# 第3章_宇宙のセオリーの力がもたらす奇跡



# 「この世のなにものにも振りまわされることはない」

「自分の内面に注意を払うだけで、外部世界の物事がどうして変わるんだろう」―――そう疑問に思う人もいるでしょう。そういう人は、仕事や人間関係、家庭生活に、なにか不都合が生じるのではないかと心配しているのです。

ところが実は、その正反対のことが起こるのです。むしろ生活全般が、信じられないほど輝きを帯びるといってもよいでしょう。内面が変われば、必ずその変化が外にも現れます。

目覚めた人は、外部世界の物事にこれまでどおりうまく対処できるのはもちろん、物事を意のままに動かせるようになります。

精神状態が破綻しないためには、何かが起きなければならないという「条件づけ」はなくなります。その人は自分を発見して、「この世のなにものにも振りまわされることはない」という素晴らしい真実を手に入れたのです。

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「内面に生きる人は外部的な出来事に気をとられていないので、自分に気づきやすいのです。内面に秩序があれば、他の人がどんなに奇妙で迷惑なことをしてもわずらわされません。」

トマス・ア・ケンピスという思想家は、中世の時代にこのような生き方についての指針をまとめました。これほど実生活に即した生き方がほかにあるでしょうか?

# 何もしなくてもよいことが起こる

物事をよくしようと、いろいろ手を尽くさなくてもよくなるときが来ます。何もしなくても、よいことが起こるのです。

あなたはきっと驚くでしょう。なにしろ、やることなすことすべてがうまくいくのですから。これが本物の奇跡というものでしょうか?

「そうか、これが奇跡なんだ!」

目覚めた人は、外部的な問題をどのようにして改善できるのでしょう? 現代生活の一場面を取り上げて考えてみましょう。あなたも職場で実験してみてください。

電話をかけたり会議に出席したりする前に、その目的を確認してどこかにメモします。無駄な話がいかに多いかが実感されることでしょう。

もはや宇宙のセオリーが実生活で通用するかどうかという問題ではありません。絶対にその効果に目覚めるべきなのです。

だから、耳を傾け、吸収し、調べ、実験してみてください。そして、新たな可能性に気づくのです。物事を思い描いているようにではなく、ありのままに見ることを覚えてください。私たちは、ただ本来の姿だけを見ていればいいのです。

# だれにでも可能な「宇宙のセオリー生活」

真の自己に、はじめて小声で「イエス」と言った瞬間に、見える景色は変わりはじめます。それがどの宗教でもいう「新生」の始まりなのです。

「でも、嵐のような外部の生活とかかわりながら、内面の平安なんて実際に保てるものでしょうか?」

「落ち着き払っていられますよ。なにしろ自己発見をした人は、外部の物事でも大成功をおさめているか、見るも無残な失敗をしていても全然気にしていないかの、どちらかですから」

「誤解しないでください。自己解放をなしとげた人は、成功と失敗について、世間一般とはまったく違う感覚をもっているのです。この二つの言葉は、その人にとっては事実上存在していません。

だから、どんな結果が出ても楽しめます。もはやよい結果が出なければいい気分になれないということはないのですから、山頂にたどり着いたような爽快感があります」

宇宙のセオリーに沿った生活を送り、心の平安を得るのはだれでも可能です。年齢も、仕事のゴタゴタも、家庭の問題も関係なく、どんな人でも可能なのです。

問題は、内面の成長です。どこに行くにしても心はついてまわります。ですから、心を豊かにする機会に事欠くことはないのです。心配は心の中にあります。平安も心の中です。

# 宇宙のセオリーで悩みのない人生に到達する

宇宙のセオリーは、自分で体験するものです。単なる観念の議論ではありません。

宇宙のセオリーの教えについての文章を読み、それについて話し、考えを深めても、最終的には自分の心の中でその正しさを確かめることが必要なのです。

「宇宙のセオリーにそった暮らしは、自然に親しむ暮らしと同じで、それ自身が豊かさを表している」(ウィリアム・ロー)

ただし、ただ知識を得るだけで終わらせてはなりません。知識は自分自身が感知するための土台だと心得ましょう。洞察をともなわない知識は、図書館に引かれた馬も同然です。

自分を高めるために、役立たないものなどひとつもありません。毎日の小さな出来事の中に、真実を悟る機会をもとめましょう。

自分に関して起こる出来事はひとつも無駄になりません。と同時に、抵抗を試みてはなりません。ただ観察するのみです。宇宙のセオリーの実践者はこのようにして、悩みのない人生に到達するのです。

「こういった疑問を解明する手立てはひとつしかありません。議論や討論ではなく、神聖な啓示を直接体験するしかないのです。だれにも頼らず、各人が啓示を自分のものにするのです。そのときはじめて、天の国の本当の意味を見出せるでしょう。

