# 第2章_奇跡の世界への目覚め



# 人間は特殊な催眠状態にかかっている

人は催眠状態の深い眠りについています。人生そのものが壮大な悪夢ですが、それを現実だと思いこんでいるのです。

なにしろ自分は眠っていないのだ、完全に意識のある人間なのだ、とうそぶけば、それが睡眠薬代わりになって、あっという間に夢の世界に入れるのです。

悪夢のなかで何度もひどい目にあいながらも、自分は目覚めているのだと言いつづけます。

人生を夢遊病者のように眠ったまま歩いているので、次から次へと障害物にぶつかって痛い思いをしますが、そんな衝撃があっても夢から覚めることはありません。宇宙のセオリーの支持者は何世紀にもわたって、このことを人々に知らせようとしてきました。

「自尊心を黙らせよう。自分は自由だと思っていても、実は縛られているのだ」(フランソワ・フェヌロン)

人間がかかっているのは、特殊な催眠状態なので自覚できません。そのため、そのことをあたかも自分の人生と関わりがないことのように、あっさりと無視できるのです。神秘主義や宗教の文献には、この無意識の眠りについてふれているものが少なくありません。

「眠りについている者、起きよ」(『新約聖書』「エフェソ信徒への手紙」五章四節)

覚えていてほしいのは、これがビジネスや学業、子育てにかかわっているすべての人に向けた言葉だということです。物質的な世界で多忙をきわめている人々こそ、目覚めて、人生を別の角度から見直すべきなのです!

私たちの魂が覚醒しているという思いこみは捨てましょう。これは何よりも重要です。

思い出してください。「偽りの自己」には、得意とするトリックがありました。それは、現状がどんなに欺瞞に満ちあふれていても、意識がはっきりしていると思わせることでした。その手に引っかかってはいけません。

先に進もうとするなら、むしろ私たちは今、催眠状態にあることを自覚すべきなのです。そうすれば、自分の精神は特殊な深い眠りに入っているので、そのことにも気づいていないのだという事実を受け入れられるでしょう。

「なるほど、それで合点がいきました。私は長いあいだ、自分や他の人たちのどこがおかしいのか、さっぱりわからなかったのです。催眠状態にあると考えると、納得がいきますね」

「今の時点でわからないことがあっても、あまり気にしないでください。まだ睡眠状態と覚醒状態の区別がつくほど、覚醒が進んでいないだけなのですから。なんといっても、精神的な眠りについているあいだは、目を覚ますまで本物の覚醒がどんなものかわからないのです。夜ベッドでぐっすり眠っていて、あなたは眠っていますよとささやかれたとき、聞こえるでしょうか?」

「聞こえないですね。あなたの言わんとしていることはわかります。それは、大空を知らないカゴの中のカナリアみたいなものですね。それにしても、大空とカゴの中では、雲泥の差です」

「およそ人間が体験することの中で、覚醒ほど劇的な変化をもたらすものはないのです」

# 奇跡の世界への覚醒

夢遊病者が物にぶつからないようにするためには、どうしたらよいでしょう?

答えは、「目を覚ます」。それだけです。目を開けさえすればいいのです。

精神が眠っている人にも、同じことがいえます。ただ目を開ける。それで悟りがもたらされます。

たとえおぼろげでも、悪夢が私たちを疲れさせ、恐ろしい思いをさせていることがわかってきたら、終わらせたいと願うはずです。でも、どうやって? 悪い夢から覚めるには、どんな方法をとったらよいのでしょうか?

内なる自己を変えたいなら、心から真剣に望むことです。

あなたもきっと、外部的な要素をおもちゃのブロックのようにただ並べかえたり、自分で大人としての解決方法を探ったりするのに、あきあきしていることでしょう。

現状に対する欲求不満をどうしても断ち切れずに悩んでいる人は、そんな心境になるものです。そういうときは、失意とイライラを募らせて、経済的にも世間の評判においても、また社会的にも、本物の成功とは縁遠い存在になっているはずです。

そうでなくても、ショックや悲劇的な出来事、不名誉な事件が起こって、自己満足の眠りから乱暴に揺りおこされたりすることもあります。ショックも罰ではなくメッセージとしてとらえれば、覚醒をうながす可能性があります。

