あなたはこれから、宇宙のセオリーの秘密を探りあてようとしているのです。 人が絶望や欲求不満、恐怖をいだくのは、本当の自分ではなく、偽りの自己イメージに沿った生き方をしているからです。 このたったひとつの事実を把握しようと何十年もかけたとしても、かけすぎることはないでしょう。あなたにとってこれは、それほど重要な事実なのです。では、もう一度。 「人が絶望や欲求不満、恐怖をいだくのは、本当の自分らしさではなく、偽りの自己イメージに沿った生き方をしているからです」 人は誤った自己認識から想像上の自分に合わせて生きているということを、自分の目で見るべきです。とはいえ、最初のうちはなかなか骨が折れるものです。自分にあまりにも近すぎるため、架空の自己が見えないからです。 たとえば、子どものころから大金持ちになるという考えにとりつかれた人がいたとします。彼は自分が経済的に成功して、有名ホテルの買収と売却を繰り返し、贅沢に世界中を飛びまわる自分を思い描きます。 ところが、その夢は現実によってうち砕けます。会社のデスクの前にいる自分に、ふと気づくのです。すると、彼は欲求不満に陥ります。ただそれは、現実の自分と自分はこうあるべきだという誤った自己認識とのギャップのために起こることなのです。 けれども彼は、基本的に協調的でほがらかで、謙虚な人間であればよいのです。お金があろうと、文無しであろうと。そういう見方ができれば、世界一幸せな会社員になれるでしょう。 まがいものの自己のバリエーションは数かぎりなくありますが、有害なのはどれも変わりません。人々が思い浮かべる理想の自分は、裕福で人気があって、賢く陽気で教育があり、影響力もあって印象的で、魅力的でしかも聡明です。 でも、まさかそんなふうでなくてもいいのです。むしろ、自分自身でいることのほうが大切です。そうすれば、私たちに必要な余裕が人生に加わります。人生にとり憑かれるのではなく、楽しむようになれるのです。 想像上の自己イメージは、戦争や犯罪などの社会的悲劇の要因にもなります。誤った自己認識にとらわれた人々は、憑かれたように貪欲で破壊的な野心を燃やすでしょう。世界中の人々が誤った自己認識につきまとわれている実態を見れば、この世が悲惨な状況なのもうなずけるというものです。 偽りの自己を消滅させるという宇宙のセオリーの秘密を知っているのは、世界広しといえどもほんのわずかな人しかいません。しかも聞いたことはあっても、それを実践して自己解放をなしとげた人はいないのです。 もしその気になれば、あなたは他の何十億という絶望した人々と違った人生を歩めることでしょう。この真実が、あなたの理解の一部になるのです。そうすれば、あなたはまったく新しい人に生まれ変わるでしょう。 # 新しい自分になるための選択 では、そのためにどんなことができるのでしょうか? まず、毎日自分を観察することができます。自分の空想に注意してください。それらを手がかりに、浮世離れした自己イメージをとらえることができます。 あなたは、自分のあるべき姿をもう思い描かなくてもよいのです。それは苦痛を生じるワナです。自己イメージを情け容赦なく徹底的に破壊しつくしましょう。あなたの変化を妨げる敵なのですから。 自己イメージを捨てるのに抵抗を感じるのは、その後の空虚さを恐れるからです。真の魂の自己認識を見出したいなら、一時的に本当の自分がわからなくなったとしても、その不安に敢然と向き合わなくてはなりません。 新約聖書もそうですが偉大な宗教はすべて、このような成長段階について触れています。それは、長くて暗いトンネルを抜けて、やっと太陽の光の下に出るようなものなのです。 あなたに必要なのは、人生の基本原則を知っている別人になろうと真剣に努力することだけです。しかも心から望んだ者は、その基本原則を必ず手に入れられるのです。 よくこんな質問をされます。 「自分の人生くらい変える力があるさ、と思うんですが、きれいなシャボン玉が消えると、以前いた場所に戻っているんです。私はこの先どうなるんでしょう? いったい物事をうまい具合に進める力なんてあるんでしょうか?」 あります。たったひとつですが、頼りにできる特別な力があります。 それは、人生を逆方向に転換するという選択肢です。あなたはそのために力をつける必要はありません。この先どうなるかを知らなくてもよいのです。安定とか、そういう類いのものも一切いりません。 自分が選んだからには、どんなことがあっても耐えようなどと覚悟をする必要もありません。第一、それは最初の段階では不可能なことなのですから。あなたの中にはまだたくさんの否定的感情が存在していて、あなたの目覚めを歓迎していないのです。 あなたは、ただ方向転換をするという選択をして、必要なだけ何度でもその選択を繰り返すだけです。それ以外は何もする必要はありません。しかもそれは、あなたが確実にできることです。 そうして選択を続けているうちに、何もかもがあなたのものになります。それはまるで、向きを変えると美しい夕焼けが自分のものになるようなものです。 なんと素晴らしいことでしょう! ただ、これだけを理解すればいいのです! あなたは、無意味な義務や偽りの責任、見せかけの強さを放棄できるようになります。もはや人生を恐れなくなった分だけ、人生を愛することができるのです。それがわかるでしょうか? 逆方向を向く選択をしましょう。今すぐに。そうすれば、宇宙全体があなたのものになります。 # 嫌な気分をなくすには 不幸を過去の出来事にしてしまう方法があります。あなたが自分で取り組みさえすれば、その効果のほどはてきめんです。 否定的感情しか見えなくなってしまったら、この方法を試してください。否定的感情は、時間やエネルギーを激しく浪費し、健康を損ないます。あなたがほがらかな人間でいられる権利を奪っているのです。 本書では否定的感情を、苦しみや悩みを引き起こす感情と定義しておきましょう。落ちこみ、人生に対する不信感、自己嫌悪、傷心、不安………………。苦しみを感じる感情は、すべてその中に入ります。 あなたはどんな否定的感情をもっているのでしょうか? 一度自分をふりかえってみてください。そうすることが、きちんとした自己責任をはたすことになるのです。 解放への三つのステップに移る前に、ちょっと一言。私は長年、否定的感情への取り組みを模索してきて、ついに決定的な発見をしました。その発見をできるだけシンプルで実用的な形にしたのが、この三つのステップです。 あなたもあきらめずに取り組みつづければ、切望してやまなかった魂の自由を獲得できることでしょう。それは、私が身をもって知っている事実なのです。 気が滅入ったときは、いつも次のステップを思い出してください。 [1] その否定的感情をきちんと意識しようとする。 [2] 否定的感情は外部条件にあるのではなく、自分の中にあることを見てとる。 [3] 否定的感情が真の自己の一部だとは考えないようにする。 第一に、嫌な気分になったら、その瞬間に立ち止まって、その感情を見つめる必要があります。じっくりと見てください。たとえオフィスや家で忙しく体を動かしていても、心の中で静止して、たしかにその感情がそこにあることを意識するのです。これはあなたの想像以上に重要なことです。 もうおわかりのように、否定的な感情に気づかないでいると、消滅させることはできません。牧場に出没するオオカミも、巣を発見しなければ完全に駆除することはできないでしょう。 第二に、苦悩が自分の外ではなく、内側にあることを認識します。あなたを不幸にした人などいません。苦悩の原因は、失業でもなければ、恥、戸惑い、失敗でもありません。あなたの外のものは、何ひとつとしてあなたの心をかき乱す力をもっていないのです。 否定的感情を感じているのは、他のだれでもない、あなた自身です。 たしかに外部的な試練はあるでしょうが、それに反応するのはあくまでもあなたです。あなたはいつのまにか、外部的な成り行きに流された感じ方をしているのです。 でも、それももう終わりです。自由のきかない操り人形のように、あちこち引っ張りまわされるのには、うんざりしていることでしょう。 