探し物は、まさにここ、そう、あなたの中にあります。もとめているのは、まったく自分とかけ離れた異質なものではなく、自分の奥深くに秘められたもの、あなたの本質なのです」(ポール・ブラントン『自己発見』)

# 意識のレベルで起きる夢のような変化

真理の探求者が、魂の師に向かってこぼします。

「師よ、私の周囲の人たちは不愉快でたまりません。みんな不誠実で思いやりに欠けているのです。どうやったら、こういう人たちを変えられるでしょうか?」

師は答えます。

「自分を変えなさい」

宇宙のセオリーの先にあるのは、自己改革です。この師が語った教訓を一日に十回思い出したとしても、多すぎることはないでしょう。

条件づけられた頭脳は、人の考えを相変わらず狭い価値観の中で、紙幣を小銭に替えるように置き換えるだけです。ところが、宇宙意識から何かを得るというのは、もとの紙幣に金塊を加えるようなことなのです。

宇宙のセオリーの真実を知れば、意識のレベルは自然と高まります。お世辞を言われてもうれしいとは思わず、非難されてもムッとしなくなったら、変化は起こっているといえます。

もうひとつうれしい変化は、時間に対する感覚がまるで変わることです。時間に追われているような気がしないわりには、日常的な仕事は以前よりもはるかに効率よく進められます。そうなれば、あなたは、宇宙のセオリーが「今」と呼ぶ、素晴らしい瞬間に生きているのです。

# 宇宙のセオリーの道を歩いた人々

私たちは前に、宇宙のセオリーを、より豊かな人生を実現するための健全なアプローチの方法と定義しました。ならば宇宙のセオリーの実践者とは、自分自身のために豊かな人生を見出し、しかも他の人々の道しるべになれる人物と定義できるでしょう。

宇宙のセオリーの実践者は真理に通じる新しい人生を見出しました。でも、かつては他の実践者と同じように、いやそれ以上に苦しみ、誘惑に悩まされ、迷ったこともあったはずです。けれども、その人は勇気をふるって実践をつづけ、ついに答えにたどり着きました。

真の宇宙のセオリーの実践者は真実を実体験しますが、催眠術をかけられた者は、ただ指示を実行するだけです。

「だれでも宇宙のセオリーの実践者になれるんですか?」

「もちろんですとも。本物の実践者は話のわかる人物で、騒然とした世界のまっただ中にいながらも、その愚かさを超えた存在なのです。オフィスのデスクに座っていても、キッチンで料理を作っていても、宇宙のセオリーの道は十分究められます」

老子は、王室の秘蔵書の書記官でした。

ローマ皇帝マルクス・アウレリウスは「自分の内を見よ。内にこそ善の泉がある」と書き残しています。

デンマークの思想家キルケゴールは「私は私自身になった」という驚くべき言葉を吐いています。

これらの偉人は宇宙のセオリーの基本原則については、次のような一致した見解をもっています。

[1] 人間が苦しむのは、ある種の催眠状態にあるからだ。

[2] 適切な努力と知識によって、その呪縛をふりはらい、新しい人生を歩むことができる。

# パスカルの勇気ある指摘

「人生は、終わりのない幻想にしかすぎない。人間は互いに騙しあい、媚びへつらう。本人がいないときに言う言葉と、本人を目の前にして言う言葉は明らかに違う。社会は、相互の偽善のもとに成り立っている」

こうパスカルは論じています。

いいえ、これは悲観論者の言葉ではないのです。むしろ最高に楽観的で勇気ある指摘だといえましょう。

悲観論者は、自分を含めて人間の愚かさに直面したがりません。けれども、宇宙のセオリーでは、人間の健康は取り戻せると知っています。そのため、治療の必要性を見越して、大胆に病気の診断を下すのです。

「そういう悪循環を断ち切るには、どうしたらよいのですか?」

「ここで聞いたことを、ちゃんと把握できたら大丈夫でしょう。といっても、ただ目覚めればよいだけなのですが。

それはそうと、自分の愚かさに恥じいったり罪悪感をもったりはしないでください。過去の過ちは、本来のあなたとは違う、偽りの自己の仕業なのですから」

こんなことは、だれにでも起こりえることです。でもそうなっても、苦しみのどん底に沈まないでください。過ちの大小にかかわらず、これを材料にして、自分がどんな誤った自己イメージをもっているのかを確認すればよいのです。

# 「同一化」という心理的ワナ

ある特殊な心理的メカニズム、「同一化(アイデンティフィケーション)」を取り上げましょう。この心理状態を理解する重要性は、どんなに強調してもしすぎることはありません。というのも、同一化は私たちの生き方のあらゆる面にかかわっているからです。