そんなときは、「何かがおかしい、根本的に間違っている」と考えるべきです。

いえ、どんな人もそのような漠然とした内なるヒントを受けているのです。けれども、人は往々にしてそれに付随するメッセージを聞き逃してしまいます。

この今までにないおかしな胸騒ぎは、出口があることを示す、かすかな啓示をともなっています。ところが、覚醒がまだ未熟な段階では、絶望が示しているものを感じとったとしても、それが何だか見当がつきません。

でもそれは、漠然とはしていても、まったく新しい方向へのヒントなのです。確実に出口に導いてくれるものです。

「そんなご託にはわずらわされたくないね。おかげさまで十分幸せで、あちこち飛びまわってるんだ」

宇宙のセオリーは答えます。

「だってあなたの幸せは偽物ではないですか。それは自分が一番わかっているでしょう。うわべだけの幸せやでっちあげた忙しさの裏に、空しさがあるのは承知のはずです。自分をだまそうとするのはいいでしょう。でも、そわそわして怒りっぽくて、夜眠れないのはどうしてですか? ごまかしようがありませんよ」

そして、とうとう意地を張る気力もうせて、虚勢を隠れみのにできなくなったときに、はじめて気弱なところを見せるのです。

「うん、そのとおりだ。今はとにかくこういう状態から抜け出せるなら、なんでもいいからすがりたいよ」

# 新しい自分になるための「自己観察」

さて、いよいよ宇宙のセオリーにおいて、もっとも重要な手法についてお話ししましょう。

これを継続して行えば、だれもがまったく新しい人間に生まれ変わることができます。

そのきわめて重要で効果的なテクニックは「自己観察」です。

自己観察がどんなものかを説明する前に、自己観察と区別すべきものについて触れておかなくてはなりません。このあたりに多くの誤解がひそんでいるからです。

自己観察は、自己に精神を集中させる「内省」とは違います。そんなものですむなら、何百万という人が解放をなしとげているはずです!

ひとりよがりな内省は、本物の自己観察とはまったく別物です。内省はいつも居心地の悪い感じがしますが、自己観察は、その居心地の悪さを解消する手立てだといえましょう。

自己観察では、自分の心の中だけでなく、外の世界でも物事の成り行きを観察します。あなたは、だれか他の人の身に起こったことのように、何もせずにただ見ているだけです。

自分のこととは思わないでください。新聞の見出しであろうと、心の中の感情であろうと、観察している対象にいちいち反応したり感想をもったりはしません。

良いか悪いか、楽しいか苦痛か、好ましいか好ましくないか、といった判断はいっさいしません。自分とは個人的な関わりがないかのように、ただ眺めているだけです。

自己観察は、受動的な無関心を意味します。あなたは自分の心の中で見たものを変えようとはしません。なにものにも干渉しません。身構えることもなく、意見を述べることもなく、ただただ見つづけるのです。

傍観者となって自分を通りすぎる恐れや失望、怒りを他人事のように眺めるのは、素晴らしい体験です。しかもその結果、魔法のように労せずして物事を正しい方向に変えられるのです。

「私は自分のことを四六時中考えていますよ。あなたの言わんとすることと、私がこうして自分のことばかり気にしている状態とは、そう違わないように思えるのですが」

「この点については、はっきりしておきましょう。自己観察は、自分について考えることではありません。一八〇度違う世界といってもよいでしょう。自分に没入するのは、野生のトラにつかみかかって格闘するようなものです。自己観察は、トラが通りすぎるのを静かに眺めているだけです」

どうして、自己観察が大事なのでしょうか? なぜなら、これこそがまさに自己認識の鍵だからです。自己観察によって、こうあるはずだと考えている自分ではなくて、ありのままの姿の自分を見ることができます。

この現実的な観察を土台にすれば、新しい自己を形成できます。しかもうれしいことに、自分が変わると、周囲の物事までも変わるのです。

# 自分に対する新鮮な感覚が生まれる体験

ここで、今すぐやってほしいことがあります。

この本から顔を上げてください。首を上下左右に振って頭の中をすっきりさせたら、周囲を見まわします。

自分がどんなところにいるのか、よく見てください。部屋を見るのではありません。部屋に自分がいることを意識するのです。「たしかに自分はここにいる」と考えてください。

それができたら、自分をまったく新しい感覚でとらえられるはずです。今部屋の中を見まわしている自分と、ちょっと前に本に没頭していた自分とは、考え方が違っているのがわかりますか?