第三に、どんなことがあっても絶対に否定性を本質的なあなた、つまり真の自己の一部だとはみなさないことです。それは、あなたの本質の一部ではありません。というのも、本質はこれまでも、そして今この瞬間も自由だからです。 あなたがまだ自由を手に入れていなかったとしたら、否定的感情と同化しているため、それにふさわしい反応を示しているからです。「私は落ちこんだ」なんて、うっかり口走ってごらんなさい。苦しみが始まります。むしろ、否定的感情を心の中を歩きまわっているトラだと考えてください。トラはあなたとはまったく別個の存在で、心の中で飼われているのでもありません。 悩んだり苦しんだりすることがあったら、そのたびに自分に言いきかせましょう。 「また苦痛のトラが心の中をうろつきまわっているな。だけど、私の本質の中には、絶対にこんなトラがいるはずはない」 不幸せだと感じるたびに、この目からウロコの真実を自分にいい聞かせましょう。必要なら何度でも際限なく。 あなたが知ったことは、まかり間違えれば、苦難のはてに一生かけてやっと見つけられるようなことです。自分のためです。楽に行きましょう。どんなことがあっても、あなたが嫌な気分になる必要はありません。 # 充実した毎日をめざして 新しい考え方に抵抗を感じたときには、それについてよく調べると効率的な前進ができます。抵抗を感じるのは、エゴセルフが真実の考えに破滅させられるのを恐れるからです。反発したくなる衝動と対決しましょう。 ただしそれは、なにもかも真に受けるのとは違います。心の抵抗を乗りこえて新しい考えを吟味し、白黒をつけるステップが必要なのです。宝の地図があったら、本物かどうかを調べるでしょう? それと同じです。 真実をきっぱりと自分に告げましょう。きっと、気まずい思いをすることでしょう。一見不愉快な思いをしたとしても、意識の痛みはあなたの人生から無意識の苦しみを払拭してくれます。それは苦い薬のようなものです。 と同時に、人生の成功から遠ざけている、もっとも手ごわい敵について見見なおさなくてはなりません。最強の敵、それはごまかしです。 人の不幸には、必ずごまかしが介在しています。男も女も、あらゆるものをごまかします。エゴセルフはずるがしこいこと、この上ありません。ごまかしていないふりまでするのです! 自分にレッテルを貼るのも、自己を欺く大きな間違いです。活躍している、成功している、学歴があるといったことを幸せと呼ぶ人がいます。しかし、そんなことはありません。それはまるで、酢漬けのキャベツの缶詰にモモのラベルを貼ってピーチパイになるのを待ち望むようなものです。 宇宙のセオリーの道をたどる者は、穏やかでも断固として、ごまかしをやめるよう求められます。自分が本当は幸せではないという危機的状態に私たちは向きあべきです。この衝撃的な事実に食いさがりましょう。 避けようとしてはいけません。とことんこだわって、そういう自分の状況を調べるのです。怖がるのではなく、好奇心をもってです。そうすれば、最終的には偉大なる神秘の謎が解明されます。不幸を意識することが、不幸を永遠に消滅させるのです。 覚えておいてください。どんな不幸も意識されることはありません。つまり、私たちは自分の不幸の実態をとらえていないということなのです。だからなおさらのこと、自分の正直な気持ちを意識するようにしなくてはなりません。意識は幸福なのです。 ごまかしがなくなると、自己を破滅させる妥協も消えうせます。私たちがだれかと妥協するのは、必要なものを手に入れるにはそうせざるをえないと考えるからです。ところが、妥協しなくてはならないような必然性はまがいものなのです。 ためしに、どんな相手や物事に対しても妥協しないとがんばり抜いてみてください。その偽りの正体が暴露されるはずです。 そうです。あなたは息を止めて、未知の海に飛びこむようなまねを強いられるかもしれません。それこそが生まれ変わるために必要なことなのです。 人生について理解したいなら、あえて余計なことをせずに直接体験してください。知識はいっさい必要ありません。これは矛盾ではありません。実にすっきりした事実なのです。 # 第10章のポイント――生まれ変わるためのステップ [1] 何をおいても生まれ変わろうとすること。 [2] 宇宙のセオリーの道を静かな驚きをもって歩く。それが、特別なエネルギーとなる。 [3] どんな相手にもどんなことに対しても、自分の誠実さを曲げる必要はない。 [4] 知識のうえで宇宙のセオリーに同意するだけでなく、全身全霊で吸収する。 [5] 宇宙のセオリーを完全に理解したとき、新しい人間が誕生する。 [6] 生まれ変わると、驚くほどの自信が生まれる。どんな外部的なものにも影響されることはない。 [7] 不安定な土台を思い切って離れたとき、ようやく現実の硬い地面の上に立てることに気づく。 [8] 今かかえている問題がどんなものでも、生まれ変わるために利用することができる。 [9] 人生の成功を作り出そうとしてはいけない。成功は目覚めた心の中に存在させておくだけで十分。 [10] 生まれ変わる選択をするのは、今。 # 第11章_壁をたたき壊して成長を加速する # 最初にまず自分の頭で考える 人々が宇宙のセオリーの探索に失敗するのは、知力に劣るからではありません。その理由がわかりやすいように、具体例を挙げてみましょう。 ある男があばら屋で不自由な生活をしています。ある日彼は、豪華な屋敷を相続したと聞かされますが、そのあばら屋を引き払わなければ、新しい家には住めません。彼は、そういう屋敷が本当に存在するという保証を要求するかもしれません。でも、自らの目で見て住んでみることしか、真の保証はないのです。 宇宙のセオリーに則った成長を遂げるには、まず最初に、古い場所を去ることが肝要です。なにしろ、同時に二カ所に存在することはできないのですから。 当然のことながら、別の場所に移動するには、まず今の場所を離れなくてはなりません。ならば私たちの最初のステップは、「習慣化した考え方を捨てて、新しくて揺るぎない考え方が入りこむ余地を作る」ということになります。飛行機で嵐の上空を飛ぶためには、まずは離陸しなくてはならないのです。 未知のものに対して、自分が意図するよりももっと大きなリスクをおかしたときに、人は成長します。思い切って冒険をして成長しましょう。 では、宣言してください。 「自分の知っている考え方からもたらされたのは、失敗ばかりだった。だったら、それにしがみつく理由はあるのだろうか? この際だから、古くて役に立たない考え方から少しずつ離れよう」 むずかしさとか戸惑い、失望のことは忘れましょう。取るに足らないことです。忘れてならないのはただひとつ、あなたが進んでいる方向なのですから。 自信をもって、自分を高次の真実にゆだねましょう。 自信をもって何かに自分をゆだねるというのは、どういうことなのでしょうか? それは、あなたがあるものに対してまったく心配せず、信頼できるかどうかも考えないということです。 それはまるで、子どもが自分の幸せを父親にあずけるようなものです。 では、試してみてください。あなたを完全に高次の真実にゆだねてみるのです。 妥協したら進歩はありません。妥協は内面の豊かさを奪いとる狡猾な盗人です。宇宙のセオリーの基本原則では、中途半端は許されません。だから、全力を尽くしてください。 宇宙のセオリーの基本原則を、ただそうなのだ、という知識のままで終わらせてはなりません。それを用いて、今までの人生を刷新する必要があるのです。学識のある人は、ただいろんなことをよく知っているだけです。それに対し、悟った人はその事実を人生に活かしています。この世は知識にみちあふれているのに、悟りははなはだしく不足しているのです。 すべては、自分を縛っている鎖からどれくらい切実に逃れたいか、その一点にかかっています。私たちは強い意志ででっちあげを突き破り、心を癒す事実にたどりつかなくてはなりません。そのために必要な力は、つねに心理学の海にどっぷり浸かることによって培われます。 