同一化とは、心の中や外部世界のものに心を奪われ、そのことばかりを考えてしまう状態をいいます。

そうしたものへの考えにふけるのは、安心を感じたいからです。私たちは自分が何者であるかを知りたいと思っています。そして、永遠不滅に思える何かにすがりつきたいとも望んでいます。

ただし、そうしても心の安定は得られません。むしろ正反対の状況を作り出してしまいます。何かに同一化しはじめると、そのとたんにそれを失うのが怖くなります。

同一化はまた、何かを本質的な自己の一部だと取り違えるようなことを意味します。たとえば、名前です。あなたは、あなたの名前と同一のものではありません。名前は誕生とともにつけられたラベルにしかすぎません。

真の自己には、名前、身体、お金、仕事、流行のメイクやヘアスタイル、個人の信念などは、いっさい含まれていないのです。あなたとこのような付属物とは、まったく違う存在のものです。

自分の思考と同一化すると、その思考は空想になります。空想にとらわれていると、私たちに力を与えてくれるはずの高次のメッセージまでも受けとれなくなってしまうのです。

# 悲しみから解放されるために

とにかく、最後までこの本とおつき合いください。そうすれば、感傷的な思い出に振りまわされなくなるという、素晴らしいプレゼントがあります。

それでは、次に悲しみを感じたとき、よく観察してみてください。その悲しみは、過去のある時期の思い出と、どこかでつながっているのではないでしょうか?

その悲しみは、残酷なだけで、無用な感傷から生じたもので、それ以上でも以下でもありません。楽しかった思い出は過ぎ去ってしまったので、私たちはやりきれなくなるのです。

ここ過去への執着を捨てれば、心の中の思い出に翻弄されることはなくなります。昔はよかったのにと、悲痛な思いにひたることはなく、今のありのままを穏やかに楽しめるのです。

悲しみの原因となった「同一化」は、振り子の原理で確実に突きとめられます。刺激的だと思われるものと同一化すると、いつかはその反動で退屈を味わうことになります。

執着を捨てた人には素晴らしいことがあります。上司は相変わらず横暴でしょうが、もはやあなたを悩ませる力はありません。

執着を離れた観察者という新たな役まわりを得たあなたは、何もかも心得ていながらも、なにものの影響も受けません。

では、人間が偽りの自己でないとしたら、その正体は何なのでしょうか? それは「真の自己」です。真の自己は意識の源、あらゆる出来事の観察者です。そして、真の自己こそが、人間の中で永遠不滅なのです。

# 宇宙のセオリーの道の歩き方

迷わずに歩く方法を学ぶ一方で、私たちは自らの過ちに気づきます。そして、気づいたら、偽りを真理とみなすことをやめなくてはなりません。

人生がぎくしゃくしていればいるほど、本物だと思いこんでいる偽コインの枚数が多いのです。しかし、意識が開かれれば、銅貨ではなく銀貨が手に入ります。

空虚さを恐れてはなりません。それは、あなたの思っているようなものではありません。

空虚がそこにいたいというなら、存在を認めてやればいいのです。そうすれば、自分はペテンにかけられていて、空虚は苦痛だと信じこまされていたのがわかります。

心の中の黒板をイメージしてください。書いてある文字の上に重ねてまた文字を書いたら、わけがわからなくなってしまいます。そうならないためには、書いてある文字を先に消さなくてはなりません。そのうえで、洞察力に富んだ英知の言葉を書き記すのです。

現状が絶望的であることを見抜いている人は、真実を熱心に知ろうとします。はじめはプライドがちくちくと痛むかもしれませんが、その人はようやく行動を起こしたのです。

宇宙のセオリーの道をたどっていると、面白いことが起こります。それは、物事がだんだん気の重いものではなくなるということです。

最初の頃は、悩みの答えもわからなければ、答えが見つかるかどうかも不確かなので、どうしてもひどく気負った態度でのぞむことになります。けれども、一筋の朝日がさしたあとは、気持ちも明るくなってゆとりが出てきます。

# 第3章のポイント――覚えておきたい要点

[1] 宇宙のセオリーの真実は実生活に役立ち、新たな方法で活気づかせる。

[2] だれでも満足できる人生を送れる。真摯な探求は必ず報いられる。

[3] 言葉だけの理解に終わらないこと。宇宙のセオリーは自分で体験したい。

[4] あらゆる出来事を利用して、自己を理解し、向上させる。

[5] 自己改革は、宇宙のセオリーの奇跡だ。

[6] 宇宙世界のことをよく究めた偉大な思想家は、内面の旅の道案内をしてくれる。

[7] 同一化を知ったら、同一化にはまらないよう気をつけよう。

[8] 外部の善行をよくつむのは立派だが、内面の変革とは別物である。

[9] 真の自己以外のものに、依存するのはやめる。

[10] 宇宙のセオリーの道は、力を抜いて明るい気分で歩く。