読書に夢中になっているあいだは、あなたの意識の中にあなたは存在していませんでした。読書しているとは思っていても、自分が読書しているとは感じていませんでした。

ところが今は本に集中するのをやめて、部屋にいる自分自身の存在をしっかり意識しています。さあ、あなたはなんという素晴らしい術を身につけたのでしょう!

私たちは自己認識のできる人間になることを目指しています。しかもそれは、真実を探す場所さえ間違えなければ、必ず達成できることなのです。

内なる自己に気づくことは、内なる王国に到達することと同じことです。それは真実そのものです。覚醒と幸福は、まったく等しいものといってよいでしょう。

偏りのない目で自己観察をすれば、これを突破口に、自分に対する新鮮な感覚が生まれます。

この出口は、心の闇から夜明けの世界につづいています。

自己観察を行っていると、見えるものに困惑することになります。自分で思っていたのとは、違う自分がいるからです。そんなはずはないと完全否定していた面が、実は自分の中に隠れていたりします。

どんなに当惑しても気にしないことです。そして、目をそむけてはいけません。ただありのままに受け入れるのです。新たに得た洞察は、きっと今後を良くすることはあれ、悪くすることはありません。

では、どうしてただ観察することで、以前にもまして健全な感覚を得られたのでしょうか? それは、私たちを無意識の牢獄につないでいた否定的な面が、白日のもとにさらされるからです。精神分析医が証言するように、精神の光は闇を消し去るのです。

# 目覚めによって起こる変化

[1] 健やかな体調

内なる自己に気づき、覚醒することによって、あなたは以下のような変化を体験することでしょう。

何よりも確実なのは、覚醒によって、その後健康でハツラツとした状態がつづくということです。

[2] つまらない悩みから解放される

今までくよくよしていたつまらないことが、まったく気にならなくなります。

[3] 高揚感の継続

とうとう正しい道にたどりついたのです。これ以上にいい気分がつづくことはあるでしょうか?

[4] 孤独感が消える

群集の中にいてもみんな寂しさを感じるのはなぜでしょうか? それは騒々しい興奮状態にないと、自分が不安になるからです。そんな状態はいつまでもつづくものではありません。目覚めた者は、真の自己の世界に住んでいるので、寂しさを感じようがありません。

[5] 新たな自分の受容

もうひそかに自分をきらわなくてもよくなります。

[6] 人を見る目ができる

覚醒をした人間が共同経営者を決めるとしたら、分別ある判断を下せる人物を選ぶでしょう。

[7] 人生の謎の氷解

大きく目を見開いた者には、セックスにせよ、金銭、宗教、幸福にせよ、どうすることが正しいのかがわかります。

[8] 安全が確保できる

五感がうまくはたらきます。よく見え、よく聞こえるようになります。

[9] 高次からの波動

カップは上から見る人には開かれて見えますが、下から見る人には閉じられています。同じことが、解放についてもいえます。解放された者には、たえず心の平安や快活さ、くつろぎの波動が送りこまれています。

[10] 自己破滅の回避

本を読んでいて誤字を見つけたとき、どんな感じがしますか？おかしいと感じるでしょう？正しい字に直したいと思うはずです。解放された者も同じような感覚で、自らの行いをただします。

[11] 楽しい暮らし

毎日の生活を心から楽しんでいる人は、どれくらいいるでしょうか? 目覚めた者は、なんでも楽しめます。

[12] なんでもシンプルに

万事がシンプルになります。宇宙船の打ち上げにはとてつもないエネルギーが必要ですが、その後は大きな推進力なしで宇宙空間に達します。目覚めた者は滑るように楽々と前進します。

# 自己に対する理屈抜きの洞察

[1] 自分で取り組む

現実に即した自己理解のためのアプローチ方法は、原則的に二通りあります。

[2] 高いレベルにある人の話を聞く

実際には、多かれ少なかれどちらも行っているのですが、とりあえずそれぞれについて考えてみましょう。

まずは、本書で述べられているような方法を、自分で試してみるやり方です。

自分がなぜ、そのような行動に出るのかを観察します。苦しみや問題の原因は、もとをたどると間違った考え方にあったことがわかるでしょう。この方法を通して、自分をごまかさずに真正面からとらえることができます。