宇宙のセオリーの真理に出会い、考え、理解し、そして最終的には生き方に取り入れるのです。今、私たちが取り組んでいるのは、まさにそういうことといえます。 魂の探求をしていて、必ず出会うある種の気おくれは、乗りこえなくてはなりません。それはこんな言葉で表現されます。 「だけど、今までの生き方を変えたら、私はどうなってしまうんだろう?」 どうなろうと、恐れることはありません。現時点の生き方がなくなったとしても気にしなくてもよいのです。 今はまだ見えていないかもしれませんが、あなたのすべてがよくなり、素晴らしくなるのですから。恐れることはありません。真実にさは、今のこの瞬間の私たちが耐えられないことをもらしたりはしません。真実は優しくて辛抱強いのです。私たちを次のレベルにうながす前に、今のレベルで心の準備をする時間も与えてくれます。飛躍的な進歩を遂げるには、パターン化した自己をうち破るための簡単な練習をするのが一番です。 では、この次に自分が没頭しているのがわかったら、すかさずその催眠状態を解いてみましょう。それは、意図的に意識を外部のものに移せばいいのです。壁にかかっている絵とか、風に揺れている木とかです。 その前後の状態に大きな隔たりがあるのに気づいてください。没頭している状態では、あなたにとってはその状態以外に存在しているものはありませんでした。したがって、それは意識の狭まった催眠状態なのです。ところが、外部に注意を向けると、あなたは窮屈な精神世界をこえて外へと意識をひろげます。 この練習を折に触れてやってみてください。あなたは自己に縛られた人間から、自由で意識のはっきりとした人間に生まれ変わることでしょう。それほど何もかもが目覚めにかかっているのです。 それは、とても単純なことです。私たちは自己中心的な催眠状態のまま、熾烈な競争をしたり、執拗な悩みをかかえながら生きることもできるし、エゴセルフを消滅させて穏やかに生きることもできます。 しかし、なによりも内心の苦悩に気づいて、できるだけそれに意識を向けるのが先決です。そうすれば、その原因が自己中心的な生き方にあることがわかります。そして、ようやく精神の統合の必要性といった、人生を解放する真実を取り入れられるようになるのです。 他の人にアドバイスをもとめて、わかったような気になって終わりというのはいただけません。人はあなたよりわかっているわけではないのです。 「自分がほんの一瞬でも人の意見に満足するとは思えない」(ルネ・デカルト) どんなにむずかしい状況でも、大胆に決断しましょう。間違ってもいいのです。失敗をゼロに向けて減らしていくには、自分の頭を使うしかないのですから。 自分のことなのに、他の人間に失敗の責任をなすりつけてはなりません。勇気を出して、自分で間違いましょう。 最初に自分の頭で考えるようにすること。それが大事です。そうして宇宙のセオリーのある一定のレベルに達すると、自分で考える責務から解放されます。なぜなら、人生がすでにあなたのために考慮された状態になるからです。それは、まるで業績の優れた会社に賢い投資をするようなものです。投資をしたあとは何もしなくても、配当金はついてきます。 # 偽りの魔法と本物の魔法 不安や葛藤の末に勝ちとったものは、不安定で、儚いものです。あなたは失うのを恐れるようになるでしょう。人々が、名声や金、友人をなくすのではないかと、どれだけ心配しているか気づいてください。 ところが、そんな心配を超越する方法があるのです。戦わずして勝利をおさめ、しかもその見返りは決してなくなることはありません。私たちが人間のレベルではなく宇宙レベルに拠点をおけば、そういうことが起こるのです。 宇宙のセオリーの道をたどった大勢の人たちが、魂の真理に関する自らの迷いに向き合って、宇宙のパワーに行き着いています。明日のことを思いわずらう必要はないというのは、人によっては真理であるし、真理でないとも言えます。 真理でないと思うなら、勇気を出して自らの迷いに向き合い、そこから足を踏み出さなくてはなりません。真理であると思うなら、それはありのままの見方です。 私もそうであることを知っています。すると、その人は最終的に、明日のことを考える必要がないという解放的な事実を体験するのです。 「なんだか魔法のように、何もかも実現してしまいそうな気がしてきました。ただ、自分の身をふりかえると、まだ白昼夢の中にいるような気がするんですよ」 「手に入ると思われるものよりも欲望が上まわると、白昼夢は、実際の出来事を押しのけてしまいますからね」 「本物の魔法があったらいいんですが」 「ありますよ。でも、偽りの魔法を捨てたときにしか、本物の魔法は発見できないのです」 「偽りの魔法って?」 「手っ取り早い刺激やその場しのぎの快感をもとめることです。興奮するとありもしない人生の幻想が見えたりしますが、あぶくのように消えてしまいますから、空しさを感じるのです。 それはお金を借りたときと同じで、いつかは返さなくてはならないものなのです。しかもその利子は高くつきます。返済しきれないくらいです」 「私は、そういう状況を打破するためにはどうすればいいのかという疑問に、いつも戻ってしまうんですよ。何か簡単に覚えられるコツでもありますか?」 「自己発見の助けになることには、『イエス』と言うことです。そして、その妨げになることには『ノー』と言うのです」 宇宙のセオリーの道は、山道のようにくねくねと上っていきます。その途中にはさまざまな長さのトンネルがあります。旅人はトンネルの暗がりを抜けるたびに、自分が前よりも高いレベルにいるのに気がつきます。各トンネルは勇気をふるって直面すべき危機を表しています。 新たなトンネルを前に立ち往生しているのに、すでにトンネルの向こうに抜けたようなふりをして自分を正当化するのはいただけません。どんなに気が進まなくても、未知の暗闇に足を踏み出して先に進み、トンネルを抜けるのです。抜けられることは間違いないのですから。そして、トンネルの向こうに出たときは、その前より元気で幸せで、汚れのない人間になっているのです。 宇宙のセオリーが「通り抜けよ」とうながすトンネルとは、どんなものでしょうか? 一般的にそれは、偽りの自己から生じるすべてのものです。とくに、プライドや虚栄心、怒り、ねたみなどの否定的感情などがそれにあたります。 たえず自分に尋ねてください。 「このトンネルを抜けたら、どのレベルに上がれるだろう?」 これで事情が変わります。たとえば、ごく個人的な問題です。問題は、どちらの選択肢を選ぶかで解決されるものではありません。選択をするという必然性自体が誤解を表しているのです。問題は、さまざまな障害をこえて成長したときに解決されるのですから。 # 無上のよろこびに確実にたどりつく方法 「誤解のツケは、いつまで払いつづけなくてはいけないんでしょう?」 「あなたが、ツケを払うのに心底うんざりしたときまでですよ。もしあなたがパッとしない人生を送っているとしたら、そういう人生が自分の限界だと誤解しているからです。 がさしているのは事実ですが、まだ間違った考えを手放すのに不安を感じている段階です。何もかもなくしてしまうような気がしてね。 そんなことはないんですよ。ただ、新しい考えを見出す前に、古い考えを捨てる勇気をもたなくてはなりません。それが宇宙のセオリーの法則なのです。カップを満たすためには、空になっている必要があるでしょう?」 「じゃあ、私みたいに嫌気がさした人間が、どうして壁を突き破れないんでしょう?」 「今の人生にまだ未練を残しているからですよ。自分の人生にある程度うんざりしているのは、みんな同じです。自由になるには、あなたが進んで行動しなくてはなりません。 だからといって、職場や住居など、外部世界のものを変えるというのではありません。自分の心にあるものの考え方、感じ方をじっくりと時間をかけて眺めてみて、それがいろんな形で外に現れているのを理解するのです。内面が変わると、外の世界も火星に行ったんじゃないかと思うほど変わるものです」 ですから、心底うんざりしてください。そしてその状態のまま、その一切を観察するのです。