ただし、だれかの助けを借りてもよいのです。さあ、ここで宇宙のセオリーの出番です。きっと救いの手をさしのべてくれるでしょう。

特別なことをする必要はありません。ただ理解すればよいのです。丘よりも山の上に立ったほうが里の景色がよく見えるように、行動には理解のレベルが反映されます。

自己認識は、大学の学位や本の知識などはまったく関係ありません。要は自己に対する理屈抜きの洞察なのです。「魂の洞察力」を呼び覚ますときに、そうした知的教養はあまり役に立ちません。

スイスの精神科医カール・ユングは、東洋の神秘主義と西洋の心理学の橋渡しをした人物です。彼はその質問に、こう答えています。

「この問いにイエスと答えられるのは、厳正なる自己分析や自己認識を行おうとしている人の場合に限られる。意志をつき通せば、自分自身についての重要な発見があるだけでなく、心理的にも得るものがあるだろう。(中略)その人は、いうなれば、自らの人間としての尊厳を高らかに宣言し、意識を形作っている土台に向かって最初の一歩を踏みだしているようなものである」(C・G・ユング『未知の自己』)

# 自分で自分を傷つけないために

自己理解が十分でないと、自分をひどく傷つけてしまうと聞いても、まさかと思う人が大半でしょう。自分を傷つけるのは、いつも他のだれかとしか思えないからです。

けれども、心の痛みの本当の原因は、自分の中にあるのです。たとえば、否定的な感情がそうです。

雨が降ってピクニックが台無しになったとき、雰囲気を暗くしているのは雨でしょうか、それともあなたの気持ちでしょうか? だれかに約束を破られたとき、私たちを傷つけているのは、約束が破られたという事実でしょうか、それともそれに立腹している当人でしょうか?

これを突きつめると、「否定的な感情にこだわると自分が損をすることになる」という単純な事実に行き当たります。

欲求不満を感じているときに、穏やかな気持ちになれるでしょうか? 答えはノー。がっかりしているのに、心から楽しめるでしょうか? まさか。私たちはどちらか一方にしかなれないのです。

この真理を照らす事実を、すっかり理解した人はどうなるでしょう? すぐに悪いほう悪いほうに物事をとるクセをやめるでしょう。そして否定的考え方のために、自ら幸せから遠ざかっていたことに気づくのです。

「怒るのがよくないのはわかってるんですが、自分ではどうしようもなくて･･････」

「こういうことなんですよ。人が激怒するのは、自分が装っている人物像を汚されるからなのです。自分が偉い人間だと思っている人は、軽んじられると、すぐに目をむきます。偉くなろうとしなければ、気分を害することはありません。インディアンの酋長になりたくなければ、羽冠を取られても気にはならないでしょう?」

目覚めた者は、もはや自分に対する罪を重ねることはありません。心身症になったり、恥にさいなまれたりはしないのです。

恥を感じることが自己に対する罪になるって? もちろんです。生まれ変わった人間の目には、心理的自己がとりつかれた愚かさが映ります。だからといって、それまでの自分や他人を傷つけてきた行為を非難するのではありません。ただ、そのように振る舞った理由が見てとれるだけなのです。

そう、その人は害をなさずにはいられない偽りの自己に操られていたのです。

# 第2章のポイント――自己認識の基本原則

[1] 人間は特殊な催眠状態にあるが、そのことには気づいていない。

[2] 目覚めたあと、この世ははじめて目にする奇跡の世界になっている。

[3] 目覚めた者は人生をやりなおして幸福になれる。

[4] 人生を変えるもっとも効果的なテクニックは、客観的な自己観察である。ぜひ日常に取り入れたい。

[5] 自己観察では、自分の中や外部世界で起こっていることを静かに観察するが、見ているものに対しては感想も判断もさしはさまない。

[6] 自分について知れば、望むような自分になれる。

[7] 自己観察によって好ましくない面が見えても気にしないこと。正直に認めるだけで、それを打破できる。

[8] 目覚めたおかげで、豊かになれるさまざまなメリットを覚えておきたい。

[9] 自己理解にたゆまない努力を。想像以上の力になるはずだ。

[10] 目覚めよ!