変にカラ元気を出したり、自分を装ったりして、ごまかさないようにしてください。それは、包帯をしたら傷が消えたと思うのと同じです。 ひたすら自分が不幸であることに気づしてください。隠そうとはしないで。その意識の目覚めが魔法の薬となって、やるせなさを無上のよろこびに変えます。あなたは、自分の人生が魔法のように変わればいいと、つい口にしたりするでしょう? だったら、それを可能にする魔法が、これです。たったひとつの確実な方法だと、私が請け負いましょう。 するとあなたは、こう聞きたくなるでしょう。 「変化が現れるまで、どれくらい時間がかかりますか?」 宇宙のセオリーの基本原則に沿った生き方をすればそれだけ早くなるというのが、その回答です。人は自分の幸せを賭けて、外部世界の物事を交換します。宇宙のセオリーを理解せずに賭けをすると、自分では勝ったと思っていても、絶対に負けることになります。洞察をもって賭けた場合は、うわべでは負けたようでも必ず勝っています。 外部の何かを変えても幸せになれないのは、ただ単にあなた自身が新しい仕事でも結婚相手でも、違う車でもないからです。 さっそく今日から変更です。困難なことに直面したら、「どうすればいいだろう?」ではなく、「何を理解すればいいんだろう?」へと質問を切りかえてみてください。 # 自己覚醒をうながすテクニック 「自己覚醒」については、これまでページを割いて何度も触れてきました。このあたりで一度ふりかえってみるのもいいでしょう。 では、「外部的覚醒」の簡単な例です。この文章を読み終わったら、自分の顔の表情を意識してください。緊張、リラックス、悲しみ、興味・・・・・・。どんな気持ちを表現しているでしょう? 心の中で見て理解してください。 仕事に行く前に家族と会話しているとき、あなたはどんな表情をしていますか? 表情がどんなことを伝えて、いかに変化するかを意識するようにしてください。どんな心の感情が表情となって外に出ているのでしょうか? 同時に、他の人の表情にもさりげなく注意してください。自分よりは人のほうがはるかに観察しやすいでしょう。その男性が冗談に反射的に笑ったのは、面白いからではなくて、笑うことを期待されているからでしょうか? その女性は、責められると身構えて厳しい表情を見せましたか? 目の前で繰り広げられるドラマにちょっと目をとめてください。 このことがまたとないきっかけとなって、自分の気分や行動に対する直観的理解が深まります。そして、あなたの意識を目覚めさせるのです。あなたは自己の構造にどんどん深くもぐり、ついには憧れの人物になるのです。そう、何もかもよくわかっている人間に。 宇宙前レベルで目覚めていれば、やることなすことがプラスになります。ところが目覚める前は、なにもかも裏目に出ます。覚醒した状態でなければ、楽しみは長つづきせず、成功に満足することはなく、得をしたことも意味をなさないのです。 覚醒した人間になるということは、どういうことなのか。その意味に気づくために、可能なかぎりの時間とエネルギーを使ったら、毎日の生活のうえに魔法の杖をひと振りすることができます。 そのつもりで。 ただし、より豊かな人生がどんなものかを、すぐさま完璧に把握する必要はありませんから、自分のいる場所と行きたい場所とのギャップを感じて、がっかりしないようにしてください。あなたはただ、先に進みたいと思えばいいのです。ただひたすら望む、それだけです。他のいっさいのことを忘れて、前進しましょう。 # 自分に幻滅すること 幻滅するのならしてください。これは、ぜひとも経験すべき素晴らしいことです。 なぜなら、それで壁を突き破って、日の光の下に出てくることができるからです。幻滅を悲しい出来事ととらえるべきではありません。 「私たちはこの状態を悲惨だと思う。それはまちがいだ。そこにこそ私たちは平和と自由を見出す」(フランソワ・フェヌロン) 自分に幻滅したあとに、悟りはひらかれます。あなたが幻滅したなら、私は喜びましょう。そこから大きな可能性がひらかれるからです。 あなたは、何をやっても空しいと感じていますか? よろしい。あなたは心理的な無の状態になる用意ができています。その虚空はやがて意味をなすもので満たされます。あなたは、これからイライラを募らせる既知から解放的な無知へと一足飛びに移るのです。現在の自己をはるかにこえた場所へと。 何かを信じるのには、あきあきした? いいでしょう。今度は、何かにあなたを信じさせましょう。 とりたてて素晴らしいのは、人に幻滅することです。それが親友なら格別です。いいえ、だからといって皮肉や嫌味をぶつけるのではありません。なぜならこういったことは、まだあなた自身が、防御的態度という牢獄にとらわれていることを示しているからです。 あなたは自分から離れていく人に、感情的な態度を示したいとは思わないはずです。むしろ、その人がいなくなったのをはっきりと認識したいのです。そうやって明確に悟ったときこそ、心は完全なる静けさに包まれ、あなたの意志にしたがうのです。 私が保証しましょう。周囲の人に幻滅するあまり、一人の友人にも相談相手にも、権威者にも頼れなくなったら、とても面白いことが起こるということを。 人の力を当てにできないと悟ったあなたは、ついにここに来て、自分のひとつしかない本物の力の源、内なる王国を見つめざるをえなくなるのです。それはまるで疲れ果てた放浪者が、宿を断られて歩いているうちに、先祖から譲り受けた城を発見するようなものです。 そもそもの狙いは、自分や人の現在のありのままの姿を見ることにあります。そうすれば幻滅の廃墟の上に城を築いて、実際に住むことができるのです。 実際には想像の中にしかない美徳なのに、さも自分に備わっているかのように振る舞うのは危険きわまりないことです。自分がすでに愛情深いと考えているなら、そこから先に進んで本物の愛を見つけることはできません。 それだけではありません。戸棚にありもしないパンがあると思っているうちは、パンが必要なときに腹を満たすことはできないのです。この手の想像力は自由の敵で、尻尾をつかまえるのには思った以上に苦労します。この否定的想像力こそが、人を催眠状態に陥らせている主犯格だからです。 ですから、ぜひそれを見抜いて追放しましょう。まずは、ごまかしのない自己観察から始めることです。その具体的手法については、第二章をふりかえってください。 # 人生を逆転させるためには 人は日々の営みの中で、まるで見当外れなことをしています。人生はややこしいと決めこんでいますが、必要もないのにそうしているのは、実は当の本人なのです。 それは、今にも飢え死にしそうな者がご馳走を目の前にして、料理人の名前や、パンが釜焼きかふつうのオーブンで焼かれたのか、スープを何回かきまぜたかといったことを詮索して、料理に手をつけようとしないのと似ています。 「神なんて本当にいるのだろうか?」ではなくて、「どうしていつもくだらないことに頭を痛くしてるんだろう?」と自問してください。 「将来は大丈夫だろうか、恐ろしいものが待ちうけているのだろうか?」ではなくて、「今日こんなふうにみじめな思いをすることに意味はあるのだろうか?」と考えてください。 「どうして思うように満足できないんだろう?」ではなくて、「どうして悩みにわずらわされてばかりいるんだろう?」と問いただしてみてください。 究極の答え、それは真の自己に沿った生き方をするということです。 人間は、天を突いて伸びる木のようなものです。上に向かって成長するにつれて、さまざまな枝が幹よりもずっと速く簡単に天に届いてみせると主張します。けれども、枝がしていることは、エネルギーの無駄づかいをして成長を遅らせることにほかなりません。 天に向かって確実に成長する人間は、このような偽りの枝――快感の追求や自己中心的な欲望――に同調するのを拒むのです。 真の自己は、私たちを天に向かって運びます。そのためにも本物の自己認識が重要になるのです。 自己認識の欠如は、自己破滅をまねきます。ある人がすこしはましな人生を送りたいと決心します。素晴らしいことです。ところが、自分が本当に興味をもっているものが何かわかっていないので、やることなすことが的外れで衝動的になります。 結局、前より悪い状態になるのは、足手まといになる偽りの枝が増えているからです。そのためにまた不安になり、追いこまれるようにまた間違った方向に枝を出します。その人は恐ろしい悪循環にとらわれているのです。しかもその輪は年月を経るごとに狭まってきます。 ここで真の自己認識をすれば、悪循環を逆行させることができます。何が自分にとって本当によいのかが見えるようになるのです。すると、生き方が真の自己に沿うようになり、自分に克つことができます。その人は、天に向かって伸びていくのです。 私たちが真の自己の生き方をしているかどうかがわかるという、簡単でも確かな目安があります。それは、妄想によって生じる意識的、無意識的な苦しみから解放されている度合いです。ただ、世界広しといえども、この目安を自分のために使いこなせている人はあまりいません。 キリストは、これ以上ないというほど簡単な言葉で説明しているのですが。 「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」 それは、実に単純なことです。真実を知れば、苦しみから解放されます。だれも自分を傷つけられないことを悟れば、だれにも傷つけられません。どんなに恐ろしい想像をしていても、現実を見ていれば基本的な自己は損なわれず、想像も恐怖を感じさせる力を失います。 人生の視界がぼやけているために苦しんでいる現状を知っても、絶望することはありません。それをバネにして、精神のステップアップができるのですから。偽りの正体を知った今、真実が入りこむ余地ができたのです。 真実を知った安らぎが得られるのは、真実を知る疎ましさを乗りこえようとしたあとです。 自己をさらけ出すつらさに耐えることが癒しにつながります。真の人格に沿うのではなく、作り物の自己の言いなりになっている現状をすすんで認めれば、その認識が苦しみの根源である偽りの自己を消滅させることでしょう。そして、そうなったあかつきに、やっと私たちは真の人格のもたらす安らぎの中で生きるのです。 あなたがどうすべきかを、一言で要約しましょう。 「本当の自分に忠実でありなさい」 # 第11章のポイント――いちはやく成長するために [1] 勇気をふるって今の自分を捨てて、高次の真実を得る。 [2] パターン化した自己を打破する。その向こうに、探しもとめる新しい世界がある。 [3] 自分の知性のひらめきを信じること。 [4] 戦わずして得られる勝利があることを知る。宇宙意識があればこそ、それは可能になる。 [5] 自分を前進させるものにはすべて「イエス」と言い、進歩をはばむものにはすべて「ノー」と言う。 [6] 意欲をかきたてて、ますます高次の自己認識に達そうとする。 [7] 宇宙のセオリーの基本原則にしたがおうとすれば、それだけ成長は速くなる。 [8] 魂の目覚めは魔法の杖だ。 [9] 幻滅をしたら喜ぶこと。健全な前進をしている証拠だ。 [10] 真の人格に忠実であれ。 # 第12章_宇宙のセオリーの日常的な力 # 最高の状態はまだまだ先にある 本章は、読者が本書や宇宙のセオリーについての理解、ひいては自分自身を最大限に生かすために役立つような構成になっています。 あなたには、真実を知って自分を解放する権利があります。ただしこの権利は、本人が堂々と主張するべきで、および腰になって人に手渡すようなものではありません。あなたが知るためには、あなたが理解するしかないのです。真実を知ったあとには、安全で平穏であるということの意味もわかってくるでしょう。 成長を助けることは、できるかぎりなんでもやってみてください。あなたの日常は、なんと素晴らしい可能性にめぐまれていることでしょう! 心の中で宇宙のセオリーの基本原則をふりかえりながら、一日を過ごしてください。自分をできるだけひんぱんに観察しましょう。定期的に読書する機会を設けてください。自己改革の目的を心にとめておきましょう。そして、とてつもなく素晴らしい生き方があるということを自分に言い聞かせてください。自分の身にどんなことが起こっても、上機嫌のあなたでいてください。 そうです、たとえ物事が面白くなさそうなときでも、朗らかにしていることは可能です。こういう姿勢でいてください。 「否定的感情に対して、がんとして屈しようとしないのも私なりの勇気なのだ」 経済的破綻への恐れ、自分に対する焦り、心の乱れなど、どんな困難に出会っても、この姿勢を貫くのです。 魂の探求の途上で泥沼にはまりこんでしまったら、思い出してください。まったく違う人間になることや、今日から人生の方向転換をすることが可能だということを。 そういう思いが何よりも重要なのです。しかもこれは、まだ序章にすぎないのです。最高の状態はまだまだ先にあります。 頭を使って段取りをつけるのは、家や会社などの外部的な用事にとっておけばいいのです。内面生活では自然にゆったりと流れるままにしておきましょう。そうすれば、その流れとともに外部的な出来事もひとつ残らず運ばれていき、あなたはのんびり構えていられるのです。 # 理解を深めるための質問と答え 質問「幸せを実現してくれるはずのものなのに、手に入れてから長くて数週間もすれば、満足を感じなくなるのはなぜでしょう?」 答え「人は何かに幸せにしてもらうのではないからです。ただ幸せになる、それ以上も以下もありません。特定の人物であれ、世間的な目標であれ、幸せに目的があるかぎりは、幸せの真似ごとをしているだけで、それは必ず消える運命にあります。 本物の幸せは目的をともないません。日の光が輝くのに、暖かくするという目的は必要でしょうか? いいえ。日の光はただふりそそぐだけです。幸せも同じです」 質問「宇宙のセオリーに沿った生き方に変えてみたいのですが、それにふさわしい覚悟があるかどうか心配です」 答え「身近にあるささいなことから始めてください。そこから発展していきますよ。もうこれまでのようには生きられないと認めるのは勇気がいります。とりわけ新しい生き方を実感できないときはね。ところが驚くべきことに、そういう生き方は存在するのです。ただあなたは、先の見通しから得られる安心感をもとめずに、真実への道を行かなくてはなりません」 質問「無意識が悲しみを引き起こす、ということの意味がわかるように、具体的な例を挙げてください」 答え「人からほしいものを手に入れるために、自分らしさを曲げるようなケースですね。そんなことはまったく必要ありません。自分を犠牲にしているのをはっきり意識できたら、そういうことはやめられるはずです」 質問「宇宙のセオリーは現代心理学と、どのように関連づけられますか?」 答え「宇宙のセオリーには心理学的な要素がありますが、それだけでは収まりきらない部分もあります。では、双方が融合している例として、憎しみを取り上げてみましょう。憎しみは、抑圧したり恐れたりするのではなく、意識の光のもとにさらして浄化すべきだとするのはどちらも同じです。これを心理学では、精神的成熟が進んだと言います。宇宙のセオリーでは、高次元の愛に近づく素晴らしい体験だとみなします」 質問「こうした基本原理をわが子に教えたいのですが、どのような方法が一番よいのでしょう?」 答え「なんと幸運な子どもさんでしょう! 教えるなら、あなたをお手本にするのがいいですね。基本原則は、基礎的なごくわずかなものに限定してください。そのひとつが自己責任です。また、子どもたちには恐れるものは何もないということを教えてください。正直さ、つつしみ、質素といった、昔ながらの美徳を重んじる雰囲気もつくりましょう。さらに、どんな人にもどんなものにも打ちのめされることはないということを何度でも指摘します。以上のようなことがすべて、人生の重大かつ間違いのない事実である、ということを言い聞かせてください」 質問「人間の悪徳について、宇宙のセオリーはどのように説明しますか?」 答え「悪徳とは、真実を拒んで、偽りの自己の言いなりになって生きることを指します。人間の悪徳はすべてここから生じています。 たいていの人は、悪徳を目に見える罪やセックスと結びつけます。けれども恐るべき悪徳は、美徳の仮面の陰にたくみに隠れているのです。人助けをするふりをして、人を利用するようなケースが、それですね」 質問「宇宙のセオリーでは、わざと感情を興奮させるようなことは慎むべきだと言いますが、それじゃつまらなくないですか?」 答え「いやいや、その正反対のことが起こるでしょう。退屈に変わることがない、本物の興奮を味わえるのです。ちょうど今のようにね。どんな興奮か言葉で言い表すのはむずかしいのですが、あなたも体験したらわかるでしょう」 質問「どうしてあなたの宇宙のセオリーの話には、テレパシーとか空飛ぶ円盤といった超常現象が出てこないんでしょう?」 答え「心の痛みに苦しんでいる人がいたとしたら、空飛ぶ円盤が実在してもしなくても、変わらないでしょう? 問題点からそれないようにしましょう。世の人々は、いつの時代も奇跡を求めています。偉大なる奇跡とは、変革した人生なのです」 質問「宇宙のセオリーでは、新しい自己が誕生すると、過去の愚かさに対する罪や恥の意識がなくなると言います。どうしてなんでしょう?」 答え「ばかげたことをしたのは、判断力のない愚かな自己で、本来のあなたではないということがはっきりわかるからです」 質問「宇宙のセオリーの基本原則を人に教えるためには、どんな資格が必要でしょうか?」 答え「宇宙のセオリーについて、きちんとわかっていることですね。さもないと、飛行機も持っていないのに、空を飛ぼうと友人を誘うようなことになりますから」 質問「人間関係を円滑にするコツはありますか?」 答え「正直な自己観察を通して、私たちはありのままの自分の姿を見ます。そうすると、他の人のありのままの姿も見えるようになるのです。自分が理想化した姿ではなくてね。この心理学的な読みのおかげで、あなたは人にうまく対処できるようになります。 たとえば、魂が眠りについていて理解不能になっている人に、愛情をかけようとはしないでしょう。そのような人は、愛情を弱さと見て、なめてかかるからです」 質問「どんな人にも真の自己の自然の愛が備わっていると、あなたはおっしゃいましたね。じゃあ、どうして、それは素直な愛情表現となって現れないんでしょう?」 答え「本本人が拒絶を恐れているか、筋違いにも敵意を好んでいるか、エゴの防御柵が高すぎるからでしょう」 質問「心の傷は時間が癒すのですから、それでいいのではありませんか?」 答え「時間が癒すのではありません。あなたの知性が、物事を違う角度から見るから癒されるのです。知性をうまくはたらかせれば、つらい経験も時間をかけずに過去のものにすることができます。心の傷も何も残りません。素晴らしいことではありませんか!」 質問「今より自己に目覚めた人間になるためには、どうしたらいいでしょう?」 答え「静かなところで腰をおろして、自分を見つめてください。心の思考の流れに気をつけて、自分がどんな気分なのかを観察し、体がとっている姿勢を意識して、自分が緊張しているかくつろいでいるのかを感じとください。 できるかぎりいろいろなものに注意を向けます。カーテンが揺れ動いている様子にも、車の通り過ぎる音にもね。自分の中のものも、外のものも意識します。これと同じことを家や職場で日常的な仕事をするあい間に、やってみてください」 質問「どうしてそんなに自己観察を重視するんですか?」 答え「自己観察によって、あなたが素晴らしい場所に到達できるからです。あなたはそこで内部的、外部的な混乱にまったく影響されなくなります。何が起こっても、あなたは他人事のように、ただ見ているだけになるのです」 質問「なぜか不安でたまらないんです。どうしたら、この状態から逃れられますか?」 答え「恐れの中でも、もっともとらえがたい恐れを理解することが必要ですね。それは非常に狡猾な恐れなので、はっきりと意識した人も消滅させられません。 それは、何も起こらないのではないかという恐れです。私たちは何かなし遂げなくては、と感じると不安でたまらなくなりますが、具体的に何をすべきなのかがわかっていません。それで、たいてい愚にもつかないことをやってしまうのです。人生の中で何も起こらないことを恐れないでください。それで穏やかな心境になれます」 質問「毎日何かあるたびに、いちいちショックを受けてしまいます。こういう際限のない落ちこみは、どうやったら避けられますか?」 答え「人は何が起こっても、ショックを受けることはありません。絶対にね。あらかじめ、こういうことが起こるべきだとか、起こってほしいと考えているので、ショックを受けるのです。 そして自分の望みが現実の壁にぶつかると、心の痛手を受けます。 こういうことが起こるべきだという考えを、頭からきれいさっぱり払いのけてください。そうすれば、何が起ころうと平然としていられます。これは、自分のものにする価値のある真理ですよ」 質問「自分の人生観が、宇宙のセオリーの基本原則と相容れないときはどうしましょう?」 答え「それは、一個人が同意するしないの問題ではありません。唯一問われるのは、もっと広い目で見て健全で幸せな人間になりたいかということです。個人的な見解では、そこまで到達することはできません。真実だけが私たちを解放できるのです。しかも真実は、個人的見解で決まるのではないのです」 質問「催眠状態の人には、望みの人生を送る選択肢がないというお話でしたが、世間の大部分の人たちは、実際に自分が望んだ人生を生きているように思えるのですが」 答え「偽りの自己に操られて生きている人には、二つの否定的な選択肢しか残されていません。怒りをあらわにするか、隠すかといったようにね。そこでは、最初から腹を立てないという選択肢は存在していないわけです。タカには、タカらしく振る舞うかハトらしく振る舞うかという選択があるでしょうか? まさか。人は内心で現時点の否定的な性格に応じた反応を示すしかないのです。人前ではそうでないように装ったとしてもね。 ついでながら、自己発見をした人にも選択肢はありません。ただし、様子は変わってきます。まったく選ぶべきものがないのです。本当に幸せなら、幸せと不幸せのどちらかを選ぶというのは、ありえないでしょう?」 質問「人間の残酷さについて説明してください」 答え「人間の残酷さには、二つの特徴があります。第一に、残酷な行為をする者は奇妙な高揚感を覚えます。人を痛めつけて、強くなったような気になるのです。第二に、当の本人は、その残酷さが自分の心理的自己を破滅させているのに気づいていません。残酷さが自己破滅につながることがわかっていれば、恐ろしくてそういうことは続けられないはずです。残酷さを含めて、邪悪なことはすべて意識されません。無意識の催眠状態の中で行われているのです」 質問「戦争や犯罪、政治的偽善といった、社会悪には、どんな原因や解決法があるのでしょう?」 答え「原因は、個人の魂が病んでいることにあります。だから、一人ひとりに病を回復させる責任があるのです。それにしても、どれくらいの人がそうしたいと望んでいるでしょうか? 大半の人々は対症療法は行っても、原因に取り組んだりはしません。催眠状態の人は、エゴを満足させる活動を好みますからね。いかにも高尚な演説をしたり、社会運動を支持したりします。片田舎で汚れのない生活を送っている食料品店の店員のほうが、政治家や法の執行者よりも、はるかに健全な魂を宿していますよ」 質問「だれかを傷つけてしまったら、宇宙のセオリーの考え方では、どのように対処すればよいのでしょうか?」 答え「自己中心的な罪や恥の意識をもたないように気をつけることです。ひどいことをしたのは、人を傷つけることに不健全な喜びを感じる偽りの自己だと理解するようにしてください。その行為と同化してはなりません。人を傷つけるはずのない真の自己とは、切り離して考えるべきです」 質問「無意識について、まだよくわからないところがあるのですが」 答え「そうですね、ではレストランで食事をしている場面を思い描いてください。友人が近づいてきて、後ろからあなたの肩をトントンと叩きます。あなたは、びっくりして跳び上がります。ぎょっとしたのは、考えにふけっていてそれ以外のことはまったく意識になかったからです。唐突に肩を叩かれたので、自己中心的な状態にあった心がはじけとんだのです。意識がひろがると、あらゆる感覚が研ぎ澄まされますよ」 質問「人助けをする前に、とにかく自分のことに取り組みなさい、と強調されるのはなぜですか?」 答え「同室になった二人の入院患者は、互いの回復のために力になることはできないでしょう? でも、片方が元気になったら、もう一人を助けて健康のおすそ分けをすることもできます。ところが自らが病んでいるのに、人を癒すことができると勘違いした人は、かえって傷口をひろげるようなことをします。自分が健康になるべきなのに、そのことから逃避するために助けようとするからです。ただ、それを指摘すると、憤慨されるのがおちですがね」 質問「何に対しても同化せずに執着を捨てれば、それから解放されるという考え方は、とても面白いと思います」 答え「あなたもそうあってください。若さと同化しなければ、老いと仲良く暮らすことができます。仕事と同化しようとしなければ、仕事で修復不能な失敗をしてもまったく動じることはないでしょう。群集と同化しなければ、寂しさを感じるのは不可能です。食べ物と同化しなければ、アシのようにほっそりとしていられますよ」 質問「どうしてセックスは、ゴタゴタの原因になるのでしょうか?」 答え「セックスが問題を起こすことはありません。実害を生じるのは、抑えがたい衝動や想像力、誤った罪悪感です。意識がはっきりとしていれば、こうしたものは生じないので問題はいっさい起こりません」 質問「宇宙のセオリーの真実について、他の人と話しあうべきでしょうか?」 答え「議論をするなら、宇宙のセオリーへの興味が気まぐれでないことがはっきりしている相手にかぎります。聞きたくない人に無理強いしてはなりません。似たような考えをもっている人たちと、宇宙のセオリー研究グループをつくるとか、既成グループに加わるといいですね。グループでは充実した議論が展開されますよ」 質問「宇宙のセオリーの基本原則を理解するのはむずかしいですか?」 答え「むずかしいという言葉は、何かを切実にもとめているときは意味をなしません。憧れの職業につこうとして勉強しているときなどが、そうですね。そういうときは、トロフィーを獲得したくて努力しているのです。 それと同じように、私たちは不安からの解放や本物の自信などを強くもとめなくてはなりません。すると、そこにはむずかしさはなくなります。それどころか、楽しみ満載の冒険になるのです」 質問「結局、人間の問題とは何 loyalty のなのでしょうか?」 答え「偽りの自己にしがみついていることです。その偽りの自己を本人はかけがえのないものだと考えていますが、その正体は破滅なのです。その一方で敵視して拒んでいる真の自己こそが、本当の永遠の生命なのです」 # 巻末_宝石の言葉たち # 宇宙のセオリーに光をはなつ宝石の言葉たち *この世で離れ離れのものをひとつにまとめられるのは、真実だけです。私たちが人との愛に隔てられているとしたら、それと同じだけ現実からも離れていることになります。人と親密であるなら、それと同じくらい現実に近づいているのです。 *なにものにもあなたの行く手を阻ませてはなりません。 *あなたが本気で幸せを望むなら、どんなことがあっても幸せを逃さないようにすることは可能です。 *苦しみは、私たちのごまかしを露呈します。それは幸いなことです。ごまかしが明らかになれば、苦しみから逃れるチャンスが生じます。 *自己啓発のプロセスとは、次から次へと偽りの層をはいでいく作業です。 *自分を救うためには、いかなる努力も惜しまないようにしましょう。 *苦しみは、偽りの欲望をかなえられなかったので生じるのではなく、偽りの欲望をもっているから生じるのです。 *他人の気まぐれに振りまわされていることに気がつきましょう。また、自分がそれをどれだけいやがっているかも理解しましょう。それが自由への目覚めになるのです。 *他の人と同じような生き方を拒みましょう。そうすれば、人と同じ不幸を繰り返さなくてすみます。 *人生は私たちが今このときにいる現実でしかありません。 *心から望んでいるものが、本当に必要なものでしかないとき、あなたの人生はうまくいっています。 *何もすることがないときこそ、自分のことを意識してください。 *「この世」に「現在」いる自分を発見すると、自動的に「あの世」に「永遠」にいる自分が確定します。 *手っ取り早い快感と引き換えに、いつまでもなくならない恩恵を犠牲にするのはやめましょう。 *選ばれるためには、私たちがまず選ばれることを選択しなくてはなりません。 *現実に起こったことが、望んだ結果にならないときに不幸は生じます。ところが、百万人に一人しかいないいつも幸せな人は、結果を責めるのではなく、自分の欲望に目を向けています。 *恐れは、偽りの自己へのこだわりによって生じます。このことに気づくと、恐れはすぐに消えてしまいます。 *洞察を得て新しい真実を知るたびに、あなたはそれ以前より強くなります。 *この世であなたのためになることをしてくれる人は、あなた以外にありません。あなたを傷つける人もあなた以外にありません。 *耐える人は、自分に自信をもっています。その確信はなにものにも奪いとられることはありません。 *苦しみは、私たちに何かを告げようとしています。 *宇宙のセオリーを導く師となる人がいなければ、どうやって宇宙のセオリーに目覚められるだろう―――このことが、その人の宇宙のセオリーが本物かどうかを知る手がかりになります。 *宇宙のセオリーの道を歩きながら、何が真実で何が真実でないかを見極めている、と考えてください。 *どんなことがあってもがっかりしないでください。困難に出会うたびに、光をもとめる決意を強めましょう。 *あなたは、恐れを乗りこえることができます。 *悲しい日、幸せな日というものはありません。悲しい人、幸せな人しかいないのです。 *私たちとバラ色の幸せのあいだで通せんぼをしているのは、幸せを受け入れまいとする自分の抵抗だけなのです。 *自分が信条としていることのために悩み苦しんでいるなら、唯一理にかなっている対処法は、役に立たないモットーを、効果的な基本原則に置き換えることです。 *幸せを先のばしにしてはいけません。 *自分が本当に望むことをするようにしましょう。心の中の強迫観念や社会的習慣のために、嫌々するのではありません。そのことに気づけば、やがては自分を縛る鎖から逃れることができます。 *自分に優しくしましょう。 *物事がうまくいっているときに心を豊かにする取り組みをすれば、物事がうまくいかなくなったときにどうすればいいかがわかるものです。 *変わらないものは何ひとつありません。 *反射的にいい人であろうとするのにうんざりすることが、自己解放のきっかけになります。何がなんでもいい人であろうとすることの嘘くささを感じたとき、私たちは現実の尻尾をつかまえたのです。 *自己欺瞞に対しては、ガードをゆるめてはなりません。 *私たちの目的は、いつもの自分ではない自分を見つけることにあります。 *自らの魂を牢につないいることに気づき、そこから逃れることを、人生の目的としましょう。 *苦しみと同一化するのをやめたとき、苦しみは終わります。 *秘められた怒りは、なかなか手ごわい敵です。それに気がつけば、解放が始まります。 *一生のうちでも新たな人生の発見ほど、素晴らしくて心躍る冒険はありません。 *真の自己に融合したかどうかは、その状態をこの世の何ものにも換えたくなくなるのでよくわかります。 *宇宙のセオリーは、未来をあなたの望みどおりに変えてくれます。 *自分を解放してくれる真実を心から知りたいと願うと、それを教え導いてくれる人物や本にたどり着きます。 *あなたは、不幸になる星の下に生まれてはいません。 *今のこの瞬間に、私たちは明日を築いています。 *物事に対する受けとめ方よりも真の自己を優先させれば、絶対に悪い方向に進むことはありません。しかも、この両者はまったく別ものであることを覚えておいてください。 *慎みには、どこか人を惹きつけてやまないものがあります。 *手に入れるものを変えるには、自分自身を変える必要があります。 *宇宙のセオリーの実体験は、聞いたり読んだりしただれかの体験の何十万倍もの価値があります。 *真実に腹を立ててはなりません。何よりも真実を愛してください。愛は必ずわが身に返ってきます。私たちを解放するものこそ真実なのです。 # おわりに # おわりに―――著者・監訳者・出版情報 宇宙のセオリーは、 未来をあなたの望みどおりに変えてくれます。 ●著者について ヴァーノン・ハワード VERNON HOWARD 1918年、米国マサチューセッツ州生まれ。 1940年代に児童書の作家として文筆生活を スタートさせた。50年代後半になると、個 人の発達の様々な原理についての講演を開 始。60年代にはスピリチュアリズムや心理 学的な著作を次々と発表、自己認識と日々 の習慣の重要性を説いた著作群は多くの読 者を獲得、一躍この分野での第一人者と認 じられる。1979年、NPO法人ニューライ フ財団を設立、1992年に没するまで啓盟活 動をつづけた(現在も同財団は活動中)。生 前に教えを受けたガイ・フィンリーやマー ク・バトラーをはじめ、自己啓発分野で活 躍する教え子も数多い。著作は20数冊を数 えるが、なかでも本書は1967年の発表以来 28種の版が刊行されるほどの古典的ロング セラーとなっている。 ●監訳・解説者について 須藤元気 GENKI SUDO 1978年東京生まれ。大学在学中に全日本ジュ ニアオリンピックで優勝し、世界ジュニア 選手権日本代表を経験。プロ格闘家デビュー 後は、UFC-J、K-1やUFCなどで活躍。 独特のファイトスタイルと入場パフォーマ ンスで話題を集める。現在は作家、タレン ト、ミュージシャンなどとして精力的に活 動中で、パフォーマンスユニット 「WORLD ORDER」 を自ら率いる。近著に は北海道でのスローライフを描いた 『Let's 猫』があり、その他著書多数。 宇宙のセオリー この世でもっとも素晴らしい秘密 ●著者 ヴァーノン・ハワード ●監訳・解説者 須藤元気 ●発行日 2010年7月20日 初版第1刷 2011年4月20日 初版第3刷 ●発行者 田中亮介 ●発行所 株式会社 成甲書房 郵便番号101-0051 東京都千代田区神田神保町1-42 振替00160-9-85784 電話03(3295)1687 E-MAIL mail@seikoshobo.co.jp URL http://www.seikoshobo.co.jp ●印刷・製本 株式会社 シナノ Genki Sudo, Babel K.K. Printed in Japan, 2010 ISBN978-4-88086-264-4 定価は定価カードに、 本体価はカバーに表示してあります。 乱丁・落丁がございましたら、 お手数ですが小社までお送りください。 送料小社負担にてお取り替えいたします。 「答え」はあなたの中に在る 逆境を克服したジョンからの14の質問 ジョン・フォッピ/河本隆行訳 両腕を持たずに生まれてきたせいで、ジョン・フォッピは普通の 生活をするにも特別な障害を越えなければならなかった。しかし 彼がつねに持っていたのは、不屈の心だった。ジグ・ジグラーが 熱く推薦する「泣ける! 自己啓発書」。両腕のないジョンは不屈の 心で、「傑出した若きアメリカ人」賞に輝く存在となった。自身の 苦難の人生を振り返りながら、ジョンがあなたに問いかける14の 質問、その「答え」はあなたの中に在る! ——————日本図書館協会選定図書 定価:1470円(本体1400円) 新しい自分をつくる本 自己イメージを変えると人生は変わる マクスウェル・マルツ/高尾菜つこ訳 私たちの行動は、自分が真実だと思い込んでいるイメージによっ て決まる! あなたは今、自分に不満を抱えていないだろうか。欠 点ばかりが目につき、何をやってもダメな人間だと思ってはいな いだろうか。周りの評価を気にして、本当の自分を押し殺しては いないだろうか。多くの人びとは車やファッションで自分を変え ようとするが、あなたを本当に幸せにできるのは自分自身に対す るイメージなのである。形成外科医として世界的な権威の著者マル ツ博士は、「自己イメージ」の驚くべきパワーを発見した。患者 たちを不幸にしているのは、自分自身に対する間違った自己イメージだった。 -日本図書館協会選定図書 定価:1470円(本体1400円) 人生を変えた贈り物 アンソニー・ロビンズ 河本隆行/監訳 本田健/序文 「私の人生もこの本で変わった!!」(本田健氏)、「人生に不可欠な道 案内の書だ」(アーノルド・シュワルツェネガー氏)。上質な人生、 真の成功、たしかな幸福・・・・・・クリントン前大統領、故ダイアナ妃、 アンドレ・アガシをはじめ世界のVIPを感動させた「魂のコーチ」 の7年ぶりの邦訳書。みずからの半生を赤裸々に告白し、どん底 の体験によって発見した「決断のパワー」 「フォーカスのパワー」 「質問のパワー」など、11の実践レッスンであなたの人生を今日か ら一変させます 日本図書館協会選定図書 定価:1365円(本体1300円) ヴァーノン・ハワード Vernon Howard 1918年、米国マサチューセッツ州生まれ。1940年代 に児童書の作家として文筆生活をスタートさせた。 50年代後半になると、個人の発達の様々な原理につ いての講演を開始。60年代にはスピリチュアリズム や心理学的な著作を次々と発表、自己認識と日々の 習慣の重要性を説いた著作群は多くの読者を獲得、 一躍この分野での第一人者と認じられる。1979年、 NPO法人ニューライフ財団を設立、1992年に没す るまで啓蒙活動をつづけた(現在も同財団は活動 中)。生前に教えを受けたガイ・フィンリーやマーク・ バトラーをはじめ、自己啓発分野で活躍する教え子 も数多い。著作は20数冊を数えるが、なかでも本書 は1967年の発表以来28種の版が刊行されるほどの古 典的ロングセラーとなっている。 須藤元気 Genki Sudo 1978年東京生まれ。大学在学中に全日本ジュニアオ リンピックで優勝し、世界ジュニア選手権日本代 表を経験。プロ格闘家デビュー後は、UFC-J、 K-1やUFCなどで活躍。独特のファイトスタイルと 入場パフォーマンスで話題を集める。現在は作家、 タレント、ミュージシャンなどとして精力的に活動 中で、パフォーマンスユニット 「WORLD ORDER」 を自ら率いる。近著には北海道でのスローライフを 描いた『Let's 猫』があり、その他著書多数。 成甲書房 新刊インフォメーション & Webショップ http://www.seikoshobo.co.jp ISBN978-4-88086-264-4 C0030 ¥1500E 定価:本体1500円(税別) 成甲書房 あなたはこの本を、風変わりでとんで もない本だと思っているかもしれませ ん。いや、そうであることを望みまし ょう。同時にあなたは、本書で明かさ れる宇宙のセオリーの基本原則が人生 を変える可能性を感じて、ワクワクし ているかもしれません。そう、この本 はその期待を裏切りません。宇宙のセ オリーは、どんな人のためにあるので しょうか? 今の人生に物足りなさを 感じていて、きっと何もかも変えられ るはずだ、というささやきを耳にした ことがある人のためにこの本はあります。 現在の自分の人生観をふりかえって、 必要とあらばそれを変えてもいい と考えている人のために、宇宙のセオ リーは役立つのです。人々が自分の望 む生き方をしていないのは、今の生き 方を変える方法を知らないからです。 今のような暮らし方をしているのは、 他の生き方を求めないからです。宇宙 のセオリーは、別の生き方への確かな 手がかりを示します。さあ宇宙のセオ リーの旅に出ましょう。行く手には、 きっと新しい人生が待ち受けています。